シリアで内乱が続いている。
私の新婚旅行は平成1年、シリアとヨルダンのツァーだった。
私はNHKの「未来への遺産」というシリーズが好きで、高校生の頃、欠かさず見ていた。その本も全部買った。本を大事に見ながら、シルクロード、中東は人間と時のドラマに満ちていていつか行ってみたいと憧れた。
夫と知り合い話をしたら、夫も「未来への遺産」が好きでテレビを見、本もシリーズを全部買っていた。
新婚旅行は当然遺跡に行こうということになった。
最初はアフリカのタッシリナジェールの砂漠の壁画を見に行こうということになったが、飛行機のオーバーブッキングがしょっちゅうあり、下手をすると夫の2週間の休暇以内に帰れなくなる可能性があるかもしれない。
どこにしようといろいろ探していた時、新聞の広告に、「シリア・ヨルダンの旅10日間」というのが目にとまった。日程もぴったり。しかも私たちが希望する出発日のツァーが一番安い。
夫に話したらもちろん賛成。すぐに決まった。
参加者十数名のほとんどがおば(あ)さま、おじ(い)さま。もうメジャーな都市はほとんど行きつくし、残っているのがアラブという感じの話が飛び交っている。
私は外国旅行は2度目。夫は初めてである。新婚旅行でこんな所に来る人は初めてだと添乗員に言われた。ツァーの人達にも「最初の海外旅行がここだとは珍しいね。」と言われた。
最初に着いた都市がシリアのダマスカスだった。
貸し切りバスに乗ってダマスカスに近づくと、バスの脇に子どもたちが集まって笑顔で私たちに手を振る。ダマスカスに入ると大人たちも笑顔で私たちに手を振る。
何故手を振られるのかよくわからないけれど、私たちも手を振り返してみた。すると、フセインのような顔をした怖い顔をした軍人も手を振ってくれた!
これですっかりお手振りスイッチが入ってしまった私。どこに行っても笑顔で手を振ってくるシリアの人達に、私と夫も手を振り続けた。
街中で写真を撮ろうとすると、あっという間に周りにシリアの人達が集まり、一人+背景という写真の予定が、十数人+背景という写真になってしまう。シャッターを押し終わると、その人達は笑顔で何か言いながら立ち去ってしまう。お金を請求するわけでもない。なんだかよくわからないけれど、写真を撮ろうとするとあっという間に大人も子供も写真に入ってくるのだ。
日本人が珍しいのか、こちらを見る人達が多い。赤ちゃんを抱いたお母さんが笑顔でこちらを見ながら旦那さんに話しかけている。私が手を振ってみたら、お母さんとお父さんが笑顔で手を振ってくれた。どこに行ってもみんな笑顔。
驚いたのはバス。バスの屋根の上に羊がたくさん載っている。どうやってあの上に乗せるのだろう。しかもかなり揺れるのに、どうして羊は落ちないのだろう。
郊外に行くと、道路が羊に占領され、バスが止まってしまった。羊の群れが横断し終わるまでバスは待った。
トイレ休憩で寄った雑貨屋の細い通路の両側には、体の大きなフセインのような人達がズラーっと立っていて、あまーいお菓子を食べている。アラブはお酒は禁止なので男の人達は甘いお菓子を食べるのだそうだ。でも、イメージが合わないんだよねー。あのひげを生やした怖そうな顔と甘いお菓子が。
アラビアンコーヒーがまたすごい。小さなガラスのカップに注がれたコーヒー。その半分がお砂糖。夫が「ノーシュガー」と言ったら不思議そうな顔をされた。このコーヒーの値段、ネスカフェよりずっと安かった!
トイレがまたびっくり。
日本と同じしゃがむタイプ。しかも便器の近くにホースが置いてあって、用がすんだらこれで水を流すわけだ。男性の方はかなり便器が高くて、日本人には使いづらかったそうだ(笑)。
いたるところにアサド大統領の大きな写真が飾ってあった。
あちこちに銃を構えた軍人がいた。銃など見たことが無かったのでびっくりしたが、私たちがこわごわ手を振ると、皆にこりともしないけれど手を振ってくれた。
パルミラ遺跡、クラック・デ・シュバリエ、ボスラ遺跡・・・・、後どこに行ったかよく覚えていない。
そうそう、あと、イエス・キリストが話していた言語を今でも話しているという村にも行ったっけ。そこの古い教会で、そのアラム語という言語をテープで聞いた。
どこに行ってもフレンドリーで笑顔にあふれていた。
その後ヨルダンに入ったら、町は裕福そうだったけれど、人々の顔には笑顔はなかった。なんだか冷たい感じで、私たちに笑顔を向ける人も手を振る人もいなかった。
「シリア、よかったね。みんなすごく笑顔だったよね。」と夫と話した。
テレビや新聞でシリアのニュースを見るとあの時の事を思い出す。
いつの日か、またあの笑顔にあふれた日々が戻りますように。
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