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毛蟹娘の育て方・・・・子育ては親の独りよがりかもしれないけれど
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1: maikoさん
あーすさん、ありがとうございます。 女の子って本当、難しいです。 長女はちょっとみんなと違っただけで、大変でした。 着て行った洋服がちょっとみんなと違っていて、お友達に『なんかヘン』って言われたらもう二度と袖を通しません。 だから私は、いつも周りの子をチェックして、みんなと同じにしました。 ある時、『これみんな持ってるから買ってあげるね♡』って言ったら、『もう私は私なんだからいいのっ』ですって(笑) 読み聞かせは私も大好きで、1人何役もOKです。小学校のボランティアもしました。 長女は主人に似て寡黙で、声も低くて歌ったり、英語話すのも恥ずかしい。 でも、最近『この前、おじいさんの声で教科書読んだら褒められたよ〜』なんて言ってました〜。 絵本と言えば、わたし子供の頃は、『こどものとも』がどっさり押入れの袋戸棚にあって、二段ベットの上からちょうど出し入れ出来るようになってて、もう、一日中絵本の世界に入っていましたけど。 うちの子本当、絵本読みません
2: green-geckoさん
朗読って不思議ですよね。 読む声って、なんか場をつくる力を発揮するときがあるのを感じます。 母は、視覚障がいのある方々のための録音ボランティアをしていたので、家でいろいろな文書を朗読して録音していることがありました。けっこう上手でしたよ。 わたしは、感情をたっぷり込めた朗読を聞くのは苦手です。 わたしが感じることと、読んでいる方の感じていることが食い違うことが多いので、 ああ、そこはそういう気持ちで読まないでほしいなあと、思ったりすると本の内容に集中できないから。 なるべく無表情にたんたんと読まれる朗読が好きです。昔ラジオの朗読の時間があって、それはわりあいにそういう読み方だったので好きでした。 たまーに、仕事がらみのイベントで、子どもたちに読み聞かせをしますが、 無表情な低い声で読むと、わりと集中して聞いてくれる気がします。 絵本はどうなんでしょうね。 わたしは、母が「ぐりとぐら」を読んでくれたのは、とても楽しい思い出です。 「はちゅうるい」という絵本も好きだったけど・・・あれは、字があったかなあ・・・・
3: neginohanaさん
長新太の「ぼくのくれよん」 楽しい絵本ですよね~。 もう20年も前に出版されたようですが、今でも子どもたちには人気があります。 今日見たのですが、図書館のそれはボロボロになりかけてました。 一過性でなく、何十年も支持されている絵本にはそれなりの理由があるはずです。 人によって好き嫌いがあるのは仕方ありませんが、 「この本はよくない」と決めつけるのはいかがなものでしょうか。
4: たっつんさん
なんか今回のは打って変わって、ドキュメンタリータッチですね。いつもある意味、フィクションではないドキュメントですが…。 物語に結論はいらない、ですか。深いですね。 私は、国語とか、理科もですが、ひと通り話が終わったり、実験の結果が出ると、 「で?」 っていう、大人が興ざめする疑問を持ってしまう感じでした。 そこは男性的というか、「で、結論は何なの?」「それがわかると、何がどうなるの?」っていう疑問があったと思います。「なんで大人は最終的な結論を示してくれないんだ?」といったところでしょうか。 でも今、earthさんの記事を読むと、「結論をそう急ぐな。」というプロセスを大事にする考えにも、共感できるような気がします。 >結論を出すこと自体、子供に必要だろうか? >全ての物に、「意味」という、大人の枠にはめる必要があるだろうか? この絵本に登場する「ぞうくん」はまさにそのエネルギーの象徴だと思った。 だから。世間で名作と言われなくても、結論が良くないと言われようと、とりあえずは楽しめればいいんじゃないかな。 言われてみれば、そうかもしれません。本を読むということ自体を好きになってもらえるというのは、そこからずっと続く大事な財産になります。結局、今私達が読む本が難しいのは、その手前に読むべき本を読んでいないからですよね。それを考えると、ほんとうの意味での「積読」がその個人の知的財産になります。それを体得できている、ということは大事なことだと思います。 まず、本とそのストーリーを楽しんでもらう。大事な入り口だと思います。 >「ねえ、お母さんと一緒で楽しかった?」 親御さんならではの疑問ですね。 私が思うに、家族なので、近いほど深い言い争いや闘いがあったと思います。しかしながら、おおよそ完全な人間など存在しないわけでして、その不完全さを、それが親だからといって、責めることはできないのではないでしょうか。 むしろ、評価するべきは全力であったところだと思います。
