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MuscleMagicianさんの日記

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2009年
08月22日
21:41 MuscleMagicianさん

感謝の気持ち、伝えなければいけないと皆わかっているはずだろう

  • その他

久しぶりに親の前で涙を流した。




絶えない両親のケンカ。




逼迫した家計で募るイライラは二人の争いを加速させる。
















僕は幼稚園を中途退園した。




父のギャンブルで家計が回らなくなった。




母は喘息で入退院を繰り返した。




僕はもう4歳になっていただろうか、山奥の父方の祖父母の家に預けられた。




スーパーもコンビニもない、そもそも祖父母以外に人がいない山奥。




たまにしか会えない両親。




一度、箱も説明書もついてないセール品のゲームボーイソフトをたくさん持ってきてくれた。




父も母も友達もいない山奥で、




僕はずっとゲームボーイで遊んでいた。




何ヶ月いたのだろうか、1年以上いたのだろうか、カレンダーも見ない生活で日々が過ぎていく。












ある日、父が迎えに来た。




ついに山奥とおさらば。




母のパート先の飲食店へ出向く。




僕を抱っこして母が仕事場の皆に僕を紹介する。




これからまた家族3人の生活が始まるんだ---















家に帰ると「今日はごちそう」と張り切っていた母。




たんすの引き出しから食費の入った封筒を取り出した。




---中身がない。




父は僕を迎えにきたその日、食費をギャンブルに使い果たしていた。














パート先の飲食店に折り返し、店長に頼んで食べるものを分けてもらった。




それから当分は、仕事場の休憩所にずっと預けられていた。




晩御飯は仕事場に頼んで持って帰る。




こうして、幸せとは言えない家族3人での生活が再開した。














母の仕事場が変わったので、今度は母方の祖父母の家に預けられることになった。




こちらの祖父母とはどうもウマが合わなかった。




僕はとうとう、靴も履かず裸足で家まで歩いて逃げ出した。




当然、家には鍵がかかっている。




玄関の前で、ずっと体操座りをして待っていた。




僕には居場所がなかった。




---仕事中の母が帰ってきた。




祖母の連絡を受けて探しにきたようだった。




祖父母の家に預けられないとなって、母は少し困っていた。
















小学校に入学して、それまでと比べると平穏な生活が始まった。




小学生になったので合鍵を持って、一人で親の帰りを待つようになった。




母はこの頃、すこぶる調子がよくなかった。




何度、入退院を繰り返したか覚えていない。




学校が終わるとゲームボーイを握りしめて病院へ行った。




病室でゲームをして、面会時間が終わると家に帰る。




腕さした針からチューブが伸びている見慣れた母の姿。




そんな毎日が過ぎていく。




朝、通学の前には自分で洗濯をして干していった。




たたまないで部屋に放りこむので母が退院するといつも部屋はぐちゃぐちゃだった。




遠足のお弁当も入院中で作ってもらえないので、担任の先生が買ってくれた。















中学のときはたくさん悪いことをした。




不良集団とは性格が合わないのでそっちの道には進まなかったが・・




負けず嫌いだったので筋トレをして腕相撲が強かった。




勉強も頑張って学年で一位になれた。




高校受験でも両親は対立した。




「何かあったら困る」とスベリ止めの受験を考える母と




「そんな金はない」という父。




結局、県立の商業高校一本で受験した。















授業は易しすぎたが、男子の5倍の数の女の子に囲まれ楽しい学生生活だった。




なぜか学年で一番足が速かったので体育祭での声援が気持ちよかった。




授業は真面目に受けないクセに試験勉強はこっそりやるので、




いつだったか11教科で1050点を超えたことがあった。




それでも両親からは「本当に大学へ行くのか?」という質問を投げかけられた。




学費のことしか心配していないようだった。




先生と相談して無利子の奨学金を借りて、地元の国立大学を受けた。




この時もスベリ止めは受けなかった。




家庭教師のバイトでそれなりに稼げたので、




