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mouthbirdさんの日記

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2008年
05月07日
14:44 mouthbirdさん

be動詞について(その3)ハイレベル?な補足

GWが終わってしまいましたね。受験生の皆様は無事予習を終えられましたでしょうか?

今回はbe動詞について(その3)です。

本来は(その1)(その2)だけで終わらせる予定だったのですが、変更しました。

今回は(その3)なわけですが、完全に「文法が気になる人向け」の情報です。

「文法なんざ、細かすぎて嫌だ!」という人には向いていません

文法が気になる人だけ、お楽しみください。m(_ _)m



●第1文型か? 第2文型か? ●動詞ではない be がある。



 この2つについてのお話です。



●第1文型か? 第2文型か?



下の3つ英文を見てください。

(1)I am a boy.

(2)I am at the station.

(3)I am home.



(1)(2)(3)はそれぞれ第何文型でしょうか?



(1)は問題ありません。第2文型(SVC)です。

第2文型(SVC)は、(その1)で説明したとおりの原則どおり、A=Bの関係を作ります。

すなわち

 I = a boy

 私=(一人の)少年

という関係式になっています。これがbe動詞の基本形であることはお話したとおりです。



問題は(2)(3)の場合です。第何文型でしょうか?

伝統的な学校文法では、(2)(3)第1文型(SV)と習います。

私も当然通常は「第1文型」と教えます。

これについては(その2)で次の例文で軽く触れています。

 God is.(神はいる)

  ↑このケースです。この例文は「どう考えても補語(C)がない」ですね。絶対に第1文型(SV)です。

(2)(3)はそれと同じケースと考えます。



(2)I am at the station. の場合、God is.(神はいる)と同じように、

「私はいる、駅に」⇒「私は駅にいる」という意味である。

  I ≠ at the station

 と考えるわけです。

(3)I am home. の場合も、God is.(神はいる)と同じように、

「私はいる、家に」⇒「私は家にいる」という意味である。

  I ≠ home

 と考えるわけです。(2)(3)もA≠Bなので第2文型(SVC)ではなく、第1文型(SV)である、とされます。



(2)の場合「at the station」のかたまりを「副詞句」と捕らえます。(ここを詳しく説明する時間的余裕がないです。ごめんなさい。今回は副詞句なのだとお考えください)

(3)の場合、辞書で引けば分かりますが home は「副詞」なのです。

   ※ home は名詞もありますが、名詞にしたら、I = home (私=家)になってしまいます。これは確実「私≠家」なので完全におかしい。home の副詞の意味は「家に」なので、この場合のhome は「副詞」とされるわけです。



ここまでよろしいでしょうか?

ここまでが、伝統的な文法解釈です。



ところが、これに異を唱える考え方が20年ぐらい前から出現しました。

(2)I am at the station.

(3)I am home.

この(2)(3)のケースも第2文型と取るべきだ、という考え方があるのです。

この立場に則るには↓こう考えます。



 ・at the station は「その駅にいる(ある)状態」という意味である。

 ・home は「家にいる(ある)状態」という意味である



こう取れば、

(2)I am at the station.

  I = at the station (私=その駅にいる状態)

(3)I am home.

  I = home (私=家にいる状態)



とできるではないか! だから第2文型だ。

 ……と考えるわけです。



実のところ、この考え方は普及しつつあります。

普及しつつある段階なので、この手の英文((2)(3)のような英文)を第1文型とするか第2文型とするか「決着はついていません」。多くの場合は(2)も(3)も「第1」とされますが、徐々に変わりつつあります。



一昔前の文法問題集にあるこの手の英文((2)(3)のようなもの)は、全部「第1文型」としていました。

では、最近の文法問題集はどうか?

実は「[(2)(3)のような英文]の文型を問う問題」自体を避けているのです。この手の英文自体が、文法問題集の5文型の学習事項の中から姿を消しているのです。

文法を学ぶ皆さんは「両方の考え方があるんだ」という具合に認識していただければと思います。

それでも万一、文型を尋ねられたら、基本的には「第1文型(SV)」としてください。

(正直、明らかに「第2」だろう、という形もあるのですが、一応「第1」としたほうが多くの場合、無難です)









●動詞ではない be がある。



次の3つ英文をご覧ください。

(4)He was rich.

(5)He was watching TV.

(6)He was kicked by her.



この(4)(5)(6)それぞれの was品詞を答えなさい

分かりますか?






「え~? 全部動詞に決まってるではないか」と思う人が大半なのではないではないでしょうか?



確かに(4)was動詞で良いです。

でも実は



(5)、(6)was動詞ではありません



Ψ(`∀´)Ψ






実は…「助動詞」です。(4)(5)be は、文法上はどちらかといえば、will や can や must に近い存在です。



うそ~~!! Σ( ̄□ ̄)!



と思った方、本当かどうか調べる簡単な方法があります。お近くの英和辞典で「be」を調べてください。助動詞の「be」について説明があるはずです。



(4)He was rich.(彼は金持ちだった)

このケースの was は普通に「動詞」です。SVCの第2文型。He=rich (彼=お金持ちだ)、となる「コテコテの第2文型の例」です。



(5)He was watching TV.(彼はテレビを見ていた)

このケースは「進行形」ですね。実は、

進行形とは「[助動詞のbe]+[動詞の現在分詞] で作られている

のです。

だからこの場合の was助動詞

じゃあ、この場合「He was watching TV.」の文型は分かりますか? 動詞で判断するんですよ! 助動詞で判断しないでくださいね! 動詞は何? watch ですね。

watch で判断するので「SVO」の第3文型です。(実は進行形の場合、何文型かは文法問題集ではよく問われます。試験問題では出ませんけどね)



(6)He was kicked by her.(彼は彼女に蹴飛ばされた)

このケースは「受動態」ですね。実は

受動態とは「[助動詞のbe]+[動詞の過去分詞] で作られている

のです。

だからこの場合の was助動詞

じゃあ、この場合「He was kicked by her.」の文型は分かりますか? 動詞で判断するんですよ! 助動詞で判断しないでくださいね! 動詞は何? kicked ですね。

kick で判断します。能動態になおして⇒(She kicked him.)⇒「SVO」の第3文型とします。(もっとも、普通、「受動態」は文法問題集でも文型判断を問われません)






「助動詞の be 」は他にも登場するケースがあります。あと2つはできたら覚えて欲しいです。



その1つは、仮定法で出てくる熟語「were to」(まず不可能な未来の仮定を表すときに使う) 。

(7)If you were to win the lottey, what would you do?

