http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5752
1ページだけを読む限り、この人も「もしも、古文大好き文学少年が古文科目の教壇にたったら…」のパターンの人だろう。
氏曰く、『英語の授業で「英語の勉強」をしちゃってて、内容に興味が行ってない』と。つまり、彼の持論は『内容に興味を持ってもらえれば、英語はできるようになる!』っていう筋なんだろうな。
この人大丈夫かな。ビジネスコンサルタントの割には、読みが浅くないか? 僕が代わろうか、その高給取りのおいしい仕事。
外国語を第2言語として学ぶ時には、第1言語の「系」がその理解を邪魔する時がある。特に「系」が異なる言語同士の場合は、それが頻繁に起こる。
日本語と英語はかなり相性が悪いと思うから、これに当てはまる。
だから、系=システムの違いの理解を順を追ってしていくのが正統的なプロセスになる。それが文法。
ただ日本の教育の場合、それが偏りすぎというか、全体的な視野が欠けている、あるいはそういう時間が取れていない、のが現状だと思う。
文法だけじゃなくて、文法やって聴き取って、音読するっていうくらいの一文に対する時間のかけ方でいいと思う。
最近特に思うのが単語テスト。これホント意味ない。単語テストなんて、そもそもできないはずなのに。単語なんて、出てくる場面で意味が変わっちゃうから。それを教科書の単元に出てくる意味のままテストしても、中間期末はできても、外部テストでは通用しなくなる。
単語にはそれぞれ核となるイメージ、コンセプトがあるから、そこを掴まないといけないのに、教科書の内容にたまたま出てきた意味で聞いても意味がない。
単語で大事なのは、動詞を中心にした文脈の中でのそれぞれの役割と、使われ方や繋がり方。そういう複合的な視点が常に大事で、ひとつひとつの単語で捉えるべきじゃない。「文法→文脈」っていう「線」で捉えるべき。これは英語ができる人とできない人の境界線になっていると思う。
英語ができない人は、いつまでたっても単語を「単」語として捉えてしまう。その前後の言葉との結びつき方の意識が弱い。
特に動詞は自・他動詞あるし、自動詞は当然、前置詞との絡みがポイントになってくる。自・他動詞の振る舞いの違いっていうのを感じる事ができると、英語のポイントも見えてくる。
世間の英語学習指導者が、ここらへんに時間が割けていないのか、あるいは説明ができないのかわからないけど、ここら辺を理解できないままになっちゃうのが一般的なところだと思う。理解するのも難しいから、一回、二回で理解できるとは思えないし。
日本語学習者も助詞、助動詞、活用形ていう地味なところって勉強するのが苦痛なのか、助詞の使い方等は最後まで課題になっている人が多い。
日本人は日本語を第1言語として使っているから、特に考えなくてもきちんと使えるけど、それを他言語を第1言語にする人が真似しても、日本語ができるようになるわけじゃない。
つまり、慣れだけで第2言語はできるようにはならないってこと。慣れっていうのは、文法とかの基礎ができた人が取り組む話。
ピアノや水泳をできるようにするには、確かにまず初めに弾く人、泳ぐ人のやり方を観たりして、理解するところから入るけど、最終的には自分が練習しないと、弾けたり、泳げるようにはならない。
これって英語も同じで、初めに理解が必要なんだけど、理解だけでできるようになるかっていうとそうじゃなくて、そこから先は「慣れ=量」が必要なってくる。
そういうレベルにある人が、「聞いてるだけで英語ができるようになる」事はあると思う。
こういう全体的な流れだったりストーリー、戦略って教える側も、教わる側も認識をひとつにしておく事って大事だと思うんだけど、こういうコンセプチュアルな話をしてくれる英語の先生ってそういないんじゃないかな?
全体とひとつひとつのコマ=授業がどういう結びつきにあるのか、位置情報って必要だと思うんだけどな。。。
全体のコンセプト、アプローチ方法っていうのを伝える事なく、''Hi, my name is Taro. ''とかって音読を始めても
、授業のための授業になってしまっていて意味がない。もっと言うと、テストのための授業でも意味がない。
アイススケートの金メダリスト、清水選手やサッカーの中田選手は一つ一つの練習に対して、今なんでこの練習をしているのか、いちいちコーチに問いただしていたのは有名な話。彼らは常に練習のコンセプト、目的、意識っていうのを持っていて、試合のどういう場面でどういう力、技術を発揮すればいいのかを意識していた。
だから彼らは、試合の時は練習を思い出しながらやっていたに違いない。だから常に落ち着いているんだ。
こういう意識が英語学習にも必要なのに、教える側が「伝える」とか「教える」っていうことを細かく理解していなかったりする。
ゴールがどこで、今どこにいるのか、これからどういう風に進むのか、を説明していない。
一言で言ってしまうと「森を観る」っていう感覚がないんだ。こういう視点って日本人が苦手とするところで、アメリカが得意とするところなんだけど、英語を勉強してきたはずの英語の先生も結局身に付いていない。英語は勉強したけど、その英語力を生かして欧米そのものを学んではいなかったっていうパターン。
この記事のコンサルタントは、木が見えていないのだと思う。彼は東大卒だから、要するにできない人がどうしてできないかが理解できていないんだと思う。「できる」のと「教える」のは違うんだよ。
見積もりが甘い! 出直し!
そんなことを、この記事を見て思った。走り書きで書きなぐってしまったから、文脈は良くないと思う。
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