学生生活は結構楽しんで、両親も心配だし地元に就職した。

















貧しくもそれなりに回っているように見えた生活も、最近また陰りがみえてきた。




母が仕事をやめて、父の仕事も受注が減って、




金銭的な不安から、二人のイライラがずっと溜まってきている。




今日も食事中にケンカが始まった。




僕はずっとこの家にいるわけじゃない。




転勤で出るかも知れないし、結婚して出るかも知れない。




二人には仲良くしてもらわないと、




金銭的な問題は二人で協力して解決してもらわないと、




僕は安心してこの家を出られない。




片方が悪口を言えばもう片方がカッとなって言い返す。




そんなんじゃ夫婦として成り立つわけがない。




家計の収支も僕が計算してやりくりを指導した。




なんで子供が両親の家計を、とも思ったけど、このままじゃ破産しそうだと不安になった。




あとは二人が仲良くなって協力するだけだ。




どうしたら仲良くなってくれるのか。




母は僕に全幅の信頼を置いている。




まずは母から動かしていかないと。




今日のケンカのあと、僕は母に頼んだ。




「お願いだから、父さんにつっかかっていかないで欲しい」




母は「だって、腹が立つ」と言う。




父は自分のお金が自由にならないと母を泥棒呼ばわりしたり、酷く罵倒する。




確かに、不器用ながらも財布を管理し家を守っているのに罵倒されてはつらいと思う。




「だけどね、母さん。父さんも同じように腹が立つって思っとるんよ。」




「二人で言い合っててもしょうがないと思うんよ。




相手に変わってもらおうと思ったら、まずは自分が変わっていかんといけんのよ。」




「確かに父さん、ひどいけどな。でも、父さんが汗水流して働いて、




それでご飯も食べさせてもらっとるし、家賃も払ってもらっとる。




父さんが生活費のことを考えずにギャンブルに使うのは確かに困るけど、




実際に父さんのおかげで質素だけどご飯も食べれとるって感謝せんといけん。」




「代わりに母さんは、ご飯作ってくれたり、掃除してくれたり、家のことしてくれとる。




それは父さんも感謝しとると思うんよ。口に出してないだけなんよ。」




「だって母さんも父さんに感謝の気持ち伝えてないじゃろ?




まずはな、言いづらいかも知れんけど、母さんのほうから父さんに感謝の言葉、伝えてみんと。」




「父さんもな、ひどいこと言っとるけど、料理に文句つけてくるけど、




それでも帰ってきてご飯が用意してあるっていうのは感謝しとるはずなんよ---。」




僕は父が母のことを本当に嫌っているわけではないと知っている。




昔、母が生きるのを嫌になって家を飛び出して帰ってこなかった時、




父は僕の前で涙を流しながら「どうしておらんなってしもうたんじゃろう・・」と悲しんでいた。




「つらいことがあっても一緒にバカになって頑張っていけばええのに・・どうしてじゃろう・・」と泣いていた。




そのエピソードを母に伝えるとき、僕はもう涙を抑えることができなかった。




話を聞きながら、母も涙を流していた。




感謝の気持ち、二人とも持っているはずなんだ。




感謝の気持ち、伝えなければいけないとわかっているはずなんだ。




感謝の気持ち、僕はそれしか二人が変わる道はないと思っている。




感謝の気持ち、こんな人生を歩んできた僕だけど、ちゃんと両親に感謝している。




ありがとう、僕を生み育ててくれて。




二人仲良く、お墓まで寄り添ってくれること、祈ってます。


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コメント

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2009年
08月23日
14:53
さん

2:

kansha のコメント:
Muscleさんは優しい方なのですね。

Muscleさんの道のりを読ませていただいて、胸を打たれました。

いっぱい言葉で言い尽くせない思いを抱えてきたからこそ、

Muscleさんは、こんなに明るくて、元気いっぱいなのでしょうね。

感謝の気持ちを持つこと、私も大事だなぁって思います。

みんなが周りのみんなに、ありがとうっていう思いを持っていたら、

あったかい人間関係が生まれますよね。

やっぱり大事なのは、愛だなぁ…と、思います。

Muscleさん、どうかできるだけポジティブに、楽天的に、

精神的に無理をなさらないようになさってください。

お父様とお母様が仲良くなれるといいですね。

2009年
08月23日
16:09
さん

3:

