今回が「耳VS意味コミュニケーション」の最終回です。
前回の最後の話を持ってきましょう
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我が母の場合…
外国語の音声で楽しかった。意味は母にとっては関係なかった
→このような人は「耳>意味」の「
耳タイプ」になりやすい。
私の場合………
外国語の音声で苦しかった。意味こそが重要。意味がきちんと伝わらなければ意味がなく、意味がきちんと伝わらなければ最悪「死ぬ」。
→このような人は「意味>耳」の「
意味タイプ」になりやすい。
のではないかと考えているのです。
無論、これだけが両者になりやすい理由ではないです。ただ両者には「基軸となる発想」にこのような「差」がそもそもあるような気がするのです。どうでしょうか?
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耳タイプ、
意味タイプの
コミュニケーションとは…
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耳タイプのコミュニケーションは→音声でのやり取り自体に魅力を感じ、喜びを見出す。お互いのやり取り自体こそが大事なので、意図が相手に正確に伝達することはほとんど関係がないかもしれない。
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意味タイプのコミュニケーションは→(音声での)やり取りに魅力を感じず、(音声の場合は特に)苦しみを見出す。(正確な)意図が相手に正確に伝達することこそが大事と考える
お互いのスタンスには↑このような開きがあると思うのです。
ここで1つ問題があるのです。
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耳タイプの人は…「
意味タイプのコミュケーションを理解すること」は大変難しい。下手をすると不可能。
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意味タイプの人は…「
耳タイプのコミュケーションを理解すること」は大変難しい。下手をすると不可能。
だと思うのです。
お互いに取って反対のタイプの「基本スタンス」を理解し、認識し、納得することが非常に難しいと思うのです。真反対ですから。
ただどうでしょう? ここでは「下手をすると不可能」と書きましたが、
本当は可能だと思うのです。お互いに取って反対のタイプの「基本スタンス」を理解し、認識し、納得することは、非常に難しいですが、可能だと思うのです。
まずは、両者にはこのような違いがあることを認識すること。お互いが反対のスタンスで行動しているので、それに対して文句を言われる筋合いはお互いに「存在しない」と思うのです。
私は意味タイプですから、コミュニケーションに対する
基本スタンスは意味タイプの考え方です。しかし、今は
耳タイプのコミュニケーションの基本スタンスも理解しています。最初こそ【意図が伝わっていなければ、そいつはコミュニケーションじゃねー!】と憤っていましたが、今は違います。今は【なるほど。耳タイプはお互いのやり取りを大事と思っているんだなあ、意図はやり取りよりかは気にしなんだなあ】と思っています。今はそう思えるので、それに対して怒りや憤慨を覚えることはほとんどなくなりました。
そう思えてきたので、最近はリスニングにも力を注ぐようになりました。(それまでは基本逃げてました)
こんな風に、反対のタイプのコミュニケーションの対する基本スタンスを理解できれば、英語の苦手な分野への取り組み方が変わってくるのではないでしょうか?
そんなところで今回のこの話はおしまい。皆様いかがだったでしょうか?
金曜日はいつものニコ生英文法講義。来週は雑談。新しいシリーズは再来週の
月曜日から始めます。
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