・英語が嫌いで苦手な人が得意になる場合、英語が好きになってから得意になるパターンはまずない。宝くじで1等があたるくらいまれ。しかし得意になって好きになるパターンならばありえる
私が中学高校で英語で苦しんでいたころの話。英語の先生は私によくこういっていたものだ。「なぜおまえは英語が好きにならないのか? 普通なるだろうに」
つまり私は英語が好きじゃないから「私は普通ではない・正常ではない」と、この英語の先生は私をみなしたのだろう。
なので当時私はどうにか「正常に」なろうと試みた。
どうにか英語を好きになろうと努力したものだ。
・ビートルズなどの英語の歌を聞きまくった。それを歌おうとした
・ネイティブの先生の特別な授業があっので、わざわざそれに参加した
しかし徒労だった。
無駄だった。いや返って
その分余計に英語が嫌いになった。
・ちっとも英語の歌は覚えられなかった。
友人たちは楽しそうに歌っている。それを見て私も「歌えるはずだ」と思い、練習した。しかし全く覚えられなかった。友人たちが歌える分、自分は引け目を感じ、まずます英語が嫌いになるだけだった。
参考:
https://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2005/07/...
・ネイティブの授業はワケが分からずつまらなかった。
何言ってるか全然わからなかった。こう言っているのかな? と思える表現もあったが、あとで一緒に参加している友人に聞くと「全然違う意味」であることが分かっただけだった。辛かった。辛いけどきっと聞くだけでも意味があるのだろうと思って耐えながら聞いていた。
そういやこんなことがあった。
それはこの授業の最終回の話。ネイティブ様は、受講していた生徒一人一人を指名し、自分(ネイティブの先生)と会話させた。ネイティブ様は、「ネイティブと英語で話をする思い出を作って上げようとする気持ちから」そうしているのだろう、と思った。しかしである。この授業で…「私だけが指されなかった」。おそらく、私だけが積極的に英語を聞こうとしなかったように見えたので、その「仕打ち」を受けたのだろう。
このように、少なくとも私にとって
:英語を好きになろうとした試みはすべて無駄であった。私には徒労なだけでなく、苦しい思い出しかない。
実際、英語が嫌いな人が→英語を好きになって→それから英語が得意になった
↑ ↑ ↑
こんな例がどれほどあるのか?! ネット時代だ。ぜひ調べて欲しい。こんな例は0ではないだろうが、
まず見つからないはずだ。私は「宝くじで1等が当たる確率ぐらい」だと思っている。
ところでだ。私は現在英語が得意になった。私は浪人して、英語を英文法から学び、得意になった。この時「英語を好きになろう」などと微塵も考えなかった。「得意になることだけ」を考えた。そしたら得意にはなれたのである。
少なくとも私にとっては
英語を好きになるより英語が得意になるほうがはるかに簡単だった。
なお、私は英語を結果的に好きにさせたことがある。それは「まず英語が得意になった。そのあと英語が好きになった」という変遷をたどった人である。
参考
https://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2011/10/...
金曜日の夜11時からはいつものニコ生英文法講義。次回来週の
月曜日です。
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