両親の争いを見るのって、子供に取っては何歳になってもつらいことですね。
これからも、きっとお二人への支援は必要でしょう。
年を取るにつれて夫婦の関係が良い方に変わる方々もいますので、
期待しつつ見守っていけると良いですね。
Toshiさんは本当に愛情深い人だなあ・・・

2009年
08月23日
16:45
さん

4:

こんにちは。 私の両親は私が物心ついたときから、関係が破綻してました。 原因はお互いの性格の違いだと思います。私は両親がちょっとした世間話をするのさえ見たこともありませんでした。冷え切った関係でした。 夜私が寝たあと聞こえてくる両親の喧嘩を聞きながら布団の中でよく泣いていました。私は自分の家が大嫌いで、友達の仲の良い家族を見るとうらやましくて仕方ありませんでした。家庭不和で子供が非行に走るのはとても理解できます。私は不良にも非行にもなりませんでしたが、心が休まる場所がなくいつも不安でした。高校を出て家を離れ東京で大学生活を始めたときは、なんともいえない開放感を感じました。といっても、両親の不和は親と離れていてもいつも私の心にありました。 私自身は、結婚なんか、絶対にするもんかと思っていたのに、結婚して29年になります。子供の前で夫婦喧嘩をするのは絶対にやめよう、と思っていても、やっぱり人間ですから、喧嘩してしまいます。(それでもかつての私の両親のような関係悪化は今のところありません)

でも夫婦って不思議です。憎しみあっているとしか思えなかった両親が、だんだん年をとってきたら、二人の落ち着いた生活になってきたのです。 二人だけでつましい食事をし、テレビを見て、世間話をして、孫が遊びに来ると喜び、となんだか普通のおじいちゃんおばあちゃんになりました。父は結婚50年目、15年前に亡くなりました。不幸な結婚をしてお互い傷つけあい、子供にも悲しい思いをさせて、と若いときは両親を恨むこともあったのですが、子供の私から見ても、山あり谷あり、本当に辛い悲しいこともたくさんあった人生だったと思います。でも最後はこれでよかったんだ、と思いました。 musclemagicianさんのご両親も、これからもいろいろあると思いますけど、見守ってあげてください。時間が関係を癒すこともありますから。

2009年
08月23日
18:47
MuscleMagicianさん

>猫の駅長さん

夫婦というのは、血のつながり以上の結束を持った関係だと思ってます。特に長年連れ添ってきた熟年のカップルというのは、どんなに仲が悪くても、どんなにウマが合わなくても、それまでずっと続いてきたというのは必ず何か相手に感謝できることがあるからだと思ってます。仮に100のうち99が嫌悪感だったとしても、1でも感謝できることがあるなら、その1の感謝に対して真剣に考えてみれば、人間変われると思ってます。
だいたい、相手への感謝に気付くのは、死が絡むときです。でもそれって、とってもむなしいこと。最後に気付くくらいなら、もっと早く、感謝の気持ちを伝えて、お互いに円満な関係を気付いたほうがいいにきまってます。失ってはじめて気付く、なんて悲しい結果になってはいけないんです。

2009年
08月23日
18:53
MuscleMagicianさん

>かんしゃさん

ありがとうございます。愛、大切ですよね。昔から色んな宗教で説かれてきたことです。人はこれまでの歴史で愛の大切さを学んできたはずですが、人類として学んでいても、個々人がそれを学ぶには人生は短いですね。世界がたくさんの愛であふれることを願っています。

2009年
08月23日
18:58
MuscleMagicianさん

>すなすなさん

あとはもう誰もいないんだから、二人で協力しないとやっていけないんだから、仲良く良い関係を作っておかないといけないんだと、母には何度も伝えています。お互いが「自分はこんなに頑張っているのに、相手は何で変わってくれない」と思っている状況を、一刻も早く脱出して欲しいと思っています。
「相手はこんなに頑張ってくれているんだから、自分は感謝しなければいけない」という考え方に、双方が変わってくれることを祈ってます。

