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たっつんさんの日記

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2013年
01月10日
00:01 たっつんさん

「センター英語のcontentについて…

…mouthbird閣下がお怒りのようです」

って、ヒトラー最期の12日間に合わせて、ネタができそうなんですが…。

 「鎌倉幕府開幕が1185年だと思っている奴は部屋を出ろ」ではなく「部屋に残れ」だよね…。


 センターの英文が毎年、「英語大好き人間集まれー!」的な内容で、先生にとってはうんざりする内容とのこと。

 ま、個人的にも、そもそも英文としての quality が怪しいんじゃないかとか、同等レベルとされている英検2級でももうちょっといい文章構成で書いているぜっ、っていうのとか、いろいろあるのですが…(いや、センターの長文は読んでないけど…)

 なんて言うか、こういう多様性のある、中国、韓国、ロシアっていう国をリアルに感じるような状況で、英語だけを必須科目っていうのも、何かナンセンスな気がしますね。確かに。

 センター試験は確か、英語だけでなく、ドイツ語、韓国語、中国語あったかな…、いくつかバリエーションのある外国語試験ってことになっているけど、現実としてロシア語や韓国語を外国語の試験に選ぶ受験生は超稀で、現実的な選択肢ではない。

 高校がそもそも第3外国語とか、第2外国語を英語以外の言語で教えることをコンセプトにしていない。
 で、「そもそも人材がいない」とか官僚みたいなことをいい出すんだろうけど。
 「いるじゃねーかよ、すぐ近くにさ。アメリカ、オーストラリア、イギリス、マレーシアよりもよっぽど近いよ。」って言いたくなるのですが。

 もうなんか、いい加減、こういうステレオタイプな発想は、気づいたところから止めてったほうがいいんじゃないかな。

 Aさん:「私は英語ができます。」
 Bさん:「私は中国語ができます。」
 Cさん:「私は韓国語ができます。」

 こういう時代でいいと思うのですが。

 ここらへんもどうせ日教組とか、文科省の官僚が「旧態依然のままがいい! 改革面倒くさい! ヘタしたら仕事なくなる!」って言ってごねているのかなぁ〜。よくわからないけど…。

 ま、もとい、言語ができても意味ないんですが…。
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コメント

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2013年
01月10日
01:38
mouthbirdさん

どもです^^
うんざりと言うか…なんと言うかなのです。

これは「私の中学高校の生活がバックボーンにある所為」だと思います。
 英語教師たちに「人間ならば喋れる。英語なんて言葉なんだ。だから英語が出来るのは当たり前でしょ?」
と6年間言われ続けました。これが全てかもしてません。


 「人間ならば喋れる。英語なんて言葉なんだ。だから英語が出来るのは当たり前でしょ?」…こういうお考えの方々に英語を6年間習いました。つまり英語ができなかった私は中学高校の英語教師たちから人間扱いされませんでした

 私は中学高校時代、英語はひどい点しか取れませんでした。平均点84点のテストで7点なんて点数をとったことがあります。学年最低点でした。通信簿は6年間で赤点以外をとったことがありません。今たまたまニュースで体罰で自殺した高校生の話がTVなどを賑わしていますが、私の場合は英語の小テストの成績が悪く、そのたびに必ず体罰を受けたものです。

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 これはもしかしたら私がオタク趣味だからそう思えるのかもしれません。オタクは「自分はオタク趣味だが、オタクな要素が好きでない人のほうが大勢いる」と自覚しているケースが多いと思うのです。

 ここを見ている方にぜひ聞きたいことがあります。
1・数学教師から「お前はなぜ数学が好きにならないんだ? 方程式って使いたくなるだろう?」と言われたことがありますか?
2・理科の教師から「「お前はなぜ理科が好きにならないんだ? 法則って使いたくなるだろう?」と言われたことがありますか?
3・社会科の教師から「「お前はなぜ社会が好きにならないんだ? 社会の知識って使いたくなるだろう?」と言われたことがありますか?

私はどれもありません。

しかし
4・英語の教師から「お前はなぜ英語が好きにならないんだ? 英語のフレーズって使いたくなるだろう?」と言われたことがありますか?

 英語の場合だけ私には山ほどあります。(ちなみに私は英語のフレーズなんかちっとも使いたくありません)
また英語教師からだけは「自分が如何に理数系が嫌で苦手だったか」という話を伺いました。


私にはこう思えるのです。

 英語教師の多くだけが、
・日本人は誰でも英語に興味がある(そうでない日本人がいるとは露ほども考えない)。
・人は誰でも理数系が嫌いで、少なくとも英語よりは苦手である(英語より数学が好きで得意な人間がいるとは露ほども考えない)。
 という考えを捨てきれない。

ちょっと違いますが私が以前務めていた某語学系の会社の社員さん(女性)はこう言っていました。「パスポートを持っていない人がいるなんて、私には考えられない」

 海外旅行に全く興味がない私は「人間扱いされない」気分でした。

つまり、
英語好き人間の多くは「英語好きになるのが人間として当たり前」「人間として理数系が苦手で当たり前」⇒【そうでない人は人間ではない】という【主観】を、まるで【客観的事実】のように表明し続けている様に、私には思えるのです。去年のセンターは第1問以外の全ての箇所でその主張が出てきた感じです。センターのような客観性を必要とされるような試験でです。

 だからどうしても怒りを覚えるのです。

 【英語】好きだけが「自分の好きなもの(=英語)が嫌いな人間の存在を認めない」ように思えるのです。

 そして英語好きだけが「英語を好きになれ!」と強制するのです。ほかの科目(例えば数学)好きの人に「数学を好きになれ!」って言われたことがありますか?