5: earth-riseさん
>>1 maikoさん 子育てって本当に大変ですよね。 お子さんが絵本を今読まなくても、子どもの頃の体験は体の中に蓄積されているはず。きっとお子さんがお母さんになったら、たくさん絵本を読んであげると思いますよ。 自分が子どもにした事の影響がいつ出るか、どのように出るか分からないのが子育て。怖い所でもあり、楽しみな所でもありますね。
6: earth-riseさん
>>2 green-geckoさん 読み方は、感情を込めるか、感情をこめないか、読み手の方たちで、いつも課題になる事ですね。 私がやっていた読み聞かせは、2~3歳児が対象でしたので、感情をこめ、ある時には絵本に書いていない事も言ったりしました。まだ小さい子どもたちは、自分で想像できなかったりするので、注意力を喚起して次の展開につなげるためです。 もちろん、そういうことを一切しない読み方もありますが、それはもう少し大きくなった子どもたちの時でした。 自分で想像して世界を作り上げることができる子達には、読み手の感情は子どもたちの世界の邪魔をしてしまいます。ですから、その想像を広げる助けになる程度にとどめます。
7: earth-riseさん
>>3 neginohanaさん そうですよね。 本って、好き嫌いはあるけれど、良い悪いって、決められませんよね。私と毛蟹の好みも違いますから、毛蟹が小さい時は、図書館の司書の人にいろいろ選んでもらいました。自分で選ぶと偏ってしまうので。 毛蟹は、「まめ」という、いろいろな種類の豆のが書いてある本と、「マリモ」という、説明がいろいろ書いてある本が好きでした。「なぜ好きなの」と毛蟹に聞いたら、「何故だろうね」と笑っていました。
8: earth-riseさん
>>4 たっつんさん たっつんさんの気持ち、わかりますよ。 私も、物語や映画で、「え?これで終わり?で?どうなったわけ?何が言いたかったわけ?」って思ったりしますから。すごく腹が立ちます。この中途半端な気持ちをどうしてくれるんだって。 絵本を読み聞かせるためにいろいろ読んだ時思ったのですが、子供にそういう理性的な結論を示す必要は無いのではないかと思います。子どもに必要なのは結論ではなく、共感ではないかと思うのです。善悪とか、理論的とかでなく、「あー!すっきりした!」という気持ではないかと。 共感できると「すっきり」しますが、共感できないと「もやもや」で終わってしまいます。ですから、小さい子供の読み聞かせでは、読み聞かせの時間が終わった時、「もやもや」ではなく、「すっきり」で終わることが大事なのです。 たっつんさんは、たっつんさんが「すっきり」する本を読めばいいわけで、世間で面白いとか良いと言われる本だって、「もやもや」で終わるなら、それはたっつんさんの本ではないと思えばいいだけの事でしょ? 私の「かいじゅうたちのいるところ」と同じように。 子育ても同じなんでしょうね。 親のすることが子どもにとって「もやもや」に感じられるのが一番嫌なことかも。 親が間違っても、どこか子どもが「すっきり」と感じられればいいのかもしれないなあ、と思います。
9: maikoさん
>>5 earth-riseさん ありがとうございます。 この子全然本読まないから、興味ないのかしら?とかはおいておいて、お母さん昔読んでくれたな〜。って思い出してくれるだけでもいいですね。 それにしても、感情をこめない読み聞かせもあるなんて、知らなかったです。 いつも、たっぷり演じてるので( ̄◇ ̄;) もし、自分が子供だったら、たんたんとした朗読は居眠りしちゃう(笑) みんな、それぞれですね。
10: earth-riseさん
>>9 maikoさん アニメとかでありませんか?主人公の声が自分のイメージと凄く違っていたとか。 感情が入りすぎた読み聞かせって、そんな感じです。 このことについて、毛蟹に絵本を読んだとこのことがありますので、今度日記に書きますね。
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