実はこの件に関しては理学療法士にも話してみたのです。
以前に「話をするコトは随意運動ではないのか?」と言う質問をしてみたことがあることと、この患者さんを知っていると言うことがその理由です。
加えて、「仕事柄、英語の論文やレポートを読まなきゃいけないことがある」、と聞いていたので。
その時の答えは、「話すということは随意運動ではあるけれども、日常においてはほぼ反射と言っていい行為」だそうだ。なので、件の患者さんの件は縛に言わせれば、外国語の処理能力が低い日本人というものを想定すれば同じことですよ、と話してみたら、「あー、(察し)」という感じでした。
ちょうど、「ネイティブは What time is it NOW? とは普通言わないという見出しを見たことがあるんですけど」と言われたことがあったことを思い出した。
僕の感じでは it is? で既に「今」という含意があるので、ナウを使うと「馬から落ちて落馬した」という感じはするけれども、そう聞かれて変な顔をするような英語話者は意地が悪いかアタマが悪いかのどちらかなので相手にしなければ言いだけでいいと思います。最近では「違和感を感じる」というのがあるか。
仮に拙い日本語で何かを聞こうとしている外国人に会ったら、何を言おうとしているかわかろうと努力するし、わかってもらえるようにゆっくり、はっきりと話そうとするのではないかなぁ、と話しておいたことがあった。
意志の疎通を図るためには両者の歩み寄りが行われていると言うことですね。
失語の症例から外国語の「脳内変換」に繋がる説明が出来たことが出来た割と痛快な出来事でした。
もちろん、海外駐在目前であるとか大学の単位がかかっている場合には、ある程度機械的に暗記をする必要はあるでしょう。そうでない場合は、数多くの該当外国語に触れて、自分なりに反射に近い状態を作り出す、これが時間は掛かるけれど、自分としては英語についてはテーマにしてきたことだし、欲が出てきたし、各国現地の放送にアクセスできる今、これを利用しない手は無いでしょう。
随意運動としての話すことのいい例としては自己紹介があるでしょう。自分の番が来るまで色々考える、けれどもいざ話し始めると、なかなか思うように話せない、これは僕だけかもしれないが、母国語でもそうなんですよ。
ましてや、昨今のように都市景観どころではない、考え方や感性まで均質化或いは対立が起こりやすい時代、誰もが同じようなプラットホームを使い、伝播性の高い時代にこういう考え方は馴染まないかな、とは思うけれども。
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