よく、年輩で組織の上の方(ただし中小零細企業に限る)に立つ人が、部下の評価について、
「あいつは素直で良い奴だ。」
という人がいます。みなさんもこういう人、会ったことあると思います。というか、こういう人が日本社会では、ほとんどだと思います。
私は、このセリフを聞くと背筋が凍るタイプです(That kind of lines makes my flesh creep.)。
私には、このセリフは、
「あいつは、うるさいことを[=中小企業の社長が嫌う、自分の理解、学を超えた範囲の理論理屈。大企業で多用されるビジネスストラテジー用語、またはその概念等]言わないで、オレの言うことを全部聞いてくれる都合のいい奴だ。」と聞こえます。
社長が間違っているとか、部下のほうが正論だ、とか関係ないわけです。トップの言うことが正論。そういう世界w。
意向にそぐわない部下の言うことは全部、
「あいつは生意気だ。(だって言っていることが難しくて理解できないんだもん!)」という主観100%の評価で片付けられます。
中小零細企業のあるあるとしては、社長に正直、高い学がなく(大学出てるとか関係なく)、自分の理屈が法であり、世界の全てっていうもの。
「今、オレが知っていることが世界の最先端。 TED? なにそれ、おいしいの?」 そういう世界観wwww
例えば、黒いフレームのテレビを観て
「おい、田中。このテレビ、白いよな?」
と言われれば、部下の田中さんは
「そうですね! 確かに白いです! いやぁ〜、さすが社長ですねぇ。鋭い!」
というのが暗黙のルールです。それが中小零細企業という社会を生きる知恵です。少なくとも今日までにおいては。
私が聞いた話では、黒いものを白いと発言したことを詰め寄られた時は、
「黒いカラスが太陽の光に反射して、私にはそのカラスの一部が銀色に見えた。」と表現するそうですwww。
素直、とは日本語ではどういう意味なのでしょうか?
すなお―なほ1【素直】
(形動)文ナリ
1.性格や態度にひねくれたところがなく,あえて人に逆らったりしないさま。「―な子」「―に従う」
2.技芸などに癖がないさま。「―な字を書く」
3.物の形がまっすぐであるさま。「―なるその一ふしもならふやと植ゑてや見まし窓の呉竹」〈新葉和歌集雑中〉
4.飾り気がなくありのままであるさま。「神世にはうたのもじもさだまらず―にして」〈古今和歌集仮名序〉
派生―さ(名)
「1」、ここですねw。
この解釈を、彼等中小零細企業のトップは拡大解釈を行って、誤認しているのでしょう。
敢えて逆らうつもりもなく、物事を極力客観的にまっすぐ捉えたらそうはならない、のに、それを言っても通じないんですね。。。
こちらは、相手のロジックが正しい部分については、受け入れる。だけど相手は自分が間違っていることを決して認めない。宗教論とか、そういう方向に逃げようとする…。
私達、支配下にある世代としては、机上の理論と現実的な処理の仕方を、俯瞰して最大限の総合的判断をして、そのトップの(典型的には、よくある稚拙な主張)話も理解した上で、
「それは違うのではないのですか?」(あくまで疑問形に留める)
と言っているのに、返ってくる言葉が、
「何、お前? オレの言っていること(←人間性を否定されたと勘違いしている)否定するの?」っていう感情論になるんですねぇ。。。
やはり建設的な議論ができない世代が、上の世代には明らかに少なからずいるのは、この日本社会の実態だと思います。
で、この後に続く言葉が、
「お前、素直じゃねぇーよな。(=面倒くさい)」
っていう言葉なんですw
もうね…「お前、残念な奴だな」とか言われても、
「こっちはずっと前から、お前の100倍ガッカリしてるんだよ!」(I've already been God damn disappointed with you for f**kin so long!/I've already got f**kin' upset with you for ... )
って叫びたくなっちゃいますね。
それでね、英語では、どういう表現があるのか?
素直
〘名詞〙
【従順】obedience;
【穏やかさ】gentleness, mildness.
素直な
〘形容詞〙
【従順な】obedient /oubíːdiənt/, docile/dɑ́sl/;
【穏やかな】gentle, mild;
【おとなしい】meek (!通例悪い意味で) .
meek(ness) と言う言葉が、彼等の言う「素直さ」ではないでしょうか? 日本語の意味では、厳密には彼等の望むような言葉ではないと思いますね。
meek(quiet, gentle, and easily imposed on; submissive: )
これね、つまり、
英語には悪い意味での「素直さ」が存在するってこと!
ね。言語学ですよ。こういう言葉が生まれる国と生まれない国の社会文化的土壌、背景に想像を巡らすと、やはり英語圏は、主張してなんぼの世界。あってるとか、間違ってるとかはその次の話で、まず主張しろ、という世界。
アジア圏の日本は、徳川さんのおかげで儒教的観念が広まっていて、「お上ありき」の社会観になっています。それが幕府の統治においても都合が良かったから。だから、素直(≒従順)であることが悪いはずがない、っていう風な考えしかない。
政治力学的に考えた時、権力を持つ上の立場の人間には、やはり自分の要求、都合に合わせて動いてくれる方が、時間的な都合と金銭的な都合を含めた経済的なメリットを思い通りに享受できるわけです。
そこで異論をいちいち唱えてくる人は、邪魔なだけなんです。それが仮に正論であっても(多くはどちらが正論というよりも、思想主義等の主張、やり方、考え方の違い、世代間のそういったギャップだと思います)。
ある経営コンサルタントは、学や社会の理論理解の層的なギャップ、つまり理解している層と理解していない層の間に生まれる価値観の違い、差は埋まることがなく、その両者が話をしていても話が噛み合うことは永遠にない、と言います。
これは本当だと思います。
私が物事を精査に分析する哲学に惹かれるのは、こういった煩雑な問題に対して、何が正解なのか、あるいは正解に近いのかを答えてくれるからだと思うのです。
また「ああいう風にはなりたくない。」と、そういう思いからなのかな、と思うわけです。
何か哲学には、宗教的な救いを感じる時がたまにあるのです。
「そう! その通り! よく言ってくれた!」っていうようなw 「あぁ〜、よその経営者はいい事言うよなぁ〜。。。 スマートだよなぁ〜…」みたいな感じです。
現状はそんなに綺麗にいかない、とは今日の組織論の回答らしいですが。。。
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