耳タイプはこの「英語を言い合う行為」を「
英会話」と認識している
が
意味タイプはこの「英語を言い合う行為」を「
演劇のセリフの練習」と認識している。
私は意味タイプのなので、よくあるこの光景が「
英会話」には全く思えない。「
演劇のセリフの練習」以外の何物でもないと今でも確信している。
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私が思う「
英会話」というのは
誰かが喋った「
初めて聞く英語」を
→まずは「
聞き取り」
→その
英語の意味を把握して
→それに対する
適切な表現を「
英語で返答をする」
ことだと思っている。
けっして
予め「わかっている英語」を誰かが喋り
→聞き取ろうが聞き取るまいが
→その英語の意味など把握しようがしまいが
→
予め喋ることが決まっている「英語を相手に向かって言う」
ことではないないと思う。
↑
これは「
演劇の練習」以外の何だというのか??
私はこの漫画のような英語の練習(
演劇のセリフ練習)を私は中1の頃からさんざんやらされた。私はこれが苦手だった。漫画の坊主くんはまがりなりにも言えた。しかし
私はまともにこれが言えたことが中学高校を通じて1度もない。
参考
http://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2006/07/p...
しかし、
英語が得意な同級生はこれをサクサクやっていた。「どうしてこうも私とは違うのだろう?」と長年思っていた。
この謎は、大学時代に解けた。
才能の差だったのだ。
「単語1個1個の意味を覚えるよりも、(意味もわからず)英文(例文)を丸暗記するほうが楽だ」という人たちを発見した。
参考
http://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2005/11/p...
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その後
●
耳タイプの多くは「
英文を(
意味などどうでもよく)
容易く覚える能力」に長けているが
●
意味タイプの多くは
「この能力」が疎い。さらに「英文の「
意味」を
音より重要に考えるので、
音がどうしても
後回しになる」
ということを発見した。
「
英文を(意味などどうでもよく)
容易く覚える能力」が高い人は、このようなスキット練習が
楽であろう。そして漫画のように褒められる。拍手もされる。
ネイティブの先生もいい笑顔で応対するだろう。
しかし
「英文を(意味などどうでもよく)容易く覚える
能力」が低い私のような人は、このようなスキット練習が
地獄だ。何度やっても覚えられない。だから言えたとしてもつっかえつっかえ。
ネイティブの先生も渋い顔しかしない。
仮にネイティブの先生が漫画のように「グッド」と言ってくれたって、そんなのは「嘘だ」ということは自分が一番よく知っている。得意な奴らや先生からは「真面目にやってない奴」としかどうせ思ってくれないのだ。
それにしても不思議なのは、どうしてこの「
演劇のセリフ練習」を「
英会話」と思える人間がいるのだろうか? 仮に完璧に「セリフ」を覚えたとして同じ状況なんか実際にまず出くわさないだろうに。
…という疑問を「
耳タイプの生徒」にぶつけたことがある。返事はこうだった。
「完璧に同じじゃなくても、だいたい意味は分かるし、返事は適当に返せる自信はある。だから問題ない」
合点がいった。
耳タイプは「正確な意味なんてどうでもいい」と思っているので、「
返事も大体あっていればいい」と考えているのだろう。
一方「
意味タイプ」の私は「
正確に意味を聞き取り、正確に返事をしたい」と考える。だからこういう「
英会話」(演劇の練習ではない)を
【一番ハードルの高いもの】と認識している。
英会話ほど難しくないにせよ、
英会話まがいのこのような「演劇のセリフ練習」も
意味タイプにとってはハードルがかなり高い。したがって、少なくとも私は英会話が大嫌いである。
ところでなんで、このスキッド練習が終わる時、拍手を強要されるのだろう? それだけ日本人が英語を発音する(英会話ができるではない)のは難しいということなのであろうか???
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とりあえず 「耳タイプ・意味タイプ」の漫画シリーズはいったん休止。再開は8月後半の予定です。
●耳タイプ・意味タイプの詳しい説明は
こちら。
●耳タイプ・意味タイプの4コママンガの第1回目は
こちら。
金曜日は、ニコニコ英文法生講義。
来週の
月曜日は雑談。
新しいレギュラーの話は
再来週の月曜日から始めます。
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