前々回、
前回は私の多言語音声と関係のある「コミュニケーションかもしれないエピソード」の紹介でした。まずはこの2つの話を私はどのように捉えているかを書きます。
前々回:小4時、ロサンゼルスで外国人に取り囲まれて話しかけられ続けた話。
1,コミュニケーションであるかどうか? … そうではない。せいぜい「怒っている」という感情が伝わった程度である。相手が何を言ってるのか微塵も分からなかった。
2,気分 … 最悪。何に対して私は怒られて続けたのか、さっぱりわからなかった。恐怖であった。
3,その他 …「こっちは返事をしてないんだから、私はあなた方の言語を理解していないくらい彼女たちはわからないのか?」と思っている。(てめえらの言語以外の言語は地球に存在しないとでも思っているのか? と思った)
前回:小4時、ロサンゼルスのディズニーランドのジェットコースターで、体を固定する装置が働かなかった話
1,コミュニケーションであるかどうか? … そうではない。私は命に関わる重大な危機であることを相手に伝えられなかった。
2,気分 … 最悪中の最悪。これ以上ないほど最悪。「
私はアメリカ人スタッフの温かい満面の笑顔がこの世の最後の映像となって死んだ」かもしれない。
3,その他 … 「この時どうすれば【閉まらない】と伝えられたのか!?」をずーっと考えるようになった。もしこれが分からなかれば、次回こそ死ぬだろう。
ちなみに、今から12,3年ぐらい前でしょうか、
2chでこんなことを書かれたことがあります。
→「
マウスバード氏が英語が嫌いなのは、小さい頃に外国人と触れ合っていないせいに違いない」
↑これを読んだ時、私は怒りがこみ上げました。無論彼(彼女?)は私の上記のエピソードを知りません。ですからこんな意見になったのだと思います。
あるいは、
彼(彼女?)は、小さい頃に外国人に取り囲まれて知らない言語で理由もわからず長時間罵倒されたり、ジェットコースターの固定装置が機能してないときにその意図をアメリカ人スタッフに伝えられないままそのスタッフに満面の笑顔で送られながらコースターが発射すると、(この人の場合は)英語が好きになる のだと思います。
今日は時間がないのでこの辺で><。次回はここまでのまとめをします。金曜日はいつものニコ生英文法講義。この続きは来週の
月曜日です。
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