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mikapyonさんの日記

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2013年
05月27日
11:05 mikapyonさん

Prejudice in My Mind 偏見って?!(英語関係なし)

  • その他
ゆーりっくさんが紹介してくださった NHK ETV  「毒と命 ~カネミ油症 母と子の記録~ 」 を見ました。

番組に登場したのは 私と同世代のお母さんと、私の娘と同じ年生まれのお嬢さんです。
お母さんは6歳のときに PCBに汚染された カネミという会社の製造販売した ライスオイルを食べ、その直後から「油症」に悩まされておられます。「油症」 というのは、一般的な病名ではなくて PCBに汚染された食用油の摂取後に表れた体の異常の総称のように使われていました。 

私は当時 テレビのニュースで「カネミ」とか「こめぬかあぶら」とかいう言葉を聞いた記憶があり、それによってひどい病気になった人たちがいるんだなぁ ということは印象に残っていました。でも、それはもうすっかり終わったことだとばかり思っていたのです。

でも、事実は全然ちがいました。特に、わたしと同年代の方が今も体の不調に苦しんでいるということだけでなく、その子どもにまで被害が及んでいるということに驚きました。そして、このことが知らされてこなかった要因のひとつに、「偏見と差別」があったということに「何で????」 と 思わずにいられませんでした。また、被害者を一番苦しめたのも、実は、この差別と偏見だったということには、考え込まざるをえませんでした。

番組の中で、水俣病に長く関わってこられて、カネミ油症の患者さんも多く診てこられた 原田先生というお医者さんが、「患者さんには なにひとつ落ち度がない」 とおっしゃってましたが、その通り、何の罪もない人たちがひどい病気にさせられて、その上周囲からは汚いもののように扱われ、つまはじきにされたりしたのです。そのことが怖くて、何十年も検診を受けられなかった人もいました。油症のお母さんたちから生まれた子供たちの健康状態に対する 疫学的調査がすすんでこなかったのも、この「差別と偏見」の壁があったからだといいます。 原田医師は 「そういう社会的な 差別や偏見のことを無視して、疫学調査だけやろうというのが無理なんだ」 というようなことをおっしゃいました。

何の落ち度もないのに、たまたま被害にあってしまった人たちを偏見の目でみたり、差別したり というのは、カネミ油症だけではないですよね。原爆にしても、被爆者であることを世間に知られないようにひた隠しにしたといいますし、ついこの間の福島第一原発の事故でも 自宅を追われた避難住民が各地で受けた偏見や、差別的な扱いが問題になりました。

人間って、どうしてそうなんだろう?

どうして、不幸な目に遭った人たちのことをそういう風に見てしまうんだろう?そういうふうに差別して、「自分とは違う」と線を引けば、災いを遠ざけれると思う心理がはたらくのでしょうか?

私の中にもそういう気持ちはないだろうか?

ない、といいたい。何の罪もない人たちを差別するなんてとんでもない、私はずっと彼らに寄り添っていくよ! と断言したい。でももしかしら、遠くで見てる今だから言えるだけなんじゃないだろうか? 油症だけじゃなくて、福島で被害にあった人や、健康被害だけじゃなくて、その人には何の罪もないことで差別的な待遇を受けている人たちってものすごくたくさんいると思うけど、そのすべてについて何の偏見もありません!って言えるだろうか?

この番組は私自身にこのことを改めて問うきっかけになりました。
この問いは 私が自らに問い続けていかなければならない課題だと思います。

もうひとつ、油症の認定についてどうしても納得できないことがありました。それは、日本では油症二世がまったくといっていいほど認められてないということです。 同じような事件が日本の10年後くらいに起きた台湾では、「日本の事例をみて」母から子へ被害が伝わることは明らかだとして、油症患者から生まれた子供は無条件で患者として認定され、治療費などが国の負担になるそうです。 なんで日本ではそれを無視しようとするのでしょう? 全く解せません。
胎児期や小さい子どもの時にうけた PCBやダイオキシンの害は 血中濃度という形では残らなくても、遺伝子を大きく壊してしまった可能性があるのは素人目にも明らかなのに、国の基準はいまだに「血中のPCB濃度」なのです。あほか、って言いたいです。番組中に「救済」じゃない、「償い」だという言葉がありました。「かわいそうな人を助けてあげよう」というスタンスじゃなくて、「国の落ち度でひどい目に遭わせてしまった人たちに 償いをする」というのが筋だと。
ほんとにそうだと思います。 それくらいのことが出来ない国なのかと思うと情けないし、そんな国の国民では安心して暮らせません。

まだ 番組を見ていない人には ぜひ見ていただきたいと思います。
6月1日(土) 午前0時45分(金曜日深夜)
NHK Eテレで 再放送があります。
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コメント

1番~8番を表示

2013年
05月27日
13:30
luminさん

「偏見」って、単に無知からきている場合も多いですよね。

あと、自分も含めましての反省ですが、自分自身とか、家族とか、自分の大切な人が、マイノリティーになってみて、はじめてその気持ちが実感できるのかしらと思ったりしております。
自分や近しい人たちが多数派でいられるうちは、その立場に安住してしまいますような・・・

再放送、忘れないように気をつけます。

2013年
05月27日
16:10
mikapyonさん

>>1 luminさん
そうですね。 きちんと知らないことは、人のうわさや「風評」を鵜呑みにしたり、いつのまにか「偏見」を自分の中に持ってしまうことも多いですよね。気を付けたいです。

わたしも ゆーりっくさんがいらっしゃらなければ カネミ油症のことなど全然知らないままで過ごしていたと思います。 ほかにも知らないことがいっぱいあるんだろうなぁ・・・

