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たっつんさんの日記

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2012年
07月28日
05:26 たっつんさん

多読再考

  • 英語の話題
 多読というのは、確かに効果的な方法だと思う。読み書きスキルの土台であり、必要不可欠なプロセスだと思う。

 小学校のとき、国語の教科書を10回読んで来いだの、アリバイを証明しろだの言われながらやってきたことは、私たち日本人の日本語スキルの基礎を構成するのには絶対必要だったわけだ。小1のときより、小2、小3と読む量や語彙が増え、漢字が増えてきたにも関わらず読むスピードは上がっていった経験は誰しもあるだろう。

 それを英語でやる、だけの話。ある意味、言語を習得する際には本質的なトレーニングということだ。時には意味が分からないときもあったことだと思う。それでも、読み進める。そのうちどこかで経験を通してその言葉の意味するところを体験を通して獲得する。
 意味が分からなくても読み進める「素読」の意義は、外山滋比古氏も書籍「思考の整理術」の中で述べている。
 

 多読のあり方について先の国語の教科書を参考に考えてみたい。
 英語教材で多読と言われているものの中には、どちらかというと「広く浅く」という意味での多読ではないだろうか?

 確かに書籍数は多い方がいい。だけど、それが浅い、つまり一冊(あるいは一つの記事)あたりについて読んだ回数が少ないのでは、効率よく英語は身に付かないのではないかと思う。

 例えば、ひとつあたり1,000wordsの20の記事があって、それぞれを1回ずつ読めば当然、20個の記事について読んだことになる。全部で20,000wordsだ。
 それと比べるケースとして、記事を10に限定するかわり2回読んだらどうなるだろうか。読んだ分少量としては、同じ 20,000words だ。

 経験則的に考えて、どちらが定着がいいかを考えた場合、当然後者がいいに決まっている。
 内容の一発理解を目的にする場合は前者がいいということになるが、語彙力をはじめとした読解力の養成を目指す場合、後者のケースでトレーニングをするのがいいと思う。

 多読は読書ではない。あくまでトレーニングだ。中身を味わう必要はない。語彙を獲得することによって内容を精確に理解したかどうか、が問題であり、作風がどうとか関係ないのだ。

 ということを考えた場合、読んだ書籍数よりも、一冊を何回読んだか、という「深さ」のほうが大事だと思う。
 ちょうど幼児用の「えほん」を親が何度も読聞かせるのと同様、同じ記事を何度も読み返す、という単調でつまらないかもしれない過程が、なんだかんだで重要なプロセスになっているのだと思う。
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