http://s.nikkei.com/1ECgCCW
http://crowdcredit.jp
(4:00以降、ボリュームが異なるので音量に注意)
これは私にとっては興味深いニュースでした。
伊藤忠商事が、マイクロファイナンス(MF)という銀行がやりたがらないnitch金融サービスを支援することで決定したそうです。今回のMFも例に漏れず、いわゆるcrowd型融資事業を行う企業です。
マイクロファイナンスを行う会社は、crowd creditといって、先日紹介したcrowd bank, AQUSH、アメリカのLending Club等々と同じ事業態。
しかしその中身がすごい。投資先はなんとペルーを初めとした中南米。中南米は言わずもがな、
volatility[金融用語としてとらえる場合、価格変動率の高い、という意味。つまり投資をしても元本割れが起きたり、国際間投資とかとなると、投資先の通貨インフレ等の不確定要素が大きく、マイナス金利や元本割れの危険性が高いということ。]の高い融資であり、middle riskとは言い難いです。
そこから考えると、通貨としては明らかに弱い新興国で、かつ経済的な国力も弱い地域に投資を行うのは明らかに、部類としてはhigh riskでしょう。
それゆえ利回りは10%を超えます。これはすごい。10万円の融資で一年で約1万円が帰ってくる計算です。普通預金の500倍の利率です。
でも冷静に考えると、ブラジルレアル建て債権が8%前後、デフォルト候補のロシア国債が13〜17%。かつてのリーマンショック前のニュージーランドドルの通貨利率が7〜8%です。
やっぱりかなりriskyですね。でも惹かれます。
これっていわば、
サブプライムローンなんじゃないかと思うのです。どうみてもprime層に対する融資ではない。信用力の低い国の、信用力の小さい人たちに融資を行うわけだから、文字通りに言えば、sub-prime loanであることには変わりはないと思うのです。
3年間の融資拘束期間があるということですが、この先の3年は、日本円や米ドルに何かしらの金融不安があるような気がしています。知識層に言わせると
「日本円は、向こう3年は大丈夫だと思う。ただ…」という意見で一致しています。米ドルも同じようです。
確かに国債は新発するわ、紙幣は新札するわで、倍々で国債価値と紙幣価値が落ちていく事がいいはずがない。
円ダメ、米ドルダメ、ユーロダメ。スイスフランは逆スワップが生じていて(スイスフランのほうが通貨金利が日本より低い)、持っている間、利息を払い続ける必要があります。どの通貨を持てばいいのでしょうかね。
その時、これらのfrajileな新興国への融資はどうなるのでしょうか。やはりそれなりの「虎穴に入らずんば虎子を得ず」くらいの覚悟がいるような気がします。
ただ結論としては、
資金を集めて融資したいです。矛盾していますがw
[ここからは雑感]
時代というのは、学ばないものですね。学ばないがゆえに繰り返すのでしょう。でも、この事業の骨子と社長の勇気は買いたい。
社長は若く、東大法学部卒の大和証券出身。
ま、私が思うに、学歴よりも大和証券グループっていう企業こそが、ある種のトップスクールだと考えます。どこの畑でもトップカンパニーこそが、実践主義のトップスクールだと私は思います。
このcrowd型金融の広がりについては、日本の金融業界の空気として存在しているだろう停滞感というか、学歴エリートが多いという偏った空気感やら閉塞感が起因しているのではないかと思います(抽象的ですがw)。
それについて「エリートは大抵保守的であり安定志向型傾向がある」という彼らが内外で抱き続けた、偏見や不甲斐なさ、もどかしさがあると考えます。
つまり、アメリカのようなベンチャー気風がない、と社会から批判の対象になっている点に、彼らが日常的に感じていただろうもどかしさがある、ということです。
しかしながら、やはり若い層ではソーシャルビジネスの機運が高まっているようで、ただ単に利ザヤ稼ぎに走るのではなく、社会全体に金融を通して貢献したい、という機運があるのだと思います。
creativeな発想で金融サービスを行いたいという動機を持ち、こういった小口融資業を始めたり、思想を持つ元金融マンは少なくないようです。
おそらくノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行の創設者、ムハマド・ユヌス氏とその事業内容をひとつの契機として、触発された人が多いのだと思います。
あるいは、海外で活躍する同世代のトップアスリートに触発されたか。彼らの活躍が、同世代に響かないわけがない、と思いますけどね。そういう意味では、彼らトップアスリートの、日本国内に与える影響力は想像以上だと思います。
…ここからはさらに余談ですが、人材教育について。
社長の経歴について思うことがいくつか。
彼は東大法学部卒で証券会社の有価証券ディーラーをやっていたそうですが、こういう経歴を見ると、
「法学部卒と為替等の金融ディーラーって、どういう関連があるの?」と思います。多様性を持つ、という観点では有意義だとは思いますが。
いつも疑問に思うのは、大学の専門性と企業での職務っていう繋がりを考えた時、東大の法学部学士卒にディーラーをやらせてしまう証券会社って、結局大学の専攻はどうでもいいってことなんでしょうか? 法学部卒なら企業コンプライアンスとか、そういうガバナンス系じゃないの? 法学部の企業内での専門性って何なんでしょう? と、いつも疑問に思います。
確かに東大生の学習範囲は広い。話を聞いていると、学生の時の専攻がわからないくらい広い。専門外の分野でも、他大学の学生の理解よりも深い理解を持っていることも多々あると思う。そこは確かに東大ブランドだと思う。
でも、東大医学部卒で困難な手術を成功させてきたという実績を理由に、理事長をやらせてしまう病院や、東大大学院建築学専攻卒で、数々のプロジェクトを成功させてきたという実績を理由に社長をやらせてしまう建設会社(←日本のトップカンパニーから全般的に数多く実在w)を考えた時、彼らの経済学や経営学、そして実務での財務経理分野における実績を考えると、「何かおかしくないか?」と日本社会を眺めては日々思うのです。彼らの経済学知識の学習は高校で止まっているのに。
で、やっぱり証券会社の有価証券ディーラーをどこかの経済学部卒や院卒ではなく、東大法学部卒にやらせるのって、それってやっぱり東大(法学部)のブランド力ってやつなんでしょうかw?
高校と大学、大学と企業、企業内での教育、成長と、それぞれの成長過程で何かぶつ切りになっていて、有機的な繋がりや一連性が見えないですよね、日本の教育って。そう思うと、日本って教育下手だよね、と思うのです。