(もし宝くじに当たるようなことがあったら、どうしますか?)[出典:総合英語 Forest]

この were も動詞ではなく「助動詞」です。

どういう場合にどのように使うか、などの説明は長くなってしまうので、ここでは割愛します。仮定法を勉強するときに、覚えてくださいね~



もう1つは、不定詞を勉強するときに習う 「be to 熟語」(予定・命令・義務・可能・意志・運命、のどれかの意味になる).

(8)You are to study much hard.

(あなたはもっと一生懸命に勉強をすべきだ)

この are も動詞ではなく、「助動詞」です。

be to 熟語についてです。

私の文法動画の該当部分をakakaさんが詳しくまとめてくださいました。ありがとうございます。

「be to 熟語」について詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。m(_ _)m

akakaさんの日記の多くは私の文法動画の学習を結果をまとめくださっています。参考にされてはいかがでしょうか?






今回は以上です。

ではまた来週です。来週は模試についての話をする予定です。よろしくお願いします。

m(_ _)m

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コメント

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5番~24番を表示

2008年
05月09日
14:27
さん

5:

まじめに勉強したことも無いのですが、
何故か、文法大好きみたいです・・・。

No.(1)〜(6)までは難なくクリアできましたが、
(7)(8)は言われなければわからなかったです。
この説明のおかげで、一つ自信が持てました。

2008年
05月09日
16:01
mouthbirdさん

>HARUTIさん

そうですね。これこそ文脈に拠るでしょうね。

find はしょっちゅう第5文型になるから難しいですよね。



>sunasunaさん

文法が好きだと面白く感じると思います。(6)まで難なくクリアとは素晴らしいです!

(7)(8)は特に意外ですよね…。自信が持ててもらえて嬉しく思います。

2008年
05月09日
23:07
さん

7:

karlalou のコメント:
私も今ちょうど文型に興味を持っていたので、とてもためになりました〜。

毎度ありがとうございます。^-^



私も副詞句も、目的語、補語になると考えてしまった方が、

すっきりするように思います。





それから、ラジオの件ですけど、アメリカ人が外国人の英語の質問に答えているグループで質問したら、

"the radio" で、「番組」を意味すると説明している辞書もあるみたいですよ。

さすが、先生の予感はあたってましたね♪



「*"2* You can refer to the programmes broadcast by radio stations as *the

radio*. *A lot of people tend to listen to the radio in the mornings...

(c) HarperCollins Publishers.」



ということでした。

番号が付いていたり、コピーライトが入れてあるので、たぶん辞書からの引用ですよね?



〔追記:"Collins Cobuild Advanced Learner's English Dictionary on

CD-ROM." だそうです〕

2008年
05月10日
02:36
さん

8:

tomorrow-rin のコメント:
文型についての議論がかもし出されているのはビックリしました。知らないうちに文法書の内容が変更になると言うことですね。

(^^);

いろんな発見が出来てとても楽しかったです!!次回も楽しみにしています。



1つ質問なのですが、

例えば、He was home alone.と言う文中での副詞はhome と aloneで第二文型ということになりますか?

その場合home とaloneの語順を変えて、He was alone home.でも問題はないでしょうか?

(形容詞のaloneもあるので判読に結構迷います。。。)



よろしくお願い致します。

2008年
05月10日
06:36
mouthbirdさん

>karlalouさん

副詞は、目的語には取れませんが「補語」と取る考え方はあります。

私としては

・基本的には副詞は補語と取れない・でも取れるという考え方もある

という対処が良いのではないかと思っています(現段階では)。

おお、listen the radio で the がつく理由がprogram の意味だから、という説明がある辞書がありましたか!

報告ありがとうございます。m(_ _)m



>tomorrow-rinさん

そうですね。文法書の内容も徐々に変わって不思議はないと思います。

ロイヤル英文法には、補語として取れる品詞にしっかり「副詞」と書いてあります。

ただ、じゃあ何でも副詞でいいのか、というとそういうわけにもいきません。

SVCのCが形容詞で綺麗にいく場合は、形容詞でないとアキマヘン。

<例>

 ○ It is interesting. (それは面白い)

 × It is interestingly.



>He was home alone.と言う文中での副詞は home と aloneで第二文型ということになりますか?

home も alone も副詞なので、基本的に第1文型と取る、しかし第2と取る考え方もある、とするべきではないかと思います。



>He was alone home.