2009年
08月23日
19:07
MuscleMagicianさん

>ひろいそらさん

ありがとうございます。夜、布団の中で聞く両親の喧嘩の声、とても辛いですよね。分かります。朝、二人の喧嘩の声で目を覚ますこともありました。一日が憂鬱で、とても身体の重い日になってしまいます。
そらさんのご両親のように、おじいちゃんとおばあちゃんになって、二人でご飯を食べてテレビをみて話して、孫がきたら喜ぶような老夫婦になってくれることを祈ってます。今度、家族3人で、旅行にでも行ってみようかなぁ・・

2009年
08月23日
19:12
さん

9:

aso31 のコメント:
Muscleさん、日記読ませていただきました。

ご両親を支え続けているMuscleさん、すごいです。

自分のことも思い出し、久しぶりに号泣しました。



私の家の場合は、昔から母親が宝石を買い荒らし借金生活、夜は不在、食事は毎日インスタント食品でした。

母親はなんでも自分の思い通りにならないとヒステリーになり、反論していた私は虐待を受け続けてきました。

子供のころから習い事はおろか、学校の部活動さえやらせてもらえませんでした。

父親は気が小さいのか母親には大して反論せず、黙っていました。

私はそんな母親ももちろん、弱い父親も大嫌いでした。

進学もさせてもらえず、高校卒業後働いて家に金を入れろと言われました。

自力で進学する道もあったけど、早く独立したくて就職しました。



うちは年をとっても変わりません。

私が結婚する時も、今も「金をよこせ」と言われます。

私もまだ未熟で、Muscleさんのように、やさしい気持ちになれません。

でも皆さんの日記を読んだりして、苦労されている方はたくさんいるんだな、と勇気が出ました。

いつか私に子供が出来たら、自分のような思いはさせない親になりたいと思います。



Muscleさん、ありがとうございました!!

長々とすみませんでした!!


2009年
08月23日
20:07
MuscleMagicianさん

>あそさん

大変な人生でしたね。お疲れ様でした。過去と他人は変えられませんが、自分と未来は変えられます。みなさんそれぞれの思いを胸に抱えて生きているんですよね。これから頑張って良い方向に進めていきましょう。
この人はひどい人だと思うときこそ、その人に感謝できることがないか考えてみると良さそうですよね。お互い感謝の気持ちを忘れず、どうしても受け入れられないところは反面教師として成長していきましょう!

2009年
08月23日
21:00
sumiedonさん

MMさんがまっすぐ素晴らしい青年に育ってるから

ご両親も愛情深い方たちだと思います。

感謝の気持ちは本当にことばにしなくちゃわからない。

私は「言わないでわかることは何ひとつない」と

夫には言い続けて煩がられています(笑)

でも長い結婚生活だとどちらもどこか意地になってるところが

あるかもしれませんね。

この経験をされたMMさんの日記のタイトルの

「感謝の気持ち、伝えなければいけないと皆わかっているはずだろう」

ずしんと心に響きました。

書いてくれてありがとうございます。

2009年
08月23日
21:29
MuscleMagicianさん

>すみえどんさん

両親ともに私への愛情はたっぷり注いでくれたと感じています。
すみえさんの言われるとおり、意地になってるところがあると思います。
僕は自分の周りで起きる問題は全て自分に原因があると思ってます。
ネガティブな意味ではなくて、要はそこで自分が行動を起こしてかわるトキが来たということです。
僕自身が両親へ感謝の気持ちをつたえるときが来たのだと、今気付きました。
母が変わらないと父は変わらない、父が変わらないと母は変わらない、
それならまず僕が変わらなければ、両親は変わらないということですね。

