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映画「チェンジリング」を観てきました・・・・いてくれる幸せ
泣きました。
いつも危険な美しさのアンジーですが、今回は美貌もナイスバディも関係ない。
突然わが子がいなくなってしまう。その子を取り戻したい、それだけ。
母親の悲しさと強さ。それが切ない。
見ていて思い出しました。
以前、作家の灰谷健次郎さんの講演会に行ったとき、灰谷さんの言った言葉を。
「皆さん、子供さんが毎日そばにいるのがあたりまえですよね。
泣くし、いうこと聞かないし、大変ですよね。
でも、もし、突然、自分の子供がいなくなったとしたら・・・想像できますか?
明日から、もう子供がいないとしたら、・・・そんな生活が想像できますか?
今、目の前に子供がいてくれる、これは素晴らしいことなんですよ。
当たり前に思っていることが、実は素晴らしいことなんですよ。」
その数年後、私は2番目の子供を亡くしました。
35週で未熟児で生まれ、5週後に死にました。おそらく、細胞分裂の16分割の時に正常に分割しなかったのだろうといわれました。
それって、受精して、70時間後くらいのことだそうです。
普通なら、育たなくて流産してしまうそうなのですが、それでもその子は35週プラス5週間生きました。
子供は元気に生まれてくるのが当たり前、そう思っていたので、ショックでした。
同じころ、友人が流産しました。
子供が無事に生まれてくるというのは、本当は当たり前ではないのです。
無事に生まれ、元気に育つ。
それは、当り前のことではなく、本当に一握りの子供たちに与えられた奇跡なのです。
もし、この日記を若い方が読んでくれていたら、あなたが今、ここにいることがとても素晴らしいこと、選ばれた命だということを知ってください。
リストカットとか、命を大事にしない若い人が増えていますが、あなたも友人も、ここまで生きてこられたことは、本当に有難い(そう有ることが難しいから感謝する)ことなのです。
親はあなたにうるさいことを言っていますが、それはあなたが、当り前に元気に明日も明後日も生きていくと思っているからなのです。
親をうるさがっても構いません。
でも、あなたが生まれてきたこと、今ここにあることを否定はしないでください。
親にとっても、あなたにとっても、何よりも素晴らしいことなのですから。
この世の中には、「当たり前」のこととか、「当然」のこととかないと思います。
親なんだから、子どもなんだから、こうしてくれて当然。
夫婦なんだから、言わなくてもわかってくれて当然。
友人だから、同僚だから、やってくれて当然。
本当にそうでしょうか。
自分はそう思っていても、相手はそう思っていないのが普通です。
思いも願いも、行動の基準も違う。
だから、やってくれなくて当然。わかってくれなくて当たり前。
だからこそ、やってくれたら、有難い。わかってくれたら、有難い。
人だけではありません。物事も、なかなか自分の思い通りに運ばないのが普通です。
だから、うまくいったら、有難い。
あほなことばかりしている娘ですが、もしこの子が突然いなくなったら?
考えられません。
私が母親だから、余計切なかったのでしょうか。
どうか、世界中の親子が、愛し合っている人達が、互いの存在に感謝しながら、幸せでいてほしい。
今日、この映画を見てそう思いました。
と言いつつ、今度の期末試験で、赤点取るなよ~~と娘に言いたくなる母親でした。
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