(「家に」というよりも「一人だ」ということ先に言って強調したい場合を除いて)、

間違いとは言い切れませんが、不自然だと思います。

「home alone」で1つのかたまりとしてよく使う(映画のタイトルにもなりましたね)からです。日本語で言えば、「議論」を「論議」と言うようなものではないでしょうか?、論議でも間違いではないでしょうが、議論のほうが多く使われると思います。

2008年
05月10日
13:14
さん

10:

riche のコメント:
listen to the radio の the について私なりの見解を述べたいと思います。

間違っていると思う方は、気兼ねなく訂正して頂ければと思います。

また、ほかの方の見解もお訊きしたいです。



listen to the radio の the は、in the sky の the に似ているようにも思います。

「ラジオを聴く」には、listen to a radio, listen to radio という表現も成立しますが、「空に」と言う場合にはほとんどのシチュエーションで in the sky を使うことになるため慣用的に in the sky となると思いがちなのと同様、慣用的に listen to the radio と言うのだと思ってしまいがちです。



「空に」と言う場合、ほとんどのシチュエーションで in the sky と表現されることが多いため、sky には the (定冠詞/the definite article) がつくものだと思っている人も多いと思います。

しかし、実は少ないなりにある程度のシチュエーションで in skies, in our skies, in a sky という表現もあるのであって、in the sky での the は話者間の共通認識、文脈上の既出のときに使う the ということになります。

つまり、話者・筆者にとって sky が define/specify されているということです。



もちろん、I saw THE cat. の the ほどにはっきりした形で define されていないので、この認識は難しいことだと思います。

日本語で「空に」と言うとき「空」は define されているという意識がないのに対して、英語では in the sky における sky は、薄い意識なりに the を使って define されているということです。



この in the sky 同様に「ラジオを聴く」というとき、ほとんどの場合は「あの部屋にあるラジオ機」「その地域でよく聞く放送」「いつも聞くお気に入りのラジオ番組」などと話者にとって define されたものであるため、圧倒的に listen to the radio という表現が多いということになるのだと思います。

2008年
05月10日
13:45
さん

11:

tomorrow-rin のコメント:
mouthbird さん

丁寧でとても分かりやすい解説を、ありがとうございます。後でロイヤル英文法も見てみようと思います。

突き詰めると色々疑問が湧いてきてしまします。この様な壁がまだまだ沢山ありそうですが、少しずつがんばります。

2008年
05月10日
14:25
さん

12:

riche のコメント:
savana さん、補足ありがとうございます。
以下の文章は、以前自分が日記につけたコメントをほぼそのまま引用しました。

  - "in the sky" の理解 -

"sky" って単語は、中学とかで習うときって、必ず「定冠詞」+「可算・単数」で、
"Birds are flying in the sky." っていう形の例文が使われることが多いです。

しかし実際は "sky" って、地上のある地点の水平線および地平線より上の空間のことを意味するので、地球上にはたくさんの "skies" があるということになります。
日本語では、"sky" も "skies" も「空」ですが。

例えば、下は"Extraterrestrial skies" という Wikipedia の項目記事の中の文章です。
 (http://en.wikipedia.org/wiki/Skies_of_other_planets)
"In the skies of Saturn's inner moons, Saturn is an enormous object."
 (土星の内衛星の空には、土星は巨大な物体としてみえる)

世界レベルでの気象の話では "skies" が使われて、国際通話している2人にとっては「空」は "skies" で、それぞれ "my sky", "your sky" そして "our skies" となります。

"DANGER in OUR SKIES! The new U.F.O. Threat" - YouTube動画
 (

「空に鳥が飛んでいる」のような日常会話では、
たくさんある "skies" のうちの1つが話者間で define されているので、「定冠詞(the definite article)」+「可算・単数」という形になるんです。

このように in the sky の中の the のように日本語ではまったく define されることを意識しないフレーズにおいても、英語においては define されるのを意識して(意識しているかどうか分からないぐらい微妙なレベルでも)使っていることになります。

2008年
05月10日
14:43
さん

13:

riche のコメント:
listen to a radio について:

(listen to radio についてはまた後述します)



以下は、ミシガン大学における Paul Green氏のインタビュー記事です。



Paul Green: Right. Well, I think there are some interesting differences, though, between the car radio problem and the cell phone problem.



First, listening to a radio is passive. You're just there and it's just playing. It can be entertaining but it doesn't often have too much information content except for the news. But it doesn’t require any action from the driver.

 (http://miupa.org/interviews/interview-with-paul-green-on-...



ここでは、車の運転中に携帯電話を使うことの危険性について述べられています。

「ラジオを聞く」のは事故につながらなかったのに、「携帯を使う」と事故が起こる。その違いの第一は「ラジオを聞く」という行為が受動的なものであるからである。

このセンテンスにおいて、「ラジオ」は「車の中で音楽などを流している車のカーステ」であり、「あるドライバー」が運転しているとして、その「ある車のラジオ」と radio はあくまで specific なものではなく general なもので define されていないことになります。



しかしながら、こういう文章が成立するシチュエーションが極めて少数なので、listen to a radio を使うことが極めて少ないということになるのだと思います。

2008年
05月10日
16:19
さん

14:

riche のコメント:
sun, moon などは「太陽」「月」を意味するときは、「唯一物」ですが、「恒星」「衛星」を意味するときは「普通名詞」として「可算」となります。(ちょっと前のコメントの土星の衛星の例文のようになります)



earth も「地球」を意味するときには、「唯一物」として Earth, the Earth, Planet Earth というふうになります。



world の場合は、the World で「この世界」「地球」を表しますが、A Guide to the Worlds of Stephen King のように、色々なひとが色々な世界を持っていたりひとりで色々な世界を持っていたりするのを「普通名詞」として複数で表現されます。



これと違って、sky は、"Spirit in the Sky", "The Lights in the Sky" などのように聖書に出てくるようなフレーズのとき以外は基本的に「普通名詞」なのです。

地上のある地点の水平線および地平線より上の空間のことを意味するので、地球全体もしくは地球上の広域をおおう空の場合は skies となります。



ですので、「人工衛星」「UFO」などを語った文章では、「空を飛ぶ」は in skies/in the skies という表現を使うことになります。



If the results hold up with additional testing, Kassianov says this approach could be applied to data being collected by NASA's Earth Observing System in skies near clouds.

