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Prejudice in My Mind 偏見って?!(英語関係なし)
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1: luminさん
「偏見」って、単に無知からきている場合も多いですよね。 あと、自分も含めましての反省ですが、自分自身とか、家族とか、自分の大切な人が、マイノリティーになってみて、はじめてその気持ちが実感できるのかしらと思ったりしております。 自分や近しい人たちが多数派でいられるうちは、その立場に安住してしまいますような・・・ 再放送、忘れないように気をつけます。
2: mikapyonさん
>>1 luminさん そうですね。 きちんと知らないことは、人のうわさや「風評」を鵜呑みにしたり、いつのまにか「偏見」を自分の中に持ってしまうことも多いですよね。気を付けたいです。 わたしも ゆーりっくさんがいらっしゃらなければ カネミ油症のことなど全然知らないままで過ごしていたと思います。 ほかにも知らないことがいっぱいあるんだろうなぁ・・・
3: ちいこさん
カネミ油症についてのことだけでなく、いろいろなことを考えるきっかけになる番組でしたね。 病気の方への偏見や差別って、昔だったら、らい病とかもあったんですよね。 原因がよくわからない病気とか、治らない病気とかだと、多かったのかもしれない。 無知からくるものだと思うけど、それでもひどいことですね。 病気だけじゃなくて、例えば職業とか地域的なところからの差別だって いまだに強く根付いてたりして、たとえばそれが原因で結婚できなかったり就職できなかったりもする。 「差別はよくない。人間はみんな平等」って教えられてきた人が、そして子に教えてきた人が、平然と差別をしたりするんですよね。 なんでだろうね。悲しいですね。 私も、自分の中にそういうものは無いと思いたいです。
4:
> 「自分とは違う」と線を引けば、災いを遠ざけれると思う心理がはたらくのでしょうか? > 私の中にもそういう気持ちはないだろうか? 「無知だったから」「(いろんな情報に)だまされていた」と理由づけをして「自分は悪くない」と自分を納得させて安心したい、そういうものなんでしょうかね。(あ、私も含めて、ね、もちろん) 外から見ていて、偏見や差別に苦しんだ人のことを自分と同じ人間なのに思うことは案外できても、偏見をもったり差別をしていた人たちのことを自分と同じとはなかなか思えないみたいですね。(いじめの話とか聞いていてもそうだもん) 「偏見・差別を持っているなんてひどい」「どうしてそんなひどいことができたのか信じられない」と線を引くことは、「あの人たちは私たちとは違う」とみなしてるってことじゃない?? 自分は本来偏見を持つような人間ではないと思う、その前提は怖い気がします。いろんなことに偏見を持ってる人や差別してる人も、自分ではそんなことしてるとは思ってなくて、むしろ、「それは当然でしょう。そこはきちんとしておかないと」くらいに思ってるでしょうから。 そういうときお互いに「相手は無知だからそう思ってる。私のようにいろいろ知識があればそんなことは思わないはずだ」と思ってるんでしょうからねぇ。「お互いに」思ってるってところがミソですね。 いろんな価値観の中で、私のは「良識・常識」で、あっちのは「偏見・差別」と決める、その基準は結局「私は正しい(はず)」なのかなぁ? そういえばDMEレッスンのテキストにこんな練習文がありました。 Should we be able to laugh at ourselves? Yes, we should be able to laugh at ourselves. Why is it difficult? Because we like to think that we are cleverer than other people. でもさ、「私は正しい(はず)」がなかったら、それこそ自己肯定感がなくなっちゃって、それはそれで精神的に不安定になりすぎるだろうし…難しいねぇ。
5: mikapyonさん
>>3 ちいこさん >「差別はよくない。人間はみんな平等」って教えられてきた人が、そして子に教えてきた人が、平然と差別をしたりするんですよね。 それで思い出したんだけど、子どもたちが中学生の時に 毎年夏休みに「人権作文」というのが課題にでました。「人権ポスター」っていうのもありました。いつも四苦八苦して書いていましたね・・・・ そのときに思ったのは 夏休みに宿題にするのはいいけど、先生方はこのような問題とどう向き合っておられて普段の子どもたちとの付き合いの中でどう伝えているのかということでした。 残念ながら、普段の授業などで見聞きする先生方の態度や言動からは、真摯に向き合って考えておられることがわかる方はほとんどおられませんでした。 ただひとり、印象に残る先生がおられて、これは息子の小学校の時の担任の先生ですが、勉強の教え方も実に上手で、子どもたちみんなからすごく信頼されている方でした。 ある保護者会が終わってほとんどの親が帰りかけたときに ある親がその先生のところに行って、別の親の悪口のようなことを言いかけたんです。すると先生はすごく静かな態度で「その方がいらっしゃらないところで そういうお話はしないでおきましょう」 と言ったんです。 自分とは遠いところにある 差別・偏見 のことはいくらでも言えるけど、身近なところで起こるこういうことにきちんと対応できるってすごいことだなって思うんですよね。流されないでいることって、ものすごい強さと、折れないしなやかさが必要ですもんね。 この歳になっても まだまだ修行が足りないなぁって思います。
6: mikapyonさん
>>4 marukoさん >自分は本来偏見を持つような人間ではないと思う、その前提は怖い気がします そうなんですよね。 この頃私は、人間ってそもそも偏見を持つようにできてるんじゃないか とかなり深く疑ってます。 偏見や差別でもって自分を守るという、姑息な行動・思考が本能の部分に刷り込まれているのではないかなぁって。 そのことを自覚して、いつも自分を点検していないと だめだなぁ。。。 って思っててもまだまだ足りないなぁ。。。。 >でもさ、「私は正しい(はず)」がなかったら、それこそ自己肯定感がなくなっちゃって、それはそれで精神的に不安定になりすぎるだろうし…難しいねぇ。 うんうん、そうなの。 人間やってくのって ほんと、難しいね~。 とはいえ そういう自分を外から眺めて 「おうおう、がんばっとるなぁ。」 って思ってる自分もいる気がする。そういうふうにバランスをとりながらやってくんだろうね。
7: ゆーりっくさん
みかぴょんさん、取り上げてくださってありがとう
8: mikapyonさん
>>7 ゆーりっくさん こちらこそ ♡♡ お薬はじまって大変なのに、コメントありがとう。 それに、油症のことも教えてくれてありがとう。
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