• ようこそゲストさん!

mouthbirdさんの日記

(SNS全体・外部に公開(Web全体に公開))

2019年
09月02日
18:50 mouthbirdさん

大学入試改革-英語-(3)

 前回このように書きました。
 
「英語の大学入試改革」に賛成していらしゃる方々は大きく分けて2通り。

 1・英語がかなり得意な方々(社会人・高校生を含む)
 2・英語が全くできないのに(ので)、子供は英語ができて欲しいと望む大人

前回は1のみについて書きました。
今回はのみについて書きます。


 2・英語が全くできないのに(ので)、子供は英語ができて欲しいと望む大人

自分が英語が話せないのは、完全に「教育制度のせい」だと考えるタイプです。自分たちの世代は、4技能なんかが中心ではなかった。読むのばっかりだった。だから喋れないのは当たり前だ、と考えているわけです。


 じゃあ「読むのはできたんですよね?」と私はよく聞きます。すると彼らは大体苦笑いします読むことばかりやらされたのに、こういう人たちは読むのでさえ苦手だったはずです。


 読むだけでも大変なのに、書く、喋る、聞く、と全部を要求されるのが今回の入試変革です。
 子供がどれだけ大変なのか
、推して知るべしなのです。

でも、彼らはそういうことを考えられません。
だって自分はもう英語の勉強をしないからです。

 それでも彼らは【自分が英語が話せないのは、完全に「教育制度のせい」だと考えるタイプ】です。
((なんかよくわからんが)喋るように訓練されてないのが悪い!)
ぐらいにしか考えていないと思います。

 だから彼らは、「英文を読むことすら苦手」だったんだと私は思います。

 英文を【読む】ことすら苦手だったんだから
 ⇒彼らが子供に戻って「英語を【喋る」ことだけやらされ」ても、おそらく彼らは「英語を【喋る】ことが苦手」になったと思います


 金曜日の夜11時からはいつものニコ生英文法講義です。次回は来週の月曜日です。

(↓Q-Eng連載分の目次はこちら)
目次ページへ
(アルク連載分の目次はこちら
  • 総アクセス数(1,381)
  • 拍手拍手(0)
  • お気に入りお気に入り(0)

コメント

1番~4番を表示

2019年
09月04日
00:04
エリオットさん

久しぶりです。

予備校は夏期講習が終わり、今週から後期の授業が始まりました。

>自分が英語が話せないのは、完全に「教育制度のせい」だと考えるタイプです。

もうずいぶん前から言われてきたことですね。そのたびに文科省は教育制度を「改革」という美名のもとに改悪してきました。30年以上も前から、文法の教科書を廃止してまでコミュニケーション重視を声高に叫んできましたが、大した成果も上がっていない、いやむしろ読解力まで犠牲にしてきた、と言わざるを得ません。4技能はおろか、1技能さえ危うくなってきている始末です。

文科省は十分な検証もせず次々と絵に描いた餅を提示します。これでは、受験生、親、そして現場の教師にとって甚だ迷惑な話です。誰のための改革なんでしょうかね。もう英語重視の教育はやめませんか、と言いたくなります。英語以外にやることがたくさんあるわけですから。

グローバル化という脅し文句は経済界や文科省、それに利権を有する団体には心地よい響きなんでしょうけど、多くの受験生にとっては残酷な響きです。speakingとwritingに関しては、複数ある外部の試験から選択するわけですが、公正さをどう担保できるのでしょうかね。昔のように、各大学に入試制度を任せた方がいいと思いますが。

2019年
09月04日
16:56
mouthbirdさん

>>1 エリオットさん
ご無沙汰です。お元気でしょうか? エリオットさんのコメントは全て頷くものばかりでした。
何から何まで全て全部頷きました。

>自分が英語が話せないのは、完全に「教育制度のせい」だと考えるタイプです。
このタイプは、自分は英語が何1つ満足にできないくせに、「こうすれば喋れるようになるはず」みたいなことを声高に主張するケースがあります。もちろん、自分は英語の勉強を全くしません。やるのは息子や娘たちです。実に醜い。下劣で卑怯者の権化にしか私には見えないのです。

2019年
09月04日
22:52
エリオットさん

2: mouthbirdさん

学校の限られた時間でやれることはあまり多くありません。できることと言えば、文法の基礎を教え、読んだり書いたりする基本的な知識を与えることぐらいです。それさえもおろそかにしているのが現状と言えます。

1980年代に黒字減らしのため、確か当時の総理大臣がAET(現在はALT?)の制度を学校に導入しました。英語話者と日本人教師が共同で授業を行う制度です。私も現役時代何度かTT(Team Teaching)をやりましたが、それで生徒の会話能力が向上したとはとうてい思えませんでした。それはそうですね、一歩教室を出ればあとは日本語で十分、困ることはないですから。

結局、speakingやlisteningは趣味の世界だと当時から思っていました。やるかやらないかは本人次第、動機や目的がなければ向上などするわけもありません。教育制度のせいだと考える人は言語を甘く見ています。こうして日本語の文を書くにしてもある程度の訓練が必要です。日本語でも議論もしない、文章も書かない、そうした日本人が英語ならできるというのでしょうかね。

このシリーズはまだ続きますか?

2019年
09月06日
10:13
mouthbirdさん

>>3 エリオットさん
まともに「話せる」というレベルに日本人が達するなら、日常で英会話が話されている状況でないとダメだと思います。幸い?日本はそういう状況ではない。日本語だけで高等教育まで概ね可能な幸せな国なのです。
 で、日本語だけでも大変なのに、英語を話せるレベルまでなんて! 状況から考えてありえない話だと思います。ところがそれが可能な人もいるから、「だれでも可能なんだ」と判断する人たちがいる。こうして大多数な不可能な人が苦しむだけになっていると思います。

このシリーズ、あと2つは続きます。よろしければご閲覧ください。m(_ _)m

1番~4番を表示