 (http://www.pnl.gov/news/release.asp?id=303)



"Birds are flying in the sky." のような文章では、話者にとって自分のいる地点における sky は いろいろな skies の中から1つに define/specify されているので the sky というふうに the がつくことになるのだと思います。

2008年
05月10日
17:37
さん

15:

karlalou のコメント:
richeさん、sky も複数形になったりして面白い言葉ですね。



「熟語」になる言い回しというのはその性質上「総称」を表すものばかりになりますけど、

"listen to the radio" "watch television" と覚えなさいと言われていても、時と場合によっては、

それ以外の冠詞がついたり無冠詞になったりすることがないわけではないということですよね?



あの、でも、"listen to the radio" に関しては、ここは be動詞や文型のお話の場所ですから、

どこか場所を移して展開されてはいかがでしょう。





先生、副詞は補語にしかならないんですね。了解です。^-^

2008年
05月10日
18:29
さん

16:

riche のコメント:
>karlalou さん
そうですよね。
トピックは 『Be動詞について』ですから、本題にはずれたことで随分たくさんのコメントを書いてしまいましたね。(ちょっと反省しています)
この話題は一旦ここで終了しようと思います。
また、本題に戻したほうがいいですね。

途中で、listen to the radio についての話が出てきたので、思わずここしばらく考えて調べて頭にまとまってきていたことをば~っと書いてしまいました。

karlalou さんはご存知でだと思いますが、この radio の話題については頭の中のものを、なかなか文章としてまとまった形で言い表すことができなくて、もやもやしたままずっとコメントできないまま数日が経っていたのです。それがやっとある程度文章であらわせる形になってきていたところなのでした。

英語学習者としては、冠詞がこうの場合はこうで冠詞がない場合はこうと細かく覚えていくのは大変なので、「基本的には listen to the radio と言うけど例外もある」程度に認識していくほうがよいのだろうと思います。

それでも時々は、なぜここで the をつかってるんだろう?とかに想いを巡らせながら、英語を聴いたり英語を読んだりする期間を年に数週間でも持つと英語の考え方というものに対する理解は格段に違ってくるように思います。

コメント、ありがとうございました(: D)

2008年
05月12日
15:21
さん

17:

HARUTI のコメント:
>>SAVANA さん

 今日、電車の中で、英文法についてのネイティヴの学者の見解が書かれた本を読みました。文法とは、人口に膾炙するもので、たとえば、 whom を使うのを極端に嫌う学者もいるようです。また、That' s me. は許せても、That's her.  許せないという学者もいるそうです。でも、それは多数派で、少数のプロは、Tha's her. を、積極的でないにしても、認めているようです。だから、多数派の意見が文法を決めるのであって、「絶対に変わらないルールではない。」と書かれていました。

 だから、I'm home. が、第2文型と考えても、第1文型と考えても、理解さえできれば、OKだと思います。ただ、私は、生徒に、第1文型と教え、「副詞は文の要素にならない。」という立場をとります。そちらのほうが、明確だからです。>>MOUTHBIRD 先生 

また、受動態の文型については、いろいろな考えがありますが、私は、MOUTHBIRD先生の立場は反対です。文型は、態の転換をした後で、文型を考えるのでなく、書かれたそのままの姿を分析して、文型を考えるべきだと思います。つまり、「助動詞+動詞の原形・分詞形」で、一つの述語動詞ととらえるほうが、述語動詞の定義から考えて、理にかなっていると思います。ちなみに、駿台の伊藤和夫先生も、私と同じ考えです(英文法のナビゲーター上巻参照)。また、私が、受験時代で、西尾孝先生も、同じように教えており、私の英語開眼のきっかけとなりました。


2008年
05月13日
02:09
mouthbirdさん

Σ( ̄□ ̄)! なんかすごいことになってますね…(;・∀・)

冠詞はいつか何かの機会で触れてみたいと思いました。

今はかんべん~~~(TへT)



>savanaさん

進行形と受動態のときの「助動詞」ですが、「普通の英和辞典で学習するために」という基準でそうさせていただきました。この手のbeの使い方知るために beを辞書を引けばそこには「助動詞」と明記されているからです。

また「第1か第2か、といったような議論が分かれるタイプの英文」は「それを問う試験問題にはならない」のが現状のようです。少なくとも大学受験では。

ただ触れないわけにもいかず、困ったものです。おっしゃるように<文法を学ぶ皆さんは「両方の考え方があるんだ」という具合に認識していただければと思います。>というのが私の見解になります。



>HARUTIさん

受動態の場合、おっしゃるように、「書かれたそのままの姿を分析して、文型を考えるべきだ」と実は私も思うのですよ。

だって、そうしないと「目的語を主語にして、書き換えろ」と言えないではアリマセンか!

ただ、それなりの見解を示さねばならず、今回は40~30年ぐらい前の受験英語の見解を取らせていただきました。

このように(私自身すら)混乱するため、現在は受動態の英文を文型判断させる問題自体がないと思います。

でも話題としては触れないわけにも行かず、ああ、困ったな……(ToT)

2008年
05月13日
06:21
さん

19:

sakana3 のコメント:
> savana さんに1票。^^   > riche さんの sky の話は面白かったです。



楽しそうな議論ですね。今日発見しました。



私に言わせれば、進行形も受動態も、第2文型です。SVC。

これは英語を話すようになった時に、体感しました。

The window  is                    neat.

The window  is                    broken.

The window  is                    shining.

3つの is に違いがあるでしょうか? 話しているとき、聞いているときに違いを感じているでしょうか?

No です。

補語を聞いた瞬間、is の機能を修正しながら意味を取っているでしょうか?

No です。

違いがないものを、違う、という文法はおかしくはないでしょうか?



