こんな質問が、英語で有名な安河内先生の記事の関連で、質問があった。
こういうフレーズは、似たような意味合い、ということで似たような言い回しを探してくる、というのが日英訳のやり方だと思う。
安河内先生の引用:
【名言のひろば】
Practice makes perfect.
習うより慣れよ。実践こそが技術を磨く。
(Proverb)
ということだが、これもこの日本語が一番、元の英語に対応している(逆もしかり)、というだけで「訳」っていうのとはまた違うと思う。いわゆる「意訳」っていうやつ。「訳」っていうと、言葉の額面を追いかけてしまいそうになる。
しかし改めて、「訳」という漢字を「『言』葉の『尺』度」という風に捉えてみると、それはあくまで、それぞれのスケールを合わせたもの、くらいの意味合いとして捉えられないだろうか? ちょうど、日本の「尺」や「寸」という単位と、英語の「フィート」、「インチ」という単位を変換するように。
で、タイトルの「四の五の言わずにやれ」をどう英訳するかと言えば、
僕なら、
Just Do It!
と訳す。もちろん、他の言い方もあるだろうし、あってもいいと思う。
このフレーズは、nike のキャッチコピーとして有名で、知っている人がほとんどだと思う。でも、こういった英語と日本語を知っていても、その両者を結びつけるという作業は、意外とできない。
なぜか?
それはやはり英語を暗記や文法則のある機械的な言葉として捉えていて、ニュアンスを掴もうとしていないから、ではないだろうか?
言い換えれば、その英語と英語学習には血が通っていないのだ。
生きた英語、とよく世間は言うが「生きた」英語というのは、こういうライブ感ではないだろうか?
英語を暗記や文法といった科目、あるいは操作上の何か機械的なものとして捉えていてハートで感じていない。それが、こういった日英の言語に繋がりを見いだせない理由の一つだと思う。額面上の言葉を追いかけてしまい、その向う側にある本質的ニュアンスを探る事を忘れてしまう。
数学でもそうだけど、なんでそういう式なのか、を考えて血の通った数式にすることが真の数学力として本質的な力になる。
「博士の愛した数式」という名画があるが、どういうストーリーかは知らない。知らないけど、なるほど、と思える数式には理解する以上に深い、ある種の感動、感銘を受けるものだ。
数式には一切の無駄がない。不足もない。それでいて、漏れのない解説をしているのが数式だ。完璧にして冗長さがない。それゆえ、その世界の美しさに多くの数学者が魅了されているのだと思う。
なんでもそうだけど、わかるっていうのは、本来そういうこと。私達が言う「わかった」ってのは、おおよそは全部理解したことを意味しないし、わかった、と思うのは危険。なぜなら、そこで理解を止めてしまうから。
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