ここ2~3年考えていながらも、「どうも、わざわざ書くことでも無いかな?」と思ったり、宮沢賢治やカフカも遺稿は全て焼却する事を希望していたなどということなども気にしていたりして、
そのままにしてしまったけれども、やっと暑さも一段落して、何もしたくないので、少し文章を書こうか、と思った。
古いけれども、人間には「言語獲得装置」がある、とチョムスキーは言っていた。今風に言えばDNAに備わっているとでも言えるだろう。でなきゃ生きていけない。
一方、胎児の聴覚は6ヶ月でほぼ完成するらしい。つまり、赤ん坊は母親のお腹から出た瞬間から、多くの音を聞いて育つ訳だ。耳は塞がない限りあいているし。然も、生まれたばかりの脳はまっさらといっていい。
ただ、その万能性は家族を中心として母国語に固まっていく。なのでバイリンガル環境にあればどちらかというと自然に二つの言語を獲得してしまう。
余談になるけれど、英BBCで聞いたけれど、研究者が自分が妊娠した際に受精卵の万能性を追ったところ、4分割あたりで大体何になるか決まるようだったらしい。
もちろん本人の努力やどんな教育を受けるかというのは結構大事だけれど、周りに母国語/外国語に強いヒトがいるだけで子供にとっては為になると思う。
こういうことがわかってきたのは、甥が3~4歳のときに積み木で「ホーキット」とせがまれてホーキットでなんだ?とわからず、泣かれた。2~3日後に「あ、フォークリフトだ!」とわかった記憶があるからだ。
もう一人の甥っ子は体が弱く、医者から「薄着をさせて、太陽に当たるように」といわれながらも、親がしないのでよく散歩に連れて行った。高所作業車が好きで、「コーチョギージャ」とよく叫んでいた。まだ、口周りの発育が出来ていなくて発音できないのだろう、とよく思ったものだ。
子供が話せるようになっても、「おかえり」「ただいま」と言えるようになるまで時間がかかる。
耳や脳、口を鍛えるためにも、インターネットでいい外国語に触れさせればいいのだ。
偉い先生が動詞の活用や名詞の性についてそれを強調しながら講義をするのを聞くにつけ、「あ、言葉を覚える過程の真逆をやっている」と感じる。
そんなの好きくね。変じゃね?
El amor se escapa y ya no ha de volver… 好きな歌の一部で当時はわからなかったけれど、ロマンス語をやったらすぐ慣れてしまった。
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