漢文のレ点のような解釈を強いる文法は、実用的ではありません。

漢文があのやり方で理解できるように、たしかに学校英文法でも意味はとれます。でもそれは遅いんです。会話では遅すぎて役に立ちません。読むときも暗号解読作業となるので、遅い。

NHKの100語英会話だったと思いますが、バイリンガルの女の子が言ってました、「(私の中では) be も have も同じ一つの言葉で、(場合によって) 区別はしていない」 と。



この変な英文法が蔓延している理由には、いくつかの無理解がある、と私は思っています。

一つは、be 動詞。もう一つは、分詞。(まだあるけどほかは省略)。

be 動詞は、私に言わせれば、たった2つの意味しかありません。それも一つが根っこでもう一つはそれから派生した意味。コアは 「存在」 です。派生した意味は 「状態」 。これですべての be の意味がとれます。完全自動詞として使われたときは、「存在」、補語をとる不完全自動詞として使われたら 「状態」、これだけ。 (*注 文末)



分詞は、動詞由来の 「形容詞」 です。だから、補語になるんです。修飾にも使えます。

ただし、過去分詞は、元の動詞の意味によって、2つの意味を持ち得ます。蛇足ながら、受け身と過去です。



もう一つ、savanaさんが、助動詞は 「準動詞」 と言われた件に関して、付け加えると、

助動詞を、動詞ではなくただの機能語と捉えてはいないか? という点です。

英語は、かならず、主語と述語(動詞)が必要ですよね?

では、

Can you read English ?  と聞かれて、 Yes, I can.  と答えます。

I can. には、動詞がないのでしょうか? 省略されている? 「主要な」 動詞を省略できるのでしょうか?

2つの考え方があります。省略できる(省略である)、とする考え方(これまでの英文法)、助動詞は動詞の一種だ、とする考え方(準動詞の考え方)。

実は3つ目の考え方があります。2つ目の再評価といえますが、もっと積極的に、助動詞を動詞として評価する考え方です。 助動詞が入っている文の(主人公たる)動詞はその助動詞だとする考え方です。

じゃ、そこにある(本)動詞は何なの?    (原形)不定詞だ、という考え方。

私はこの立場です。英語を話すときの自分を観察すると、そうなのです。助動詞のあとの動詞は、抽象的な意味(原形の表す意味)をつないでいるだけなのです。だから、人称変化しないのです。(人称変化しないから不定詞ではなくて、抽象的な意味で使っているから原形のままなのです)。



幸いなことに、入学試験では、何文型かを問われることはない(私はなかった)と思います。

また、旧来の英文法も、遅いことを除けば、英作文には役立ちます。切り取り方(解釈とルール付け)が違うだけです。一つの実体の別の射影にすぎません。 ただ、実用的な解釈の方が私はベターだと思います。

「ハートで感じる...」の大西先生ほか、旧来の日本英文法は今、変わりつつあると思っています。

(ex. 完了形の「したところだ」が高校教科書PROVISION[桐原書店]から消えています)。





(*) be動詞は語源的には2つの別の動詞が融合したもので、その姿の生き残りが were だとか。仮定法でなぜ was でなく、were なのかは、状態を指し示す動詞の過去形が were だったそうです。なお、今では was でもよいそうです。

 で、私の be 動詞の2つの意味の説明は、語源的には順序が逆です。でも現状の解釈には影響しません。また、融合すべく(融合していい条件が揃っていたので)融合したと私は考えています。

2008年
05月13日
14:12
さん

20:

HARUTI のコメント:
>>SAKANA3 さんへ

 be動詞の後ろにある分詞が「形容詞」ととる捕らえ方は、昔からよくあります。そのように教える予備校の先生もいます。でも、何でもかんでも分詞=形容詞は、非常に乱暴な主張です。これでは、純然たる「過去分詞」と、過去分詞から派生する「形容詞」の区別がつかなくなります。基本的に、過去分詞は、much で修飾され、形容詞は、veryで修飾できるけれど、過去分詞は修飾できない。このような文法問題が、大学受験でよく出題されます。だから、「分詞」と「形容詞」を明確に分ける教え方をしなくてはなりません。be動詞がくるから、分詞も形容詞の同じ扱いは、非常に危険です。

 また、need でも、助動詞と述語動詞の用法があるように、be動詞も動詞と助動詞の用法があっても不思議ではありません。さらに、進行形にできない動詞でも、分詞構文や、名詞を修飾する分詞の場合には、現在分詞になれるわけですから、「進行形」の現在分詞と、そのほかの現在分詞では区別しなくてはならないのです。見かけが同じならすべて同じというのはどうでしょうか?この説明だと、「進行形」とは、いったいどういうものなのかの説明にもなりません。「進行形」は、基本時制から変化した「進行相」をあらわすものですが、他の現在分詞の用法は、必ずしも「進行相」を表すものではないので、ここは、明確に区別しなくてはなりません。「同じ形容詞」と捕らえては、この2つの違いがあいまいになります。「時制」の意味合いが強い「進行形」の現在分詞と、「時制の意味合いが薄い」be動詞のない現在分詞では、異なった部分があるのです。



 例文 Anyone knowing this should go to the police. とできるが、

     We are knowing him. とはできません。これは、名詞修飾の「分詞の形容詞的用法」と、「進行形」の違い が、はっきりと線引きされているからだと思います。 

 だから、たとえば入試で点をとれるような指導をするためには、「進行形」の現在分詞や、「受動態」の過去分詞を他の用法の「分詞」と同列に扱ってはならないのです。



以上長文失礼しました。




2008年
05月13日
15:32
さん

21:

sakana3 のコメント:
名前をそうしたいならそうすればいいでしょう。

ただし、

I am  running. 私は、走っている「状態」である。

I am  tired.   私は、疲れている「状態」である。

I am  hungry. 私は、腹が減っている「状態」である。

こうあなたが言うとき、ホントにこれは助動詞のbeで、これは動詞のbeで、、、と区別していますか?

ホントに違いがあると、心から思っていますか?

