私の感覚・5
・英語ができても世界の情報をつかみやすいとは限らず、海外の大事な常識すら知らないこともある。
英語の有用性を解く意見で↓こういうのがある。
世界の情報はまず英語で配信される。なのでいち早く世界の情報を掴むには英語ができたほうが有利である。
これを私は否定しない。ただし
それほどの有用性があるのかどうか…私にはこれが疑問である。
日本の場合→重要な情報ならすぐに翻訳が出まわるから。
ニュースはもちろん、政治的な声明などはすぐに翻訳がTVで流れる。私が一番懸念するのは医療論文で、これすら「医療翻訳」という分野がある。自分で翻訳できればそれに越したことはないが、正確さ、という意味ではどうなのだろうか? 速く、正確に翻訳できれば問題ないが、
速く、不正確に翻訳したら大問題だろう。
あともう1つ。↓こういう意見もよく言われた
英語を知れば世界の常識がわかりやすくなる…
↑これには興味深い話がある。とある英語学習者がこんな話をしていた。(この人自体は極めて真面目な英語学習者である)「2020年の東京オリンピックの誘致演説で、英語以外にフランス語が多用されていた。なぜだ? 英語が世界言語なんだから、英語だけで良いではないか」
この方は(非常に申し訳ないですけれども)次の世界の常識を2つ知らなかった。
1・オリンピックの公用語(第1言語)はフランス語である
2・アフリカ諸国は元々フランスの植民地であった国が多く、フランス語が現在でも公用語である国が多い。
(だから、フランス語でのスピーチはとても有用だったはずだ)
特に1の知識は「私は小学生の時に知っていた知識」であった。2は高校の世界史や地理で習った。
英語、英語、ばかり考えている人は、「小学生の時に習うような知識」や「高校で習う世界史や地理の知識」が脳みそに入りにくいのではないかと私は考えている。
英語、英語、考える人は、このように「英語以外の世界が見えなくなる」→つまり→「視野が狭くなる」のではないか、と私は本気で思っている。
金曜日は文法放送。この続きは来週の
月曜日です。
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