平和の祭典のオリンピックも無事に終わり...
と、言いたいところですが...
残念なことに、日本と韓国にとっては平和には終わることができませんでした。
銅メダルをかけた、3位決定戦のサッカーの試合、日本VS韓国の試合で、日本は健闘しながらも0-2で負けてしまいました。 A代表の試合でなかったせいか、完敗だったせいか...いつもよりもサッカー板は、荒れていませんでした。
ところが、試合後に韓国の選手が政治的発言が書かれたプラカードをピッチ上で掲げたことにより、平和の祭典が汚されてしまいました。
オリンピックというところは、「まあ、お互いにいろいろあるけどさ、それはさておき、スポーツを仲良く楽しもうよ!」という場であります。
韓国の選手が、試合後の記者会見で「自分たちのものである島を、自分たちのものだと言って、何が悪いんだ?」
「試合前から、勝ったら独島セレモニーをしようと思っていたけれど、自分たちのものを、自分たちのものと言っても、幼稚なので、万歳三唱にした。」
と、言っていることからもわかるとおり、オリンピック憲章というものを、まったく理解していなかったことが、分かります。
世界中に、このように争っている地域や、国はたくさんあって、
「台湾は、独立国だ!」
「チベットは、中国のものです」
「フォークランド諸島は、イギリスのものです」
「エルサレムは、●●●のものです」
などと、それぞれの主張を言い始めたら、オリンピックの試合は、代理戦争になってしまいます。
だからこそ、オリンピックでは、そーいうことはさておき、スポーツに専念して、お互いを理解しあいましょう。そういう交流の中から、戦争や、紛争の火種を消していこうよ!と、その憲章で言っているわけです。
さて、プラカードを掲げた選手を出した、韓国のその後の主張ですが、「勝利に興奮した選手が、観客が投げ入れたプラカードを拾って、掲げてしまった」とか、「それが悪いなら、日本の旭日旗は、どうなんだ。」とか、「旭日旗をデザインしたユニフォームは、どうなんだ?」とか...私たちからすると、唖然とするような報道が流れてきます。
そもそも、問題視されているのは政治的発言を選手が自ら行ったことであり、旭日旗を観客が振っていても、たとえ体操選手のユニフォームがそれっぽいとしても、また別の話です。
この、私たちからしたら、わけのわからない理屈と、あーいえば、こーいう的発言に対して、怒りをもって発言することはいともたやすくできます。私だって、バカじゃないの??と思います。
でも、冷静になって考えてみると、あのプラカードは、世界に向けて発信したものではないのです。もしも、世界中の人に訴えたいのなら、誰もがわかる英語を使ったでしょう。でも、世界中でごく少数の人しか理解できない韓国語を使ったという事は、あれは韓国国内へのアピールだった...と、言えると思います。
つまり、韓国では常に日本に対して、反日感情を持つことを良しとされている、社会ではないのかしら?と考えてしまいました。
選手たち自身が、オリンピックを理解していないのと同様に、客席で、あのプラカードを掲げていた、多くの韓国人たちが、自分たちの狭い国の中だけで、「これは、おれのもんだぜー」と、声を出す人を見て、「よしよし、世界の舞台でよく言ったな」と、満足しているのです。
韓国は、日本と違って実は今も戦時体制です。
知らない人もいるとかもしれませんが、未だに北朝鮮と戦争中です。現在はいわゆる、「冷戦」をしていますが、何かあれば、いつでも、お互いに戦えるように、日々準備しています。だから、徴兵制度もあるわけです。また、学校教育の中でも、反日感情を掻き立てるような教育がされていることも事実です。いわゆる仮想敵国を、日本にすることによって、現実から逃避させようという、どこの国でもよく使う、あのパターンです。そんな教育をされてきた若者が、日本に対してよい感情を抱かないもの当たり前です。
そういう国と、パンダが来た!生まれた!死んだ!で、一喜一憂している、平和な日本と、考え方が違うのは、当たり前のことです。日本にとっては、スポーツは、あくまで、スポーツ。でも、あちらの国では、代理戦争なのでしょう。
そういった国が、お隣にある場合、同じ立場になって、同じ視線をもってしまうと、一側触発!今は、どちらかと言えば、韓国が「俺が!俺が!俺が!」と、何につけても、絡んできている状態ですし、このところ、この傾向が目に余るものもあります。
しかし、日本が同じように言い出すと、一触即発!戦争の火種となりかねません。ネット上では、それでもかまわない!と、言い出す人まで出てきています。
文句、ぶーぶー言いたくなるのも、よくわかります。あきれてものも言えない、発言が、韓国大統領から出ているのも事実です。
しかし、ここは日本が大人の対応をするべきです。時間をかけて、かみ砕いて、オリンピック憲章に反した行いをした意味を、おしえてあげなければなりません。
多くの人が、亡くなった戦争が終わったときに、もう二度と戦争をしないように。と、誰もが願ったはずです。それから67年。その思いが、次世代から、次世代へと受け継がれていかなければならないのに、だんだん薄れてきているような気がします。
平和は、砂の城と同じだと、私は思います。
そこにあると思って、ほっておいておくと、どんどん崩れ去って行きます。
自分たちの手で、常に守っていく努力をする必要があります。
科学技術が進歩していくのと同じように、人間の意識や、精神も進歩していかなければなりません。戦争が、どうしたら避けられるのか、争いはどうやったら収められるのか。。。二度と同じ過ちをしないように...努力をしなければいけないと、改めて思いました。
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