私は区別しないで、何も困りません。



進行形は、ing形がもつ「している」「事実」の感覚です。「次の状態である」+「している」→「進行中」ってだけです。

何も難しいことはいらない。

進行形にできない動詞? それはその動詞の意味が進行中を意味することがないからでしょう。それだけのことです。状態動詞がそうでしょう。knowもそうですよ。もともと、「知っている」という意味なのだから、進行形にする必要がない。形容詞として使いたい時は、ing形にして形容詞化して使う。簡単です。

進行形の意味は、ing形から来るのです。イディオムとは違います。be と ing形は独立したパーツとして働いている、というのが私の見方。もちろん、セットで進行形ですよ。セットでも中は左から右への順で、それも個々に独立した意味を伝えており、順番に積み重なって、進行形の意味になります。

説明になりましたか? 上の3つの例文で感じてもらえると思います。



時制についても誤解があるようです。形容詞は時制をとりません。助動詞が主要な動詞であると私は書きました。

とすれば、現在進行形の時制は、beが担うのです。すなわち、現在進行形は、現在形なのです。現在の状態を言っている。進行中という名前の現在形の一種です。繰り返しますが、時制は、beが担っています。



分詞は形容詞なので、時制は関係しません。過去で使われようが、未来で使われようが、とんちゃくしません。そんなことは、一度形容詞化されたからには、分詞には責任がないのです。それは主要な動詞が受け持つのです。



というわけで、分詞にも違いはありません。上の説明でお分かりいただけたでしょうか?

なお、分詞は形容詞ですが、形容詞にない分詞構文という構文をとれるという特徴はあります。それは動詞から作った分詞という形容詞の特徴と理解すれば足ります。何もかも普通の形容詞と同じとは言いません。ただ、違いはそれだけです。(分詞構文は文語で会話では聞かない表現です。)



> 入試で点が取れるようにするためには、

は、ひどい言い方ですね。私は私の教え方で中学生が1週間で+20点です。正味6時間+自習プリント。

私のやり方だと、前から順に意味を取っていけるので、読むのが早くなります。読むスピードがあがれば、入試でも強力な武器だと思います。



何か「これはその解釈では説明できんだろう」というのがあったら、教えて下さい。



PS. very と much

忘れてました。(分詞の話とは関係ない(私の中では)ので抜けてしまった)

much は very の比較級ってだけです。

意味から、程度・比較が意識されるときは、much です。

そうでないときは、very。

基本は↑です。過去分詞だからではありません。

  I am very tired. surprised, satisfied, ,,,   たくさんありますね。

疲れるのも満足するのも、された側が主体で、される行為の程度が関心ではないからです。



「個々の言葉の意味」 を度外視し、形のみからルールを作ろうとすると、例外が多数でて複雑煩雑になります。そんな複雑な公式群を、小さな子どもから老人まで覚えていると考えますか?

意味に応じてその場で道具を使い分ける、自然体でいいんです。 (試験問題も解けますよ)

2008年
05月14日
15:22
さん

22:

HARUTI のコメント:
非常に長い説明ありがとうございます。

まず、過去分詞のご説明で「程度・比較」という意味が分かりませんので、返答のしようがありません。

He is much liked by everyone.

のとき、liked は過去分詞ですので、very では修飾できない。(まあ、どの文法書にもでていますが)

このとき、あきらかに、liked を形容詞として認識していません。単純にいうと、「述語動詞の一部」として認識しているので、普通の動詞と同じように、very ではなく、much で修飾されるのです。だから、「個々の単語の意味を度外視」してルールを作っているのではありません。実際にmuch にによる修飾か、very による修飾かは、「過去分詞か形容詞か」ではんだんされるべきものでよ。このような問題は、この知識があれば、誰でも解けるものです。

 次に、「形容詞は、分詞構文になれない?」それは、間違いですよ。

 Very anxious about his ilness, I can't sleep.

これも、立派な分詞構文だと思うのですが?

また、私は、先の文章で、分詞は、「時制的意味合いが弱い」と書いてありますが決して「時制を持つ」とは書いていません。当然、現在形・過去形を持っていませんから。ただ、意味の上では、その意味合いがあります。つまり、述語動詞と同時性を表すことであり、先行性を表すときは完了形を使って書き表します。それは、文の意味から判断するものなので、「時制的意味合い」と書いたのです。決して、現在形・過去形があるという意味で書いていません。また、この「完了分詞構文」という形容詞にはない特色があるので、形容詞と同列扱ってはならない部分があります。

 さて、「進行形」についてですが、「進行形の意味は、-ingで作る」とおっしゃっていながら、「knowは、進行形にできない」と書き、さらに「形容詞にしたいときはknowing」と書いてあります。矛盾してませんか?その説に従って書くなら、形容詞としての knowing も、「進行形の意味を作る」はずです。だから、書いているあなた自身も、「進行形のing と、それ以外の ing とを区別している」のではありませんか。この部分を否定しているにも関わらず上記の説明は、論理的破綻です。さらに、「現在進行形は現在形の一種です。」それは、私の文章に書いてあります。「進行形は、時制の一形態です。」と書いてあります。だからこそ形容詞とは違うのです。「時制はbe動詞がになう」これは、助動詞の説明としても有効なものです(can→couldなど)。だから、be動詞を助動詞と言う説明でも十分成り立つ説明です。「be動詞が助動詞でない」という説明にはなりません。

 私が読んでいる文法書は、英米人の学者が書いたものです。そこにもやはり、「be動詞は進行形・受動態のときは、助動詞である」という見解がなされています。それが、助動詞であるから、have + 過去分詞 の形も「助動詞 + 動詞の過去分詞形」でひとくくりとできます。しかし、あなたの説に従えば、「have は動詞で、過去分詞は形容詞」と解釈しそうですね。これは相当無理でしょう。それとも、これだけはひとくくりで、進行形や受動態はひとくくりでないのなら、それこそ、「形のみからのルールで、複雑」になるでしょう。だから、「進行形・受動態。完了形はすべてひとくりで述語動詞になれる。」としたほうが、はるかに単純です。

 最後に、「年寄りから子供まで」ということについて。言葉というのは、「会話」だけではなく、「正式な場でのスピーチ」や「論文」に書く英語もあります。それは、子供ではとても使うことのできない表現や、文法が使われます。そのことまでも否定するのはどうかと思います。「子供に使えない」から、否定的な態度をとるなら、世の中に文法は「お子様向け」になります。そんなばかげたことはないでしょ?

