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ひよさんの日記

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2010年
03月15日
20:15 ひよさん

英語が出来ないけど好きな人達

  • 英語の話題
マウスバードさんの「英語嫌いに英語を好きにさせようとする狙いが成功しないメカニズム」というエッセイを読みたかったので、雑誌「英語教育3月号」を読んでみました。

マウスバードさんの主張は「英語嫌いに英語を好きにさせるために英語を楽しませる試みをするは無駄だ。そんなことよりも、英語が嫌いになる原因の『出来ない』『わからない』を治療するほうが大切!」ということで、大変同意できるものでした。

好きこそものの上手なれという言葉もありますが、下手の横好きという言葉もあるほどだし、現実は好き嫌いと上手下手は必ずしも一致しないですよね。

ある教科への「好き」「嫌い」という感情を授業で変えさせるのを目標にするのは、なんだか変だと思います。(結果として好きになるんなら良いのですが)そんなことよりも、嫌いなら嫌いなままでいいから、出来るようにしてあげる、わかるようにしてあげるほうがずっとその子のためになると思います。

マウスバードさん以外の英語の先生のエッセイは、英語を出来るようにさせることは目標ではない、英語の楽しさを教えるのが目標だ、のような内容のが殆どで
「ああ、全然わかってないんだな('A`)」
「ダメダこりゃ\(^o^)/.」
と、壁のようなものを感じました。

ところで、英語が出来なくて英語が嫌いな人間を楽しませようとする試みって、ある意味、表面的には(あくまで表面的にです)成功しているのかもしれないです。

「英語を好きにならなくてはいけない。英語を好きなのは当たり前だ。さあ!みんな、英語を好きになって、ネイティブとコミュニケーションを楽しもう!」という「空気」に、強烈な拒絶反応を持ってしまうマウスバードさんのような方ももちろん多いでしょうが、そういう空気に洗脳、感化されてしまう日本人もかなり多いんじゃないかと想像するからです。

英語が出来ないけれど好きだと思い込んでる人達が、殆ど役に立たない英語教材(そういう教材は、文法学習や辞書調べを悪玉扱いしていたりする。ネイティブ至上主義なものが多いと思う。中学英語よりレベルが上のことは勉強しなくて良いような宣伝の物もある)に手を出したり、胡散臭い英語情報商材に金をつぎ込んだりしてるんじゃないでしょうか。
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コメント

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2010年
03月15日
21:07
mouthbirdさん

この本ですね↓(Q-Engではこんなことができます)


わざわざ読んでくださってありがとうございます。
感想を日記にまでしてくださって、感謝のきわみです。m(_ _)m

>「英語嫌いに英語を好きにさせるために英語を楽しませる試みをするは無駄だ。

本文に書いたのはまさにそれです。ですが、後で読み返したら、「無駄」じゃなくて、むしろ「害だ! 毒だ! 猛毒だ!」と書くべきだったと思っています。
 英語嫌いにとっては、洋楽や英会話は「苦しいだけ」。殴られているのと大差がないのです。

>「英語を好きにならなくてはいけない。英語を好きなのは当たり前だ。さあ!みんな、英語を好きになって、ネイティブとコミュニケーションを楽しもう!」という「空気」に、強烈な拒絶反応を持ってしまうマウスバードさんのような方ももちろん多いでしょうが、そういう空気に洗脳、感化されてしまう日本人もかなり多いんじゃないかと想像するからです。

こういう方は多いと思います。しかしこういう方は「英語嫌いを自認」するでしょうか?
英語嫌いというのはこういう人を指さないと思います。英語なんか死んでもしゃべりたくない人を指します。

英語好きな人はよく「英語嫌いな人だって、本当は英語をしゃべりたいはずだ」なと言いますが、とんでもない!

 英語なんか本当にしゃべりたくない! 聞きたくない! フザケンナ!