2009年
08月23日
22:20
さん

13:

huuro のコメント:
皆さんいろいろ抱えているんですね。。。

私は両親から愛ざれずに育ちました。今、彼らとは距離を置いています。

怖いんですよね。。。愛されていない自分を彼らと会うたびに確認するのが。だから、会いたくないし、話したくないんです。

本当は愛されたいし、必要とされたい。だから私から彼らを愛し、必要としなければ、そしてそれを表現しなければと頭では理解しています。でも、でも、もう、何度も、何度も、努力して、私は疲れてしまいました。

私の「トキ」は来るのかなぁ。今、来ているのかなぁ。

2009年
08月23日
23:12
MuscleMagicianさん

>ふうろさん

トキは来ているのかも知れませんね。
愛されたいし、必要とされたいですよね。
何度も努力してもダメだったら疲れてしまいますよね。
分かります。
でもトキがきているかも知れないと自分で思ったら、
諦めないで行動し続けないといけないのかも知れないですよね。

2009年
08月24日
01:27
Good2Learnさん

しっかりして、向上心もあり、それでいて、自分が身につけられたことをみんなでシェアをしようという優しい・暖かいお気持ちをお持ちの、熱い方だろうと、お付き合いさせていただいて短い期間ではありますが、思っていたのですが、今日はさらにその感想が当たっている事を確信しました。



そういう私もMMさんと少しかぶることがあって(母親の体調が悪かったことや家庭内の不和など)、整理するのに時間もかかり、コメントさせていただくまでに少し時間を要してしまいました。



家族の中の誰かが良い方向に変わって、家族の中に少しでも優しい穏やかな時間が流れ始めて、それを心地よいと思うようになれば、少しずつ、時間はかかるかもしれませんが変わっていくと思います。それにもうその時が着てるんですよね。だってMMさんのお父様もお母様も、みなさん、口には出してないけれど、心の中で十分なほどお互いのこと思いやってらっしゃるんですもの。少し気恥ずかしいけど、最初の一言が出れば、少しずつ変わっていくと私は信じています。人間はいくつになってもそこに意思があれば変われるものだから(そしてそう思いたい)。もちろん時間はかかるかもしれません、でも家族だから。家族だからふとしたなんてことない些細な事がをきっかけになって、笑えるような幸せなときがくることだってあると思うんです。



私も感謝の気持ちはそのときになるべくその場で伝えるようにしています。次に言おうと思ってもその次がいつくるかは分からないので。でもついつい忙しさや他の心配事に気をとられて忘れそうになるときがありますが、この日記を読んでまたその大切さを強く感じました。言葉にしづらい事を日記にしてくださってありがとうございます。

長文失礼しました。

2009年
08月24日
06:30
MuscleMagicianさん

>G2Lさん

ありがとうございます。優しい穏やかな時間を心地よいと思うようになれれば、時間はかかっても変わっていけそうです。感謝の気持ち、伝え続けていこうと思います。もしかしたらいつまで経っても言い合いはやめられない二人かも知れませんが、家族の中にある本質的な「つながり」に気付いてくれる日がきたら、それだけで最初で最大の壁は超えられるのかなぁと思ってます。

2009年
08月25日
01:02
さん

17:

hilite10982 のコメント:
以前、誕生日の日記にご両親への感謝の気持ちが書かれてて、

でも、反面教師ってところがちょっとひっかかってた

親としての自分を重ねてね。

で、この日記読んでわかったよ。

上司はともかく、親はマジで選べないからなっ!

2009年
08月25日
20:30
MuscleMagicianさん

>たちこまさん

親は選べないですが、親もその親を選べませんでした。
ということは自分の親がそんな人間になったことも実は責任がないのかも知れません。
全ての問題は自分の中に解決の糸口が存在しているものです。
23年以上生きてやっと気付いたというところです。