なお私は、ここでこの議論から身を引きます。私たち専有の場ではないからです。もし気を悪くしたほかの方々がいらっしゃれば、この場を借りてお詫びします。申し訳ありませんでした。

2008年
05月15日
08:00
さん

23:

sakana3 のコメント:
大事な所だと思うので、逐条解説します。

大事というのは、英語で話したり考えたりするようになるため、という意味です。

繰り返しますが、旧来の英文法でも試験には使えます。実用的でないだけです。

(長文多謝)



---

さて、「程度・比較」が判らないとのことです。

「好かれている」という「受け身の程度」を形容するとき、これは程度を問題にしています。程度は暗黙に比較の次元で判断され形容されます。

very beautiful と比べてみて下さい。これも美しさの形容ですが、絶対値的感覚の形容なのです。他と比較しているときは、much beautiful といいます。



だから、過去分詞だからではないのです。私が挙げた very を使う例は、「例外」として、ルールが適用できないとするのですか? そして新たな例外ルールを創造するのでしょう。これが「複雑・煩雑」になっていくいい例です。根本の使用イメージを無視して形からルールを作ろうとするから、無理を重ねなくてはならない。

単純な very と much の使い分けの問題なのに。



分詞構文の話はわき道ですが、触れておきます。(放置できないと考えますので。)

Very anxious about his ilness, I can't sleep.

は、Being の省略ですね。これを形容詞単独で分詞構文を作っているとは、私は取りません。

それに「分詞」構文というのに、形容詞構文となぜあなたはいわないのですか? 自己矛盾じゃありませんか? この文を「分詞」構文というとき、anxious は分詞であると、あなたは言っているのでしょうか?

 (ま、形容詞なら分詞構文を作れるのなら、分詞⊂形容詞説を補強するものではあります)



---

> 分詞は、「時制的意味合いが弱い」と書いてありますが決して「時制を持つ」とは書いていません。当然、現在形・過去形を持っていませんから。ただ、意味の上では、その意味合いがあります。つまり、述語動詞と同時性を表す



この解釈が、be 動詞を理解していない人の考え方です。

右から左に解釈する。

違います。

be 動詞が、次に来る語に「いのち」を与えるのです。(←重要な感覚です)

後ろに来る分詞が前の時制と同時性を表す、、、なんて判りにくいんでしょう。

単純に、前の be 動詞が時制を示す。それに従って、分詞も解釈されるのです。

順番はとても大事です。並んでいる順に機能していきます。

be 動詞が与えている意味を、無理矢理、「ing形が時制的意味合いを持つ」なんて表現するのは、生徒を誤った方向に導きます。

I am     reading the book.

I was    reading the book.

I will be  reading the book.

ing形自体に「時制的意味合い」なんてありません。



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> 「完了分詞構文」という形容詞にはない特色があるので、形容詞と同列扱ってはならない部分があります。



私が書いていることでしょう?

>> 分詞は形容詞ですが、形容詞にない分詞構文という構文をとれるという特徴はあります。

「完了」は余計です。

普通の形容詞は、「分詞」構文を作れません。普通の形容詞を分詞構文で使おうと思ったら、何らかの「状態動詞」の「分詞」が必要です。だからこそ、「分詞」構文というのです。

つまり、分詞には、「副詞句」を作れるという特徴があります。

動詞由来の分詞の特質です。



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> 「進行形の意味は、-ingで作る」とおっしゃっていながら、「knowは、進行形にできない」と書き、さらに「形容詞にしたいときはknowing」と書いてあります。矛盾してませんか?



読んでないのかなぁ? 「できない」って書いたのはあなたですよ。私は「する必要がない」と書いている。↓

>> 状態動詞がそうでしょう。knowもそうですよ。もともと、「知っている」という意味なのだから、進行形にする必要がない。



必要があればするだけです。「できない」わけじゃありませんよ。

もともと「している」意味なので、進行形にすると意味が変わります。「していることをしている」なんて意味がないから、あえて進行形にする場合は意味が変わります。

they are knowing an identity crisis ?

これは自我に目覚めつつある青少年の話で出てました。

Do We Do What We Are Knowing?

私たちは何か知りつつあるのだろうか?



形からルールを作ると↑が誤用のように感じられるでしょう。

それも弊害ですね。



これは高度な知識なので触れるつもりはなかったのですが、行きがかり上説明すると、状態動詞を進行形にすると、そのときの「形容詞である分詞」の意味は「~しつつある」になります。状態動詞自体が少ないし、用法としても少ないのですが、knowing と dying という主語の補語となる「形容詞」は、覚えておくといいでしょう。それぞれ「知りつつある」「死につつある、死にかけている」という意味です。



---

> be動詞を助動詞と言う説明でも十分成り立つ説明です。「be動詞が助動詞でない」という説明にはなりません。



成り立ちますよ。

ただし、実際の感覚とはズレている、と言っているのです。

旧来の英文法でも英文解釈は可能です。それは「一つの実体の別の射影」であると私は書いています。

> 再掲

I am  running. 私は、走っている「状態」である。

I am  tired.   私は、疲れている「状態」である。

I am  hungry.  私は、腹が減っている「状態」である。

こうあなたが言うとき、ホントにこれは助動詞のbeで、これは動詞のbeで、、、と区別していますか?

ホントに違いがあると、心から思っていますか?



これにあなたは答えませんね。なぜですか?



