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mouthbirdさんの日記

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2016年
08月15日
16:49 mouthbirdさん

私の感覚と世間の感覚(5)

私の感覚・4

・英語は必要ではない。将来においても必要ではない。


世間で「英語は必要だ」とか主張するいい大人にたまに出会う。彼らには小学校の国語と算数からやり直してもらいたいと心底私は思っている。


 第一「英語は必要だ」とか抜かす大人の多くが「英語が話せない」。自分たちは英語が話せないくせに「英語は必要」と主張するという彼らの脳みそが私にはわからない。必要だったら自分たちは喋れて当たり前だろう? 自分たちが英語を使わないのは英語が必要ない証拠だろう


===
別のアプローチをしよう。


 いつだったか、「100万人の英会話」だったかな、そういうタイトルの本を見かけた。日本人は100万人英会話を学んでいる人がいる、というニュアンスだろう。あなたはこの数字をどう思うのか? うわーそんなにいるんだ―。(じゃあやっぱ英語は必要だな)と思うかも知れない。


 では検証してみよう。まず日本に英会話を学ぶ人が100万人本当にいるとする。そのうち何人がまともに英語を話せるようになるか? 英会話学校に行ったことがある人なら分かるだろう。少なくとも100%ではない。私の見積もりなら10%もいない。あとは話せるフリをしている。普通に海外に行ったら、通じる英会話ができるとは思えない人がわんさかいる。


 でも、ここでは、100万人の英会話学習者が100%英会話ができるようになったとする。日本に100万人の英語が話せる人がいるとする。最大限私は善処したつもりである。


 ではここで問題。日本国民は約1億人いる。そのうち100万人が英語を喋れるとする。何人に一人の割合で英語が喋れるのか?
100万÷1億=0.01 である。つまり1%。


つまり、
 日本人を100人集めたらそのうち1人は英語が喋れる。99人は喋れない
という状況となる。


 100人に1人だ。1%だ。これをあなたは「多い」と思うだろうか? 思えるのならあなたは小学校に行って算数の勉強をやり直したほうが良いと私は思う。あなたにとっては算数のほうが英語のよりもよっぽど大事だと思う。


 100人に1人だ。1%だ。これが英語が必要な状況と言えるだろうか? 思えるのならあなたは小学校に行って国語の勉強をやり直したほうが良いと私は思う。そりゃあ英会話できたら「有利」だろう、だが「必要」な状況ではないだろう。つまり「必要」ではなく「有利」という日本語使うべきだ。それでも「必要」と思うなら、あなたは英語より日本語を学ぶべきだろう。


=====


こう私が言うと「いや、そうではない。今は英語が必要ではないかもしれないが将来においては必要になるかもしれないではないか」と主張する人に出くわす。将来のことは未知数だ。もちろんそうなる可能性を私は否定しない。


 だが私はそれでも「日本に英語が必要な時代は永遠に来ない」と思っている


なぜなら
 「私自身が中学高校の頃から、<お前が大人になる頃は英語が必要になる>と私は言い聞かせられてきたから」
 もう私は大人になった。だが少しも英語が必要な時代は来ていない。
 だから少くとも私には全く説得力がない。

 <お前が大人になる頃は英語が必要になる>…←これは正確な事実に基づいた予測ではない。そうなってほしい、そうなるんじゃないかなーみたいな漠然とした「願望」だとしか私には思えない。


 騙されてたまるかよ!


 金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


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コメント

1番~7番を表示

2016年
08月16日
09:29
bonsuke2010さん

日本の場合、「英語力」は、実用性云々以前に、「人間を測る物差し」として利用されている面が高いように思う。学校でのテスト、大学受験、TOEICなどの点数による資格判定などなど。とりわけ、資格や肩書きが物を言う現場では、いわばハクをつけるために必死に英語を勉強せざるを得ない人が多いのではなかろうか。また、巷の英会話学校、受験参考書、TOEIC攻略本の類いの関係者は、そうした層を食い物にして生き延びている、という印象。「騙す」側は、こうした風潮を、うまく利用している、ということじゃないのかな。マバ先生がかつて「騙されかけた」側に置かれた怒りはごもっともだが、今では「騙す」側の一員なのでは? 英語を学んだり、教えたりする必要性について、マバ先生の、過去の思いではなく、現在の本音を聞きたい。

2016年
08月16日
14:53
mouthbirdさん

>>1 bonsuke2010さん
英語力が「人間を測る物差し」として使われているというご見解には同意致します。

私自身は、騙す側に立っている認識が全くありませんが、そう見えるのでしょうか?
 私は、英語は通常、入学試験や資格取得に必要なだけだ。それが終わったらとっとと忘れても問題がない。
 と常にそう言ってきたと思います。

