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たっつんさんの日記

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2012年
09月02日
02:27 たっつんさん

最近、気になる分野 ー現代史

英語の記事読んでいると、いろいろ知的好奇心をくすぐられるものでして。

 正直、ネアンデルタール人とかクロマニョン人とか、ホモサピエンスとか、人類考古学的な事はあまり興味ないのだが、それでも記事を読むと、「そういうえば、人類はどういう順番でどう流れて来たんだろう?」「一つの類人猿から派生したのか、それとも黒人とか白人とか黄色人種には、いくつかのベースになる類人猿とかがあったのか?」と考えると、「鳥(鶏)と卵」式に、どっちが、あるいはどれが先か考えると終わりがなく、眠れなくなる。

 生物遺伝子学をはじめ、関連する学域の研究、理論が進んでもなお、未知の部分が多く残るってところが、学者たちの情熱を燃やし続けているのだろう。納得できる話だ。

 ただ僕が今一番興味があるのは、かなり近い過去の人類考古学、日本現代史。ちょうど戦後あたりからの日本。築きあげた財産をほぼすべて失い、焼け野原と化した、東京、横浜、広島、長崎、等々の主要都市を抱えた日本の再出発物語(それでも残るものはちゃんと残っていた、というある経営コンサルの考察)。文字通り、ゼロからと言わず、−100からの出直しスタート

 天皇制=立憲君主制という根本的な政治システムを失い、Douglas MacArthur(=マッカーサー)による新しい秩序=the new orderに揺れ惑う日本。当時を動かしていた政治家は、白州次郎吉田茂をはじめとした偉大な政治家たちだ。

 彼らは、今のような確固たる理念もなく、組織票を求めて三千里、既得権益死守するべく右往左往する politician ではなく、白州次郎の言葉を借りれば、「principle のある」 statesmen だ。
 マッカーサー相手にハッキリ主張した政治家たちの時代、また、秩序なき時代を法律や警察に代わって秩序を創り、各「シマ」を実行支配していた山口組をはじめとしたヤクザたちの「仁義なき戦い」の時代でもあった。(今は役割を見いだせない文字通りの「ヤクザ」の、元来の社会的立ち位置をご存知だろうか? 知りたい人は映画、'The God Father' を観よう! This is how the world systems work!

 思えば、政治家もヤクザも最終的にやっている事は本質的には同じ部分もある。厚生年金は、第2次大戦中戦費を手っ取り早く調達する手段として施行されたし、借地借家法は世帯のある男に、「嫁と子供の事は政府が責任を持って面倒観るから、心配しないで心おきなく戦地で散ってくれ!」という理念の元、設立された。
 結局、政治もヤクザもやってることは本質的には一緒なんだ。ついでに言うと、そんな日本政府を、それでも信用しますか?っていう話)

 ー現代というのは、世界の秩序が変化した米ソ和平、80年代のバブルが終わって、90年代からの失われた20年があって、9.11を経て、3.11っていう日本の社会構造までも揺るがす出来事を経験している。

 さらに、中国、ロシア、韓国との領土問題にゆれ、nationalismに揺れている。今回の騒動の新しい局面は、日本国内においても、知識層と言われるいわゆる日本の舵取りに関わるようなトップ層にも、右寄りの思想を口にする人が出てきた事だ。
 この状況はまさに、日本が明治以来、富国を目指して、列強から独立を守ろうとしてきた時、あるいは大戦前大戦中似ているのではないだろうか。

 人間は歴史を学んでいても、やはりどこか他人事○×テストの科目でしかないようだ。
 実際の経験がないから「弱腰だ」と政府を批判し、また懲りずにヒトラーのような人間を選択し、戦争に向かうのか? これを止めるのは、やはり深い思考力、logical & critical thinkingしかない。

 歴史学の奥義は、穴埋め選択問題じゃたどり着けない哲学的ないし人文社会学的ideologyの考察というところまでいかないと、理解している事にならない。だから東大の問題にはマークシート問題や選択問題がない、全て記述式。そして慶応入試の日本史の問題には、200字の記述式回答問題がある。

 また、地方公共団体の横浜市神奈川県大阪府では中央を振り切る、独立志向の政治を始めようとしている(神奈川「州」という発想。おそらく地方交付税等の撤廃を目指す、中央政権支配からの脱却等に起因している)。

 つまり、「今、日本は秩序を再構築しようとしている」と言える。日本の戦後現代社会という築き上げてきた日本の秩序、システムを改めて問いただす、「deconstruction (=脱構築)」が強く求められているのだろう。

 特に3.11での政治家や大企業幹部の不甲斐ない管理、準備、対応は、第2次大戦の前・中・後におけるあらゆる場面における判断力、決断力のなさ、情報隠蔽体質と同一、つまり、あれから日本は本質的に何も成長していないし、何も変わっていない、という指摘をよく耳にする。その通りだと思う。

 やはり、これからを探ろうという状況においては、歴史学を深く追求する「思考と洞察」が必要だと思う。そこに必ずヒントはあると思う。
 それゆえ、吉田茂等の人物に興味を覚えるんだ。

吉田茂の人物史を振り返り、現代を読み解く現代史ドラマ
http://www.nhk.or.jp/dodra/dodrasp/index.html#d11
久しぶりにバラエティ以外でテレビが観たいと思った。


なんと1897年からのthe Japan Times!
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コメント

1番~3番を表示

2012年
09月02日
14:21
mouthbirdさん

英語よりよっぽど日本史の方が得意なマウスバードです。こんにちは。

入試問題は政治理念を学ぶものではないので、イデオロギーまでは要求されません。ただ入試の記述問題は「原因」とその「結果」を尋ねるものが多いです。

 歴史は全般的に興味のある私には、冷戦の終結が1つの転換点に思えます。この数年後にバブルが弾け、政治的にも経済的にも転換せざるをえなくなったと思います。まさに「この時に崩れたバランス」が現在まで続いており、現在まで不安定なまま。この不安定なままの政治体制が「原因」で、これから、何らかの大きな「結果」が生まれるのではないか、と私は思います。何が起こるかわかりませんが。

