・自他ともに認める英語が苦手な人が、参考書だけで英語が得意になった例は1件もない。先生が必要。だが苦手な人ほど人から教わろうとしない傾向がある。
これは女性の場合は少ないかもしれない。しかし男の場合はほとんど当てはまるはず。男は「プライドの塊」なので「この程度のことは自力でなんとかなるはず。他人に教わるなんて負けだ!」と思う心が働くのである。
一概に言えないが、英語の先生に「この程度のこともできないのか!」と馬鹿にされることを恐れるために、先生に習いたがらないケースも多い。
こういう人は、
怪しげな参考書や教材に走りやすい。なるべく楽ですぐに英語ができるようになるような教材を探し求めるのである。
何のことはない。
これは何を隠そう「過去の私」のことである。当時の私は、様々な宣伝に感化され、いろいろな英語教材に手を出した。悪口になるのであまり詳しくは言えないが、私が中学高校生当時、雑誌や新聞で盛んに宣伝された英語教材はみんな試したと言っていいだろう。色々試したうえで
2つの結論が出た。
1「俺にはこれらはどれもだめだ。これらの教材で学ぶ以前の初歩で俺は躓いている。だから得意になれそうにない」
2「仮にこれらの教材をこなしたとしても、目の前の学校の英語の宿題は終わらない。定期テストには1点だって響きそうにない」
この2つであった。
英語のスーパー落ちこぼれだったマウスバードは、目の前にある「学校の宿題」の処理に困り、小テストや、定期テストに苦しんでいた。
・学校の宿題みたいなピンポイントなものに対応した「参考書」なんて世の中にない。
・仮にあったとしても、その参考書の内容の説明が分からないほど、マウスバードは英語の基礎力がなかった
のである。
何のことはない。こういうのを対処してくれる存在こそ「(塾の)英語の先生」であった。もっとも「基礎力のなさをバカにしない先生」でなければ、受けるつもりは全くなかった。中学高校の英語の先生は全員、私をバカにした。私の英語のできなさ加減を徹底的に馬鹿にしてくれた。だから「英語の先生なんてみんなそんな奴らだろう」と思っていた。
しかし、塾の先生はそうでもなかった。高3になってようやく塾に通ったのだが、そんな先生ではなかったのである。「もっと早くから塾に行けばよかった!」と思った。しかし後の祭り。結局間に合わず、浪人した。
でも結果的には浪人して私は良かった。
井川治久先生に出会えたからだ。井川先生は中学高校時代、私ぐらい英語ができなかった英語の先生だったのだ。
私は「井川先生ならば英語がとことんできない私をバカにするはずはない」と確信を持った。井川先生に習ったおかげで私は、ようやく「英語の勉強ができた」のである。勉強しなければ成績は上がるはずがない。英語の勉強をし始めた私はようやく英語の成績が上がったのである。
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金曜日の夜11時からはいつものニコ生英文法講義。次回来週の
月曜日です。
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