久しぶりに英語を教えるようになった時の結論→英語の先生も学習者→「1つの良いやり方があり、それは万人に共通する」と思い込んでいるせいだ。
私は卒業後は古本屋に努めてました。10年ぐらい古本屋をやってました。英語とは無縁でした。世の中はネットの時代になりました。私も何かwebサイトを開設しよう、と思って作ったのが「本気で嫌いな英語を何とかする方法」というサイトでした。今も修正を加えながら現存しています。
http://www.ye-study.com/
同時に受験関係の掲示板で英語に対する質問に返事をしていました。ここでいくつかの発見をしました。
その1つは、「文法必要派」と「文法不要派」のバトルでした。
ある人は「英語学習に文法は必要だ」と頑強に主張します。
別のある人は「英語学習に文法は不要だ」と頑強に主張しているのです。
共に自分の説を曲げません。
私はこう思いました。
→「自分のやり方がみんなに当てはまってると思っているのだなあ」
前々回↓
http://q-eng.com/diary/22106
私は↓こういう結論に
英語が得意な人は、文章を丸ごと覚える能力に長けているんだ!
→覚えている例文をデータにしているから、文法がそれほどいらないんだ!
英語が苦手な人は、文章を丸ごと覚える能力に長けているんだ!
→例文データが頭に入らないから、文法で単語を繋げ合わせる方法が必要なんだ!
つまり
AにはAにあった方法がある(例えば文法度外視)
BにはBにあった方法がある(例えば文法最重視)
と思うのです。
ところが、英語の先生を含み、学習者も
⇒「1つの良いやり方があり、それは万人に共通する」と思い込んでいる
と思うのです。
だから、ネット上で「文法派と非文法派でバトルしている」という状態になっていると思います。
ここで学習者側を考えてみましょう。ここにBという学習者がいるとします。
BにはBの方法でやれば楽なのに、A先生ががA先生にあった方法をBに押し着せる場合があります。
この場合、
⇒Bは苦しく、上がる成績も上がらない…
となってしまうのです。
普通は↑こういう学習になってしまうのです。だから、
自分に合った方法で学習すればいいのに…と思うわけです。
しかし!!!…
この続きは来週。今週の金曜日はニコ生英文法講義。この続きは来週の
月曜日です。
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