2009年
09月02日
10:24
aiko80000さん

フレンドさん経由でお邪魔しました。



MuscleMagicianさんの日記を読ませていただいて、心打たれました。

環境のせいにせず、努力されたMuscleMagicianさんを尊敬します。

御両親の間に立ち、話し合う事が出来るMuscleMagicianさんはすごいです。

私は何か言おうとすると、涙が先に出てしまって全然だめでした。

実は今も少しウルウルしています。



私も両親の不和の中で育ちました。

夜大きな声で罵りあう声や母のすすり泣きに目を覚ます日も多かった子供時代でした。

子供の時の一番古い記憶は、昼寝から目を覚ますと誰もいなくて、瞬間に私は「母は私を置いて出ていったんだ」と思ったのです。

大きな声で泣いているところに母が帰ってきて、抱きしめてくれてからもしばらく泣き続けていました。

結局両親は書類上では離婚しましたが、ふらっと来る父にご飯を作って食べさせるのは同じでした。

仲が悪いように見えても、深い縁で結ばれていたんだなと思います。

その父も13年前に亡くなり、離婚したのだからしなくてもいいのかもしれませんが、母は父の位牌に毎日お線香をあげています。

母はお線香をあげながら何の話をしているんでしょうか。



父が生きている時に、私が間に立って話してあげれば良かった。

父も母もお互いの事が嫌いじゃなかったのを、子供の私が一番知っています。

ただ、気持ちを言葉にするのが下手だったんです。

私も感謝を言葉で態度で表わそう、家族に周りの人に。

MuscleMagicianさんの日記を読ませていただいて、そう思いました。

本当にありがとう。

2009年
09月02日
10:54
chargeさん

こんにちは、始めまして。

あーすさんの拍手からうかがいました。



私は人間、死の間際でも変わることができることを2年前他界した母からまなびました。



私の両親は大正と昭和の境目に生まれました。

まじめで気の小さい母は癌がわかってからも「おじいさんだけ残していけない」と2度の抗がん剤治療に耐えました。

質素で平和な家庭でしたが、まじめだけど口の重い父と母とが笑いながら語り合う姿は見たことがありませんでした。



母は3度目の再発後、クリスマスの夜激痛のあまり救急車で入院しましたが、なんとか小康状態になりました。

ところが数週間後に急変し、家族が病院へ駆けつけたときは意識がありませんでした。

そして、兄が父を病室に連れてきて「おじいさんだよ!」と耳元で叫びました。

すると母は目を開けて父を見て、「あー、あー」と声にならない声をあげ、再び意識を失いました。

父は母の手を握り締め母の名を大声で呼びました。

私は生まれて初めて、父が母の名を呼ぶのを聞きました。



周りがどのように見ようとも、本人たちがどのように振舞おうとも、心の奥底には自分自身さえ計り知れないものがあるようです。MuscleMagicianさんご自身もそしてご両親も幸せの種はお持ちなのでは?私たち皆その育て方がわからないんですよね。今のところ我が家の実験結果から「ありがとう」「あいさつ」「笑い」が肥料として良さげな気がします。



家の夫は「ごちそうさま、おいしかった。家メシ最高!」と頻繁に言います。それを聞いて育ってきた子供たちも同じように言うようになりました。自分も「お父さんが働いてくれるおかげで、生活していける。」そして、お給料日には必ず「ありがとう」をこころがけるように努力中です。最初は、うそでも、不自然でも、口に出すうちにほんとになってくるんじゃないかなぁ。






2009年
09月02日
18:02
MuscleMagicianさん

>aiko-san

コメントありがとうございます。

結婚して子供ができて一緒に暮らしている夫婦なら、
どんなに関係が悪化してもどこか心の奥底に小さな愛情があるようですね。
離婚しながらも何かでつながっていたaikoさんのご両親のお話、
大変興味深く読ませていただきました。

感謝の気持ち、伝えたいと思うときにはもう伝えられなくなっているのかも知れないと、
毎日その場その場で伝えていきたいですよね。

>chargeさん

「ごちそうさま、おいしかった。家メシ最高!」っていい言葉ですね。
せっかく腕をふるった料理ですから、褒めてもらったほうが次も頑張れますよね。
小さなことを当たり前と思わずに感謝できるようになると、
どんな関係もうまくいきそうですよね。
最初はうそでも不自然でも、口に出すうちにほんとになってくるっていうのも、
僕も同じように考えています。

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