リビア・カダフィ政権がその42年の独裁政権の歴史に幕を降ろそうとしているようだ。
一方で、そういうある種の革変期で興奮しているのか、テレビで女性アナウンサーが銃を片手に「殺るか殺られるかだ。」と語っているところを観て思った。
何かの権力に反抗する勢力は、たしかにその「反対」というエネルギーだけで、標的とする権力を打倒することは可能だと思う。
ただ、倒す側にも「何がどう嫌で、どう変えたいのか?」っていうシンプルなコンセプトが必要だと思う。「ただ嫌。」では結局進歩しない。同じことを繰り返す可能性がある。それはまさにカダフィ政権そのものだ。
イスラム周辺社会出身でアメリカでガソリンスタンドだったか何かを経営する人は、アメリカ社会の方が好きだと言うらしい。
イスラムや中東社会の人間はコネだとか、同郷だから、とかなにかと「縁」を持ち出しては、料金を割引させたり、踏み倒そうとしてくるから嫌だと言うらしい。
目先の利益しか目にないのは知恵がないからだ。長期的な視点がない社会、思考は衰退を招く。そのことを彼らはわかっていない。
暴力を暴力で制する事ができるのは、ただ単に力が大きかったからだ。でも、その後、自分たちを自制することができるのは銃ではなくペンだ。自分に銃は向けられない。
そういう社会を繰り返し生み出す限り、彼らに発展はない。世界の最先端の経済、社会システム、インフラ、政治を知るアメリカ、ヨーロッパ、シンガポール、日本を知る人間を政府の中心に据えないと、アラブ社会は変わらない。もし彼らが、東西中の古今東西の知恵を結集する事ができたら、彼らは変われるはずだ。
ところでそういった、「ただ反対」というエネルギーだけで物事が決定されてしまうのは、今回のアラブ社会の反乱に限らない。日本も決して例外じゃない。
民主党は結局、彼ら民主党員と国民の「自民党が嫌」っていうエネルギーだけで政権に就いてしまった。
でも、政権奪取を達成したものの、
「で、どうしたいのか?」
っていうコンセプトがなかった。すくなくとも、国民に明確に伝わるようなコンセプト、あるいはプレゼンになっていない。
小泉さんの時は、「郵政三事業を民営化したい」っていうとても明確なコンセプトがあった。かつて日本がこれほどまでに目的意識が統合されたときがあったろうか? 第2次大戦においても、戦前の戦争回避のための外交といい、戦中といい、結局軍部と文民統制は意志が決裂したまま、軍部においても海軍、陸軍と対立構造にもなっていた。
こんな状況で勝ち目なんかは元々なかったわけだ。
そして今、自民党は「菅首相以外なら誰でもいい。」と言って菅直人氏を首相の座から引きずり降ろした。目の前の問題に対して俯瞰することができずに、狭い範囲での繁栄しか頭にない、ビジョナリーと呼ぶにはほど遠い政治家像は戦前からなんら変わっていない。
そういう意味ではカダフィ政権も民主党も、そして自民党も失敗の本質は同じ。知恵なんだ。必要なのは知恵。
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