結論から述べれば、
"What time is it now?"と言わない...ことはない。
たとえば次のビデオクリップ。
0:35付近から次のように話している。
But "what time is it now?" is what I want you to begin to ask yourself.
(でも「いつやるか、今でしょ」って自分に言い聞かせてほしいのよ。)[拙訳]
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もっとも、「"What time is it now?"と言わない」にも一理ある。
さすがアルク。次のような説明があった。
http://genkienglish.net/kodomoeigodec07.htm
What time is it now?
This is perfectly correct English, but it has a very different meaning to what you think it does.
"What time is it now?" is only used when you are comparing two times.
For example you might say:
"What time is lunch?"
"12:30"
"Oh, what time is it now?"
What time is it now?
これ自体は完全に正しい英語ですが、日本語の「今何時?」とは意味合いが違います。
"What time is it now?"は、
2つの時刻を対比するときにしか使わないんです。
たとえば...
「昼食って何時だっけ?」
「12時30分だよ。」
「えっ、で今何時?」
[拙訳]
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なるほどー。知らなかったぁ!
あえて日本語で表現するならば、「
もう、何時になった?」とか「(さっき尋ねたときは5時だったけど)
今は何時?」みたいな感覚だろうか。
確かにこれは、ネイティヴスピーカーに指摘してもらわないとなかなか気付かない。
言われてみれば、Dragon Ballの英語吹き替え版にも、次のようなシーンがあった。
タイムマシンにのって未来からやって来た少年トランクスが「△月×日○○時に悪の人造人間が現れる」と予告する。
当日、その人造人間を倒そうと集った戦士たちの一人、孫悟飯が仲間に"
What time is it now?"と尋ねる。
ここでも、
人造人間が現れるはずの時刻と、現在の時刻を対比している。
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だけど、
こんなこと、What time is it now?レベルの英語力の人が気にする必要はまったくないと思いません?
私の英語が下手なのは、少し会話すれば相手のネイティヴスピーカーにはどーせすぐバレること。
「nowが必要かどうか」なんて気にせず、"What time is it now?"でどんどんしゃべっちゃうことにしよ。(笑)
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「
学校で教わったその英語、まちがっています!」とか「
ネイティヴはそういう言い方しません!」みたいな宣伝文句をうたう英会話教材が多々ある。
(アルクさんのことではありません、念のため(汗)。他のしょーもない英会話学校や教材のことです。アルクさんには良い教材がたくさんあるし、サイトも活用させていただいております。)
だが実は、
こういう宣伝をするところと、学校の文法教育は同じ穴のムジナなのだ。
人の犯したこまかな英語のミスの指摘。
「あなた今、"What time is it now?."と言いましたね。ネイティヴは"What time is it?"ってゆーんですよ。」
「あなた今、"He play ..."と言いましたね。ネイティヴは"He plays ..."ってゆーんですよ。」
「あなた今、"an information"と言いましたね。informationは数えられないから、ネイティヴはanをつけないんですよ。」
ほら、同じでしょ。
念のために断わっておくが、私は学校の文法教育を批判しているわけではない。正しい使い方は大事だし、私も文法に関する議論が大好きだしね(笑)。
「What time is it ?にnowはいらない」という知識を伝えることに反対しているわけでもない。アルクさんのサイトの説明のようにキチンと理由まで教えてくれるなら、それは勉強になる。ありがたい。
単なる販売戦略で、学校教育批判をしているだけなら、それはそれでかまわない。
私をイラ立たせるのは、その販売戦略にのせられて教材を買ったあげく、一緒になって学校教育批判をしている人たちだ。
「学校で教える英語は間違っています。ネイティヴが使う本物の英語はコレコレコーですよ。」
間違いも犯さずに語学が身につくはずもない。
それなのに相手の犯した細かな間違いをイチイチ指摘する。
学校教育と同じことをしているクセにその矛盾に気づかず、自分は正義の味方だと思っているその鈍感さが恥ずかしい。
実を言うと、私にも学校の英語教育に憤慨していた時期がある。
大学卒業後、英語の勉強をやり直し始めたときがそうだった。
たが勉強するにつれ、学校の勉強だけで英語ペラペラになろうってゆーのは虫のいい話だと思い直した。
1日数時間ならいざしらず、週数時間程度の勉強では絶対量が足りない。
フレンドの1人stripmahjongさんが教えてくれたすばらしい言葉がある。
The road to fluency is paved with mistakes.
(ペラペラになりたければ、間違いの山を越えて行け。[拙訳])
Good said, don't you think?
Oops!
I mean, "Well said."(笑)
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