これは25.4cmです。いや、10 inch です。

長さではどちらの射影で言っても問題はないでしょう。でも、文法では、実際に使われている、つまり人間の脳の中で使われている文法の方が、よりベターだと私は言っているのです。



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> 「be動詞は進行形・受動態のときは、助動詞である」という見解がなされています。

> それが、助動詞であるから、have + 過去分詞 の形も「助動詞 + 動詞の過去分詞形」でひとくくりとできます。



2行目以下、これが混乱の元です。形から解釈しようとする。

be + pp, と have + pp を「ひとくくり」にする必要があるのですか!?

それぞれ別個に、

そのまま、be の意味を取り、pp の意味をつなげて解釈する、

そのまま、haveの意味を取り、pp の意味をつなげて解釈する、

の方がいいと思いませんか? 「ひとくくり」にして生徒にどういうメリットがあるのでしょうか? もちろん、「教える側」は同時に似た形としてやれる、つまり手間を省くだけのメリットはあるでしょう。

それぞれの語の「意味」をすっ飛ばして、形から解釈しようとするから、

be の意味を子ども達が理解できないのです。中学校で be 動詞が理解できていない生徒がほとんどなのはこれが原因だと思います。



be 動詞は be 動詞、分詞は分詞と個別に理解しなければ、使えない。

be 動詞の意味を度外視した「形で」解釈しようとするから、

She is married.

のような受動「形」を例外扱いしなくてはならなくなります。(「態」です。「形」じゃない。旧英文法もそのことは気づいています。)

あるいは、これらは「完全に形容詞化した単語」と暗記するハメになる。

そうでしょうか? married は完全に形容詞化した単語なのでしょうか?

だったら、この be は動詞の be ? それとも助動詞?

She is a married woman.

こう言ったら、married は形容詞?分詞? be は動詞?助動詞?



is は動詞で「主語が、後に来る補語のまさに現在あるいは近い将来の状態である」ことを示し、married は「分詞という種類の形容詞」、その意味は marryが「結婚する」(させるという意味はないに等しい)だから「結婚している(結婚した結果)」という意味になる、と理解した方がすっきりすると私は考えます。

実際、私は、そうやって意味を取っています。後戻りして考え直さなくて済む。

受け身か状態かは、分詞の「元である動詞がもつ意味」から自ずと明らかになるのです。

(なお、過去分詞の意味は受け身か結果かは常に決まっているワケではありません(←重要)。文脈による場合もあります。)



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> 私が読んでいる文法書は、英米人の学者が書いたもの



だから「正しい」といいたいのかもしれませんが、残念ながら、理論というのは変わるものです。mouthbird さんが書かれていることのほかに、今、Cambridge 大学で英国人研究者らが異説をいろいろ唱えています。

日本でも、大西先生はじめ、これまでと違った理解の仕方を普及させようとしています。



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> ひとくりで述語動詞になれる。」としたほうが、はるかに単純



失礼ながら、あなたは英語を話せないのではありませんか?

「ひとくくり」になるまで待っていたら、とても会話では間に合いません。

書物なら別です。見えますから。

でも、読む場合でも、「ひとくくり」を探すか、臨戦態勢を頭で取っておくか、なんてしないでも、前から読んでいく方が、早いし楽だし、そうしてるんですよ。”この be は動詞かもしれないし助動詞かもしれない”とペンディングの状態で先を読み進める、、なんてしてないんですよ。返り読みはつらい。

これは、be 動詞と分詞の間に長い副詞句が入っているときなど顕著です。

私もかつては「ひとくくり」派でしたから、その非効率性を頭フル回転で補ってました。今は「順読み」ですからストレスなく読めます。



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> 「have は動詞で、過去分詞は形容詞」。これは相当無理でしょう。



いいえ、そのとおりです。

My father has gone to Kumamoto.

「gone to Kumamoto」は「熊本にいって<<いる>>状態である」という形容詞句です。

そういう状態を My father は「今持って<<いる>>」。

それは、

My father is gone to Kumamoto.

と書き換えられることから、明らかです。



「補語になる」というのが、形容詞の条件であり定義の一つなのです。



(She is married. やMy father is gone. は受動態であり、beは助動詞だと言われますか? gone to Kumamoto は補語ではないと。そういう解釈も可能かもしれませんが、話している人間は想像を絶する解釈です。)



完了「形」(態ではありません)は、have が目的語として過去分詞による形容詞句をとるユニークな「形」です。

でもこれも形で理解しようとしては、遅れを取ります。have の意味を抽象的にとる。「現在何か持って<<いる>>」そう取っておき、次の目的語の過去分詞の意味を積み上げる。過去分詞が意味する「結果である状態を形容する内容」を積み上げるのです。



完了形の have は、状態動詞です。

状態動詞は形容詞をとることができるのです。be, look, seem,,, 状態動詞はご存じですよね?



---

> 子供ではとても使うことのできない表現や、文法



受動態や完了形や進行形がそうなんですか?

I am running. I am tired. I am hungry. どこが難しいんですか?

難しくしているのは、旧来の英文法なのです。

それはマチガイではないけれど、実体とズレた一つの「射影」だと言っているのです。



> 「子供に使えない」から、否定的な態度



ではありません。子どもでも英文法に則って話していることを言っています。

使っている人間が「あぁそうだな」と納得できない英文法っておかしくはないか?

ということです。

例外があふれかえる英文法、細則が山積みの文法って、どうなんかなぁ、子ども達は「細則」は知らないのに、なぜ正しい英語がしゃべれるのだろう? と言っているのです。



子どもが知っている、そして使っている文法の方が実用的じゃないかな? という示唆です。



旧来の英文法を一時は極めた私が、それがアメリカで通用しなくて、自分でいろいろ発見していったという経緯が私にはあります。だから、実用的な英文法がベターだと強く思うのです。

2008年
05月16日
16:08
さん

24:

HARUTI のコメント:
もう少し節度を考えてはどうですか?ここはあなただけの場所ではなのですよ?私が一番最後に書いた文を読まなかったのですか?

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