2013年
01月10日
13:08
neginohanaさん

割り込み失礼します。

私は英語も好きだったので「英語を好きになれ!」と言われたことはありませんが・・・。

数学が大好きだったので、大学で数学を専攻しました。
でも、そのために学生時代、

「ええ? 何でよりによって数学なんか専攻したの?」(完全に変人扱い)
「へえ、すごいねえ。俺(私)なんか数学が一番苦手で」(全然感心した言い方ではなく、つまり変人扱い。しかもその後「俺も」「私も」と数学嫌い話題で盛り上がる・・・ (x_x) )

などと言われ、どれだけ嫌な思いをしたことか。
数学なんか嫌いなのが当たり前・・・っていう風潮でした。
(今でもそうかな?)

英語を専攻している子には

「へえ、英語できるんだ?かっこいい」(素直に感心している)

なのにねえ。
英語が苦手で大嫌いだった人まで、憧れの目で見るんです。

なんで?なんで?

しかも、今、生活に英語なんてまったく必要がない大人まで、英会話教室に通ったり、「英語が話せるようになりたい」と新年の誓いをたてたり、高額な英語教材を買ったりしています。
どうせ本気で努力する気なんてないのに。(ダイエットと同じ)

不思議ですよね~。
英語教師だけじゃないですよ。英語崇拝者は。

2013年
01月11日
00:58
たっつんさん

mouthbird 先生、neginohanaさん

つらつらと、まとまらない感じで書いてしまいましたが…w

>「人間ならば喋れる。英語なんて言葉なんだ。だから英語が出来るのは当たり前でしょ?」

 これはかの有名な安河内先生も言ってますね。学生を勇気づけるつもりで言っているのでしょうけど、それが逆手に聞き取られてしまうこともあるんですね。思うに、英語はまだ簡単な言語のほうだと思います。南アフリカの現地語とか、発音からしてできないです。これをやれといわれてもできないですね。
 あとこれ、確か数学の先生も言いますよ。「大学レベルまでの基礎科目数学なんて人間が発見したものなんだから、みんなにも理解できる」って。「ま…確かに。」としか言いようがないんですが。。
 
 かの名古屋大学のノーベル章受賞者、益川さんは英語が不得意でしたね。そんな彼が英語学習のために研究が進まない、研究を諦めるってのは問題ですよね。
 英語論文が読めないっていうのは研究者として致命的だったかもしれませんが、それでも彼は成果を残したわけです。成果のほうが英語のスキルよりも大事なのは明白です。英語は手段でしかない。

 やはり英語ができないことを理由に才能を潰す訳にはいかないですね。ポイントは英語ができることがすごい、あるいはできないことが問題なのではなくて、最終的には何を仕事として成し遂げるか、ですね。

 ただ僕の意見としては、やはりセンターの外国語、中学、高校、大学での外国語教育は必須選択科目という条件は外して欲しくないですね。あるいはテストじゃないにしろ、こういう成績を修めてきたっていう通知書的な証書制にするとかで(それこそ検定試験とか)、中韓露英、他のいずれかを選択という形で残して欲しいです。
 でも日本の試験ってなんでこう、一発勝負が好きなんですかね。さんざんこれで失敗しているのに。武士道のつもり?なんですかね。体罰といい、なんかこう、いらない味付けがされているというか…、20世紀に置いてきたかった思想や体制を未だに大切にしている人たちが少なくない。。。 まるでかつての自民党の55年体制を見ているかのような。


 neginohanaさんの数学にしろ、語学にしろ、芸術学群にしろ、体育にしろ、やはり科目を理解するということは、ひとつの世界観、価値観を理解することになるので、語学教育はあるべきだとは思うのです。
 A、B、Cさんがどの言語が得意でもいいんですけど、いずれかの言語ができる人であって欲しい。そういう他国の考えを直接理解できる人であって欲しい、と思うのです。日本語のみの思考しかできないっていうのは、これからの社会としてやはり望ましくないかな、と思うのです。
 言語学の世界では「言語は人の思想を支配する」と言われていますから、やはり2か国語以上の言語ができる方がいいと思うのです。外部の情報が生で入っていくることの意義というのは、このサイトにいる人はわかると思いますが、日本が孤立しないための重要なポイントです。

 数学だけ得意でもいい、ダンスだけ得意でもいい、「それ+語学」であってほしい。それが英語である必要はないけど。

 そういう意味とより強い実用性、日本の地理的環境を考えると、中韓露英、他の言語ができる人がバランスよくいた方がいいのかな、と思うのです。そういう「多様性を持つんだ」という意識のある教育者、政治家が出てきて欲しいです。それが最終的には日本を強くすると思うのです。思考力の部分で。

 橋下さんも大阪を New York みたいな多国籍都市にするっていうなら、こういうところも考えてほしいですね。府立大、大阪市大受験のセンターないし2次試験の外国語は中国語、韓国語、ロシア語でもOKだよ、とか。どうせ論文だって英語じゃないんだし。

 こうすれば自然に、「英語じゃなくてもいいんだ」っていう空気になると思います。英語が過剰に偏重されている、見積もられているっていう事実に気づくと思います。

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