2012年
09月02日
16:43
たっつんさん

 あぁ、確かに時系列は、米ソの和平が先でした。そんなに新しくないですね。あれで、ベルリンの壁も消えた訳ですし。

 僕があの早稲田の予備校で教わった日本史の先生は、石黒拡親氏という方だったのですが、川田先生と同じく、あの予備校の2大巨頭だったわけです。彼は野村ID野球のごとく、日本全国の日本史の問題をデータベース化した、石黒ID日本史でした。各学校の傾向とキーワードを当てる先生でした。

 石黒先生は、高校教育における日本史についてよく苦言を呈していました。日本史で一番重要なのは戦後の思想史だ、と。でも実際は3学期の後半に差し掛かり、だいたい終わらなくて「後は読んどいてね」で終わっている。一番重要なところなのに、と。
 日本史は暗記科目のように思われているけど、本当はそうじゃない。本当は考える事が求められている科目なんだ、と。つまり、彼は入試を越えて、大学における歴史学の向こう側を観ていたのだと思います。

 Oxford大学の入試がどういう問題か、という本を立ち読みしたのですが、法律を絡めて、「〇〇が〇〇であることは正義か?」というような哲学的問いを入試に出しているそうです。フランスのバカロレアも「知識は思考を越えるか」という問いを出しています。

 現代文しかり、数学しかり、世間が「考える力、考える力、…」とひたすら連呼する理由が年を重ねるごとに理解できます。日本の教育は、先のフランスのバカロレアで言えば「知識を優先させた」教育だと認識しています。アメリカは概念を選びました。その結果が今の情勢だと思います。

 私にとっては、知識というのは「点」であり、0次元の情報でしかないと思うのです。「線」は「点の連続」なので、やはり知識もそれぞれの知識を有機的な繋がりとして、1次元の線として繋ぎ、次に2次元の面としての情報とし、最終的には3次元の立体としての情報にしていく必要があると思うのです。



 ー今後については、大阪市の橋下さん率いる維新の会を契機に、動き出すそれぞれの自治体に注目しています。都市計画学の分野では、横浜は昔から中央政府の言う事を聞かない自治体として有名です。腰の重い中央政府の判断に業を煮やし、独自の規制を設け都市計画規制を設けました。
 それゆえ優れた都市計画を実施し、管理しています。そういう横浜が大阪の勢いに乗って、神奈川県も巻き込み、大きなうねりを生み出そうとしているのは、容易に察しがつきます。

 神奈川州が実現すれば、中央と地方の関わり方、つまり現状の秩序が根本から変わります。当然、他の都道府県も同様の行動を取ります。the United States of Japanの誕生です。橋下大阪市長の「維新」に込めた真意はここにあると思います。何か幕末の、長州、薩摩藩等による中央政権の打倒に似た空気を感じます。「維新2.0」です。
 思えば、日本や世界というのは、常に既存の概念を塗り替える動き=脱構築を繰り返してきた訳ですよね。ということはこの動きもある種、人間の摂理なのかとも思います。

 この「お上ありき」というアジアの性質として典型的な政治的傾向を打ち破る動きは、アジアの新しい秩序になるかもしれません。アラブの春がアラブ地方の政治を動かしたように、日本に新しい秩序が構築されれば、その一部始終を観察した中国も、それを皮切りに動くはずです。「天安門2.0」も起きるでしょう。

 中国が引き起こす国内外の問題の多くの根本は、共産党の既得権益を守るためですよね。だとしたら、この共産党の独裁政治が倒れ「小さな政府」となり、各省が独自の、アメリカやその時の日本の州制度を取り入れ、現場主義を重んじる政策をとれば、その影響はあらゆる方向に様々な展開をもたらすと思います。
 アラブの春の経過を観る限り、民主化というのは、やはり賢明な市民を基本としているのだと実感できます。民衆がバカだと成立しないのが民主主義で、それならかつてのブータン王国のように、賢明な王が絶対君主として君臨する方がいい。

 おそらく世界は均質的な方向に向かうのだと思います。地域という矛盾する「個」を内包しながら。現に今、そういう方向に向かっているのだと思います。境界を薄く、低くしている段階だと思います。
 ただ境界は、薄くすればするほど、低くすればするほど、不思議と逆説的に、よりはっきりと意識されてしまうものです。今というのはそういう状態なのかと。あるいは今までがそうであったように、今後もこのより薄く、より低くなり続ける境界を意識し続けるのか、でしょう。

 ここ近年は Facebook 等の virtual な世界が世界を動かしましたが、これからはその反動でreal world が小さな変化を重ね、どこかで連鎖的に、爆発的に動き出すような気がします。

2012年
09月04日
01:08
たっつんさん

>入試問題は政治理念を学ぶものではないので、イデオロギーまでは要求されません。ただ入試の記述問題は「原因」とその「結果」を尋ねるものが多いです。

 日本史科目においては、因果関係だけが問われるというのは納得できます。そのプロセスや背景にあるイデオロギーについては、現代文が担っているのだと思います。日本史に文学史の問題が出るのもそのためだと思います。

 だから、どこまでが現代文で、ここからが日本史という縦割り的な発想ではなく、複数の科目の関連性や総合性みたいなものが、互いにオーバーラップして見えてくる学生は、受験勉強が真に意味あるものになっているのだと思います。そういう悟りを開けた学生が早慶上智、ICU、東大、京大にいくのでしょうね。

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