今回も臨時で、大学入試:民間試験導入延期の件のお話をします。
私は導入反対派です。どうしてそうなのかは先週述べました。
http://q-eng.com/diary/22112
しかし、私は賛成派の意見にも耳を傾けるようにしています。
それも、その影響を実際に受ける「現在高校2年生の賛成派の意見」は、耳を傾けざるを得ません。
幸い? 私のゲーム仲間に、
英語がえらくできる賛成派の高2がいます。忙しい彼に、今回の騒動について意見をどうしても聞きたくて、無理やり聞いてみました。掲載の許可をもらったので、ここに載せます。
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周りの人の中には翻弄されて苛立っていた人も居た… 教育以外の要素で延期が決まったけど、いずれは何らかの形でライティングとスピーキングも評価されるべきだと思う。
時々、高校生は授業以外で英語を使わないから4技能にしても身につかないとか、スピーキングでは読解力が身につかないとか、色々な意見を見る。そういう個々の事例を挙げ続けたらキリがない訳だけど、例えば、中学高校の数学は授業を聞いただけで使えるようになると思うか?とか、そもそもリーディングとリスニングに偏っていたものをバランスよく評価するようになるだけとかを考えているのだろう。つまり私の目に晒されている批判は、どうも英語だけを特別なものとしてほかの教科から隔離させて考えられている気がする。
高校の国語のシラバスが変わって、「古典探求」だとか「論理国語」(名前は正確じゃないかもしれない)という科目になる方針では、一部の間で「文学を軽視している」って意見がある。共通テストでは実用的な文章を正確に読み取る能力が求められるらしいし、日本の高校生が身につけることになる国語は第一言語である日本語を使う事を重視するようになっていると言える。となると英語の科目に関しても言語を使うことに焦点を当てられるのは当然だし、母語じゃない分スピーキングやライティングの能動的な言語活動は評価されて当然だと思う。
確かに英語がある程度流暢に話せることが直接グローバル化に対応しているわけではない。でも、国外の文化を理解しようとしない事はむしろグローバリゼーションには逆行しているんじゃないかな。何かを禁止することが絶対正義ではなくて、生徒にどうやって興味を持たせるかやどんなメリットがあるのかを伝えるのが大人の役目であってある意味義務だと思う。
そして言語において文字よりも音が本質にあると考えているから、私はIELTSを受ける予定は変更しないし、今まで通り頑張ろうとは思う。
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以上でした。
彼にしてみれば、大人の判断でふり舞わされた、ってことになるはずです。彼は賛成していたのだから、今回の決定は
満足なはずがありません。
我々大人は当事者の意見にもっと耳を傾けるべきだと思います。たとえ、自分とは意見が異なっても!!
来週こそはいつものシリーズの続きです。
金曜日は夜11時からニコ生英文法講義があります。
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