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文法の例外細目と関係副詞that(2)
昨日の日記「文法の例外細目と関係副詞that(1)」
http://q-eng.com/diary/2123
の続きである。↑を読んでいない方は先にお読みいただきたい。
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(2)英語が苦手な人の発想と得意な人の発想の違い
c. 苦手な人の発想…「○をもらえればよい」
ここで1度、前回の「たとえ話」の話題に戻りたい。
「九九がスーパー得意であった私」は
⇒もし「22×20」を覚えられたら、「算数博士」にでもなった気分になり、満悦な気分を楽しんだことだろう。
と書いた。
ここで「算数嫌い(だった)方」に問う!
あなたは「算数博士になりたい」ですか?
「算数博士」に憧れを感じますか?
絶対「フザケンナ!」という気持ちのはずだ。
「誰がそんなものに憧れるか! バカヤロウ!」
と思うのが普通。違うだろうか?
では、そんなあなたにもう1つ質問!
私(算数大好き・大得意・九九なんてゴミのように簡単だと思っている)から
あなたに向かって
「君も「算数博士」に憧れるだろう? そうなるように「22×20」を覚えよう!^^♪ 掛け算オリンピックで世界一を目指そう!」
と言ったとする。
このときあなたはどんな気分になるか?
「お前は一回死んでくれ!」
と思わないだろうか? どうだろうか? 九九が苦手(だった)皆様?
私に呪詛を唱えながら、九九を必死に覚え、掛け算オリンピックで1点でも多く獲得しようと思うはずだ。
これを英語に当てはめる。
ここで「英語嫌い」は問われる!
あなたは「英語のネイティブスピーカーのようになりたい」ですか?
「英語のネイティブスピーカ」に憧れを感じますか?
絶対「フザケンナ!」という気持ちになる。
「誰がそんなものに憧れるか! バカヤロウ!」
と思う。
さらにもう1つ質問!
「(英語大好き・大得意・英語の基礎なんてゴミのように簡単だと思っている)人から
あなたに向かって
「君も「英語のネイティブスピーカ」に憧れるだろう? そうなるように「よりネイティブらしい表現」を覚えよう!^^♪ よりネイティブらしくしゃべろう!」
と言われたとする。
このとき「英語嫌い」はどんな気分になるか?
「お前は一回死んでくれ!」
と思うのだ。
そう言った奴に呪詛を唱えながら、英語の学習を必死にし、テストで1点でも多く獲得しようとするのだ。
ここまでよろしいだろうか?
> ここで強調したいのは
>「嫌いなほうの「らしさ」には目を背ける」
>「好きなほうは「らしさ」に飛びつく」
> という2つである。
英語嫌い人間にとって、「英語らしいものは何だろうか?」
それは
⇒より「ネイティブの英語に近いもの」に他ならない。
だから例えば「英会話」なんて、英語嫌いが最もやりたくないことである。
↓参考(私が学習したい順の最下位が英会話である)
http://juken.alc.co.jp/mouthbird/archives/2006/03/post_140.html
ここで言いたいことの結論は↓こうである。
英語嫌い人間は、英語の学習を(テストなどがある所為で)どうしてもしなければならない場合
必然的に↓このように考える。
ただ「○さえもらえれば良い」>>>>>>>>>>>よりネイティブらしい表現にこだわる
絶対に↓こうは考えない
よりネイティブらしい表現にこだわる>ただ「○さえもらえれば良い」
これは、算数嫌いな人が
「22×20」を覚えようとする>九九だけで済ませて「○さえもらえれば良い」
とならないのと同じである。それとも、あなたは「22×20」を覚えたくなるのだろうか?
英語嫌い人間は、単純に「試験で○が欲しい」だけなのだ!
よりネイティブらしい表現? 冗談じゃない! そんなもの欲しいわけがない!
強いて言えば「よりネイティブらしくないほう」がありがたい! そっちのほうが「英語らしくないからな!」
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d. 得意な人にとっての関係副詞that編
一方、英語が得意な人はどうだろう?
よりネイティブらしい表現を欲するはずだ。そっちのほうが「より英語らしいから!」
苦手な人と違い↓
よりネイティブらしい表現にこだわる>ただ「○さえもらえれば良い」
となるのである。
ここで、関係副詞that の話を持ってこよう。
私が出した問題の選択肢に
B. I never forget the day that I met you.
C. I never forget the day when I met you.
という部分があった。両方とも正しい英文ではある。
しかし、Bのように「関係副詞that」が使われる頻度は、Cのように「関係副詞when」を使われる頻度よりもかなり少ないのである。(ちなみに、もちろん、この頻度の情報を私は解説に加えてある)
つまり、「よりネイティブらしい表現にこだわる」はずの英語好きな方は
I never forget the day when I met you.
を好むはずである。
というか、多くの英語好きの方は 「I never forget the day when I met you.」といった関係副詞 whenを使った英文を既にたくさん目に触れているはずなのである。
英語好きな人はことあるごとに英語に触れるのだ。↓参照
http://juken.alc.co.jp/mouthbird/archives/2006/01/post_101.html
しかし、「I never forget the day that I met you.」という表現はお目にかかっていない英語好きな人が多いわけである。だから英語好きな人は「thatって正しいの?」と「違和感」を感じる人が多いはずである。(多くの英語好きな人は関係詞の問題が大得意である。多くはカンや違和感で、正解を導き出せるから。↓参考)
http://juken.alc.co.jp/mouthbird/archives/2008/07/post_496.html
ここで私が、「thatには関係副詞で使える用法もあります」と説明する。
このとき、英語好きな人の中には、こう感じる人が多いはず!
「そんなあまりお目にかからない表現なんて、細かすぎる! そんな表現を教わる必要があるのか? もっと大事なことがあるはずだ!」
と。
彼らがそう感じるのはもっともだと私も思う。
ただし「英語が苦手な人はそうは感じられない」のだ。
それについては明日説明する。
m(_ _)m
次回は
(2)英語が苦手な人の発想と得意な人の発想の違い
e. 細かさ編(苦手な人は細かいかどうかが分からない)
からの説明になる。
続き(3)↓
http://q-eng.com/diary/2121