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mouthbirdさんの日記

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2017年
03月13日
12:04 mouthbirdさん

新発見!英語の得意・不得意の根本差(15)

第7回から
耳タイプ
意味タイプ
の説明をしています。


今日は耳タイプ意味タイプの話のシリーズのとりあえずの最終回です。

 この場で「耳タイプ」「意味タイプ」を発表したとき、「そんなタイプなんて存在しない」というコメントがたくさん寄せられるのではないか、と私は思っていました。しかしそういったコメントは1件もありませんでした。ということは、概ね私のこの分類はあながち間違いでもない、と言えるのではないかと自信を持つことができました。

 今回こうやって「耳タイプ」「意味タイプ」に分類しましたが、実はこの研究過程で「別の考え方」も浮かんだのです。それは 「耳指数」「意味指数」という考え方です。

●「耳指数」 … 英語のに対してどのくらい意識が集中するのか?
●「意味指数」…英文の意味に対してどのくらい意識が集中するのか?

という指数です。
例えば
耳指数 100」ならば、英語の音を無視意識に好み、聞きたがる。口真似し、覚えたがる…という行動が当たり前
意味指数 100」ならば、英文の意味を正確に知りたがる。少しでも意味が曖昧だと気持ちが悪い…となるのが当たり前
といった具合です。


これは個人差が出ると思うのです。

耳指数 80  意味指数 20」の人
耳指数 50  意味指数 50」の人
耳指数 10  意味指数 90」の人

といった具合です。

で!
この考えに乗っ取ると、
耳指数 100  意味指数 0」の人は(極端な)「耳タイプ
耳指数 0  意味指数 100」の人は(極端な)「意味タイプ
となると思うのです。私はおそらく「耳指数 0  意味指数 100」の極端な意味タイプなのだと思うのです。

傾向としては、
耳指数が高い人は、意味指数が低い
意味指数が高い人は、耳指数が低い
のだと思います。

================

この指数の考え方ですが、
耳指数意味指数=100」とは限らないと思います。

理想は
耳指数100  意味指数 100」となっていることです。こうなっている人が、本来は「英語ができる人」と言えるのではないでしょうか?

ところが、世間、もしくは「自分の中」で
耳指数 100  意味指数 0」の人を「英語ができる人」と認識する
あるいは
耳指数 0  意味指数 100」の人を「英語ができる人」と認識する
という具合になっているのではないでしょうか?



また、逆に少ないケースもあります。
耳指数 20  意味指数 20」という人もいるでしょう。
耳指数 30  意味指数 30」とか、、、、


おそらく、この指数は、個人差それこそまちまちなのだと思います。


=============


●タイプにあった学習を!


この指数の考え方で極端なケース、つまり
耳指数 100  意味指数 0」の(極端な)「耳タイプ
耳指数 0  意味指数 100」の(極端な)「意味タイプ
のそれぞれの「英語の先生」が世の中にいると思います。


私の勝手な印象から考えると、今は「耳タイプの英語の先生が圧倒的に多い」と思っています。

 私自身が「中学・高校で耳タイプの英語の先生」に習ってきたのだと思います。私は完全な「意味タイプ」でした(今もですが)。だから私は当時、耳タイプの先生方がが与える課題やテストに全く対応できなかったのだと思います。

 ところが、浪人のときは全く違いました。浪人時は「意味タイプ」の先生に習ったのです。そうしたら、私はめきめき英語の成績が上がったのです。

もし自分が「意味タイプ」の場合、「意味タイプの先生に英語を習うこと」で、英語の成績は上がると思うのです。
逆に自分が「耳タイプ」の場合、「耳タイプの先生に英語を習うこと」で、英語の成績は上がると思うのです。


ただ、もし「本当に英語ができる人」になるつもりならば

最初はしかたがないにしても、いずれは
 →耳タイプの人は…「正確な意味」の把握をするための学習→「文法」と「解釈演習」をしなければならず
 →意味タイプの人は…「正確に音を聞き取る」ための学習→「ディクテーション」などをしなければならない
と思います。

=============

●まとめ
・英語学習者は、まずは、自分が「耳タイプ」なのか「意味タイプ」なのか…これを把握する
・そして、それを踏まえた自分なりの学習法を見つけられれば良いのではないか
と私は思います。



 この研究はまだまだ始まったばかりです。おそらく「耳・意味」の傾向自体は正しいと思います。この研究が発展・発達し、皆様により効率のいい学習法が構築できれば、と思って止むことはありません。

(あ、少し嘘。実は私は「意味タイプ」なので、「どうやったら耳タイプのように音を重視して考えられるように成れるのか…」を考えてます。)


 このシリーズはこれにておしまい。よろしければ皆様のご意見をご感想をお待ちしています。


金曜日は【ニコニコ生放送】による文法講義放送です。来週は雑談。
新しいシリーズは、再来週の月曜日から始めます。予定では、この「耳タイプ意味タイプ」をもっとわかりやすく説明する特別シリーズです。また長期シリーズなりそうですが><


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コメント

1番~2番を表示

2017年
03月15日
13:41
ΨホルホルΨさん

「’音声を重視する耳タイプ」と「意味を重視する意味タイプ」というのは着眼点として無意味だとは思いません。しかし、それぞれが「100のうちの割合となる」ような二律背反のものだろうかという疑問は残ります。

これまた私自身の分析になりますが、私は自分のことをかなり「意味傾向」が強い人間だと考えています。しかし、かといって音声について全く無頓着であるとか、聞きたくないかというとそういうわけでもないからです。

80-20, 50-50, 20-80... というものではなく、それぞれに1-100の傾向がある、一方が強いことは必ずしも他方も強いことを妨げるとは限らない、とは考えられないでしょうか。

2017年
03月15日
14:52
mouthbirdさん

>>1 ΨホルホルΨさん
> 80-20, 50-50, 20-80... というものではなく、それぞれに1-100の傾向がある、一方が強いことは必ずしも他方も強いことを妨げるとは限らない、とは考えられないでしょうか。

限らないとは思います。ですがどうも偏る人が多いような気がするのです。私が「音」が嫌で嫌でしょうがないので、そう思えるだけかもしれませんが。

少なくとも、完全な耳タイプの人は「意味」を、完全な意味タイプは「音」を嫌がる傾向はあると思います。

それでも、どんなに嫌がっても「嫌がる方の学習はできる」ので、それぞれを伸ばすことができると思うのです。
私は現在
耳指数0 意味指数100 ぐらいと思いますが、頑張って音に留意して
耳指数60 意味位数100 ぐらいにする予定です。3年後ぐらいには。。。。

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