私は本来、受験生のみを生徒の対象としていました。入試では実質、英語は必要ですから。しかし社会人でどうしても英語を学びたい人は、私でよろしければ受講していただくというスタンスです。苦しんでいる人は助けたいですから。

↓ここは私からの社会人英語学習者へのメッセージですが
http://www.ye-study.com/shakaijin_bunpu.htm
↑ここの最後の方に
> だから、私は「英語が苦手な受験生以外は英語を教えたくない」という意識に逆らって、ここで社会人コース(主に文法を学ぶコース)を新たに設立しました。世の中に「社会人向けに英文法を学習する教室がない」ため
と書いています。

2016年
08月17日
13:59
bonsuke2010さん

ちょっと付け足しを。
私は別に、マバ先生を「騙す側」として断罪したいわけではない。マバ先生が、「騙されてたまるかよ!」と目の敵にしている相手だって、マバ先生と同様、騙す側にたっている認識はまるでなく、英語を必要としている日本人に、必要と思われる知識を真摯に伝えようとしてただけなのかもしれない、という認識も、持ってほしいだけだ。
「百万人の英語」という言葉を聞くと私はすぐさま、平川唯一、松本亨、ジェームズ・B・ハリスといった名前を思い出す(ご存じないかも)。いずれも、「百万人の英語」の先達といってよい人たちだが、私は、この人たちの著書、ラジオ講座などから、実に多くのことを学んだ。騙されたと思うどころか、むしろ感謝している。問題は学ぶ方の姿勢ではなかろうか。

2016年
08月17日
21:47
mouthbirdさん

>>4 bonsuke2010さん

>マバ先生が、「騙されてたまるかよ!」と目の敵にしている相手だって、マバ先生と同様、騙す側にたっている認識はまるでなく、英語を必要としている日本人に、必要と思われる知識を真摯に伝えようとしてただけなのかもしれない、という認識も、持ってほしいだけだ。

なるほど。騙しているつもりはないわけですね。それは私が思いが至らない部分でした。

>「百万人の英語」という言葉を聞くと私はすぐさま、平川唯一、松本亨、ジェームズ・B・ハリスといった名前を思い出す(ご存じないかも)。

これも私は知らないです。彼らはおそらくは日本の英語教育に功績のあった方々なのでしょう。

>問題は学ぶ方の姿勢ではなかろうか。

仰るとおりと思います。要は100万人は果たして「人口1億人の日本でどのくらい多い数字であると言えるのか(1%であるという認識があるかどうか)」を各人が認識しているかどうかにあると思いました。

2016年
08月18日
15:40
エリオットさん

マウスバードさん、こんにちは。

小学校5年生から英語を教科化する動きがあります。週2時間教えることになります。限られた授業数の中で行いますから、何かを犠牲にしなければなりません。文科省はこうして企画だけ立てて、あとは現場に丸投げします。カリキュラムや指導者など課題が山積している中、グローバル化といった美名のもとに突っ走っています。

現場で35年間働いてきた者としては、何かやるせない気持ちでいます。なぜならそれほど英語が必要なものかどうか疑問を持っているからです。明治時代から英語の必要性は言われてきて、また公用語の話も出たりして、今に至っているわけですが、必要だからやりなさいというのはある種の脅迫に近いものを感じてしまいます。また英語だけを特別視することもどうなのかと思いますが。

もちろん入試がある以上必要な生徒がいますから、そのような生徒に対しては基礎から教えていくことは大切です。その後は生徒自身の問題で、自分が必要だと思ったら英語学習を継続していくでしょう。その時に自学自習ができるように基礎を作っておけばいいと考えています。それは学校教育の重要な役割です。

2016年
08月18日
22:44
mouthbirdさん

>>6 エリオットさん
Q-Engに来てくださったのですね。ありがとうございます。
現場にいらっしゃるエリオットさんからのコメント、重要だと思いました。「英語は必要」というセリフは脅迫に近いかもしれないと私も思いました。
 昔の私を思い出しました。「英語は必要なの???…じゃあ英語が絶望的にできない私はどうすればいいのだ???」と当時真剣に悩み、苦しみました。やってもやっても成績が上がらない日々。毎日「英語の勉強しろしろ」言われる日々。。。。でも100点満点で7点しか取れなかった英語のテスト。英語の先生と英語ができる友達の楽しそうな高笑い。それに引き換え英語ができず、その先生に引っ叩かれる毎日…そのため●●未遂まで起こした高1時代の私を思い出しました。多分、普段「英語が必要」とか言っている方は「自分は英語ができない人を脅迫している」という意識など微塵もないのではないでしょうか?
 「自分に必要」と思うのならやればいいと思います。それを「これからの日本の社会に必要」とは言わないでいほしいものです。

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