ちいこさんのウサギの毛の件で画像を思い切って見てみました。
http://q-eng.com/diary/13185?comment_count=15
悲惨なニュースにも夢を見てしまったり、気分が悪くなるぐらいのタチなので
見ないでおこうと思いましたが、知る義務のようなものも同時に感じて...
酷いです。命を絶ってからじゃないんですね、、、酷過ぎます。
それまでの成長過程も、あまりに物扱い過ぎる。
でも、これでさえ、私が中国の友人の実家の家業として
目の前で見せられたシーンに比べたら未だましかもしれないと思いました。
私は友人のご両親が誇らしげに見せてくれた状況と、
目の前の光景に、言葉を失い、息が止まりました。
あからさまに泣くこともできなくて
その場を逃げるようにして泣いてしまいました。
以来、トラウマになっています。
友人夫婦はとても(人間には?)やさしい気持ちの人たちで、
日本に長く住んでいたこともあり、日本も日本の生活も大好きです。
でも、実家で飼われていた犬を指し「食用」だといい、
愛情のかけらもありませんでした。
食べる犬と、ペットとしての犬が明確に違うのです。
わかりません。。。
でも、私ももてなしでふるまわれたら、多分断れないと思います。
頭で考えて口にして、精神で拒絶して戻しちゃうかも、、、
ちょっと話は違いますが、よくスーパーで商品をひっくり返しかきまわし
少しでも良い?ものを選ぼうといじりまくる人たちがいます。
(というか殆どの人がかな...)
野菜や果物も生き物なのに、触れば触るほど傷むので鮮度も落ちるわけです。
自分が買うものを鮮度下げて買うのは構わないにしても、
ひどいとかき回した挙句、買わない人も結構居るので
そんな時にはとても悲しい気分になります。
どれだけの物が処分されていることか。
庭の草木を土から離したら、それだけでもぐったりしちゃうわけです。
それを農業の技術開発や農家の方の苦労や流通やみんなみんなの苦労を経て
しかも手間隙かけて選別までされて店頭に並んだというのに、
それでも、感謝することなしに「選ぶ」ということには強欲ささえ感じてしまいます。
そりゃ、中には鮮度の悪いものにあたってしまって損をしたりもあるかもしれません。
でも、私は前述のようなことを思うようになってから、むしろ殆ど悪いものには
当たっていません。反対に、野菜や果物の生命力にあらためて驚くぐらいです。
お店には山の様に、あっと言う間に傷んでしまう商品が、肉や魚やありとあらゆるものが
いつでも私たちの満足を満たしてくれるように並んでいますが、
一体、これらはどうなるんだろう???といつも疑問でなりません。
1店舗でもそうです。これが国中、世界中だったら???
私はどうして今、溢れ返らないで成り立っていられるのか驚きでさえあります。
世界にどんどん増えている人間が、たとえばその1人間の言葉の使い方などに
多くの時間とや費用やエネルギーを割いている間に、
何万種もの生き物が絶えているということを思うと、なんとかできることをしないと!
と、あれこれ思うのですが、いつも考えが行き詰まります。
http://www.poodwaddle.com/clocks2jp.html (←サイトの信憑性はわかりません)
昔は、ベジタリアンや、○○保護運動などに対して、正直行き過ぎた感じや
バランスを欠いた感覚を感じてしまったのですが、今は自分の無知を感じます。
少なくても食物連鎖の頂点にいる人間は草食でないと
どう考えても合わないんじゃないか?と、最近はベジタリアン化してきました。笑
ひょっとしたら、感染性の細菌がはびこるのも連鎖の考えでは不思議ではないのかも。
世界には、自分たちが質素な暮らしの中で大事に家畜を育てて、
そして特別な日にだけご馳走としてその生き物の命を絶ち、
みんなで感謝していただき、何も残さない というような食文化をもつ人たちがいますが
それが本来なのではないかとも思います。
最低限、命をいただいていることに感謝して、そして残さないで最大限に活かす。
ふぅ。
我が家のインコさんたちも、かごの中ぐらい快適にしてあげないとね。
狭い空間に押し込んじゃって、申し訳ないなぁ~と思う癖にね、、、(^^;
冷蔵庫の中の処分品も、かたづけなくちゃ、、、あーあ無駄にしちゃったぁ。
行動に落として続けるって、英語でも何でも難かしいですねぇ~(汗)
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