2013年
05月27日
23:33
ちいこさん

カネミ油症についてのことだけでなく、いろいろなことを考えるきっかけになる番組でしたね。
病気の方への偏見や差別って、昔だったら、らい病とかもあったんですよね。
原因がよくわからない病気とか、治らない病気とかだと、多かったのかもしれない。
無知からくるものだと思うけど、それでもひどいことですね。

病気だけじゃなくて、例えば職業とか地域的なところからの差別だって
いまだに強く根付いてたりして、たとえばそれが原因で結婚できなかったり就職できなかったりもする。
「差別はよくない。人間はみんな平等」って教えられてきた人が、そして子に教えてきた人が、平然と差別をしたりするんですよね。
なんでだろうね。悲しいですね。
私も、自分の中にそういうものは無いと思いたいです。

2013年
05月28日
08:57
さん

4:

> 「自分とは違う」と線を引けば、災いを遠ざけれると思う心理がはたらくのでしょうか?
> 私の中にもそういう気持ちはないだろうか?

「無知だったから」「(いろんな情報に)だまされていた」と理由づけをして「自分は悪くない」と自分を納得させて安心したい、そういうものなんでしょうかね。(あ、私も含めて、ね、もちろん)

外から見ていて、偏見や差別に苦しんだ人のことを自分と同じ人間なのに思うことは案外できても、偏見をもったり差別をしていた人たちのことを自分と同じとはなかなか思えないみたいですね。(いじめの話とか聞いていてもそうだもん)

「偏見・差別を持っているなんてひどい」「どうしてそんなひどいことができたのか信じられない」と線を引くことは、「あの人たちは私たちとは違う」とみなしてるってことじゃない??

自分は本来偏見を持つような人間ではないと思う、その前提は怖い気がします。いろんなことに偏見を持ってる人や差別してる人も、自分ではそんなことしてるとは思ってなくて、むしろ、「それは当然でしょう。そこはきちんとしておかないと」くらいに思ってるでしょうから。

そういうときお互いに「相手は無知だからそう思ってる。私のようにいろいろ知識があればそんなことは思わないはずだ」と思ってるんでしょうからねぇ。「お互いに」思ってるってところがミソですね。

いろんな価値観の中で、私のは「良識・常識」で、あっちのは「偏見・差別」と決める、その基準は結局「私は正しい(はず)」なのかなぁ?

そういえばDMEレッスンのテキストにこんな練習文がありました。
Should we be able to laugh at ourselves? Yes, we should be able to laugh at ourselves.
Why is it difficult? Because we like to think that we are cleverer than other people.

でもさ、「私は正しい(はず)」がなかったら、それこそ自己肯定感がなくなっちゃって、それはそれで精神的に不安定になりすぎるだろうし…難しいねぇ。

2013年
05月28日
10:21
mikapyonさん

>>3 ちいこさん
>「差別はよくない。人間はみんな平等」って教えられてきた人が、そして子に教えてきた人が、平然と差別をしたりするんですよね。

それで思い出したんだけど、子どもたちが中学生の時に 毎年夏休みに「人権作文」というのが課題にでました。「人権ポスター」っていうのもありました。いつも四苦八苦して書いていましたね・・・・

そのときに思ったのは 夏休みに宿題にするのはいいけど、先生方はこのような問題とどう向き合っておられて普段の子どもたちとの付き合いの中でどう伝えているのかということでした。
残念ながら、普段の授業などで見聞きする先生方の態度や言動からは、真摯に向き合って考えておられることがわかる方はほとんどおられませんでした。

ただひとり、印象に残る先生がおられて、これは息子の小学校の時の担任の先生ですが、勉強の教え方も実に上手で、子どもたちみんなからすごく信頼されている方でした。 ある保護者会が終わってほとんどの親が帰りかけたときに ある親がその先生のところに行って、別の親の悪口のようなことを言いかけたんです。すると先生はすごく静かな態度で「その方がいらっしゃらないところで そういうお話はしないでおきましょう」 と言ったんです。

自分とは遠いところにある 差別・偏見 のことはいくらでも言えるけど、身近なところで起こるこういうことにきちんと対応できるってすごいことだなって思うんですよね。流されないでいることって、ものすごい強さと、折れないしなやかさが必要ですもんね。

この歳になっても まだまだ修行が足りないなぁって思います。

2013年
05月28日
10:37
mikapyonさん

>>4 marukoさん
>自分は本来偏見を持つような人間ではないと思う、その前提は怖い気がします

そうなんですよね。
この頃私は、人間ってそもそも偏見を持つようにできてるんじゃないか とかなり深く疑ってます。
偏見や差別でもって自分を守るという、姑息な行動・思考が本能の部分に刷り込まれているのではないかなぁって。
そのことを自覚して、いつも自分を点検していないと だめだなぁ。。。 って思っててもまだまだ足りないなぁ。。。。

>でもさ、「私は正しい(はず)」がなかったら、それこそ自己肯定感がなくなっちゃって、それはそれで精神的に不安定になりすぎるだろうし…難しいねぇ。

うんうん、そうなの。
人間やってくのって ほんと、難しいね~。
とはいえ そういう自分を外から眺めて 「おうおう、がんばっとるなぁ。」
って思ってる自分もいる気がする。そういうふうにバランスをとりながらやってくんだろうね。

2013年
05月28日
17:11
ゆーりっくさん

みかぴょんさん、取り上げてくださってありがとう

2013年
05月28日
17:56
mikapyonさん

>>7 ゆーりっくさん
こちらこそ ♡♡
お薬はじまって大変なのに、コメントありがとう。
それに、油症のことも教えてくれてありがとう。

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