と、英語嫌いは考えるものなのです。

「1単語でも英語をしゃべるくらいなら、死んだほうがマシだ!」ぐらいに、英語嫌いは英語を憎んでいるのです。今回の寄稿ではそこまで踏み込めなかったのが実は心残りなのです。

英語嫌いな人はみなこの気持ちを共有してくれます。しかしそうでない人にこの気持ちを分かってもらえたことは1度もないです。私にとって「英語をしゃべらされること」は最も精神的に苦しいのです。ですが英語嫌いでない人はそれが理解できないようです。私の「最も苦しいこと(英語を見ること・読むこと・しゃべること。こんな苦痛は他にない!)」をどうしたら、普通の人に分かってもらえるのでしょうか? 実はそれに私はずっと悩んでいます。

>ある教科への「好き」「嫌い」という感情を授業で変えさせるのを目標にするのは、なんだか変だと思います。(結果として好きになるんなら良いのですが)そんなことよりも、嫌いなら嫌いなままでいいから、出来るようにしてあげる、わかるようにしてあげるほうがずっとその子のためになると思います。

すばらしい! こう思ってくださって大変嬉しく思います。
好き嫌いはあまり関係ない、少なくとも「できるできない」のほうが好き嫌いより大事なのではないかと思うのです。

嬉しい感想ほんとうにありがとうございました。m(_ _)m

2010年
03月16日
10:24
hiromidukiさん

ひよさん、はじめまして。

現在中1の娘が英語嫌いで、英語好きの母としてはどうやったら娘が英語に積極的に取り組んでくれるのか、頭を悩ましているところでした。マバ先生のコメントも合わせて考えると、娘を英語好きに変えるのは、どうやら無理のようですね。娘は英語の文法ルールにとまどい、単語や発音を覚えるのが苦痛のようです。ローマ字読みの通りではないし、不規則動詞や助動詞、疑問文の作り方などで混乱しているようです。

私が発音の練習や英語の教育番組を見てると、たま~に一緒になって真似たりしてますが、私の邪魔をしたいというか、気まぐれで参加してるだけで、英語への興味はかなり薄いです。さすがに吐き気がするほど嫌いではなさそうですが。

海外ネイティブの子供向けの、ゲーム性のあるサイトをやらせようとしましたが、「そんなのやりたくない」と一蹴されました。もちろんsmart.fmもヤル気なしです。ちょっとだけBrain Speedはやってましたけど・・・。たとえ嫌いでも、学生である以上は勉強しなければいけないし、点数が悪いとやはり高校入試が心配です。

台湾で会社を経営している私のネイティブの友人は、日本語しか話せないのはマイナスでしかないと言ってます。英語が使えることがどれだけ今後の人生でプラスになるか、本人に納得させないと、娘は英語を勉強しないだろうと言われました。英語でなくても何か他の言語(中国語とか)を勉強するべきだと。

中1の娘にとって将来を具体的に考えるのはまだ難しいことだろうと思います。娘は「日本にいれば英語なんて関係ないもーん」という考え方なのです。でも英語が堪能であれば就職や給料査定に有利であることは間違いないんです・・・。娘の英語嫌いなのはyour faultだと友人に言われて・・・余計に頭が痛いです。

2010年
03月16日
18:36
ひよさん

mouthbirdさん

マウスバードさんに英語を好きになれと言うことは
酒を飲むと急性アルコール中毒になる人間に対して
「俺の酒が飲めないのか」「ビール一気飲みしろ」と強要することや
カルト宗教が大嫌いな人に対して
「とても素晴らしく感動する教えなので、私と一緒に○○教(カルト)の
 教えを学ぶ会に行きましょう」と誘うことに近いんですね。

「英語教育」について、まだまだ思ったことがあったので
それもついでに書いちゃいます。

マウスバードさんが英語が出来るようになったのって
予備校で恩師と呼ぶに相応しい先生達に出会って、
文法学習、辞書引き、単語と熟語の暗記、
自力での英文和訳+英文解釈を徹底的にされたからですよね。

なのに、「英語教育」では、英語嫌い治療に
文法をやらせない、和訳は生徒にさせない、辞書は引かせない、
洋楽を楽しませる、ネイティブとコミュニケーションを楽しませる…等を
提案している先生が殆どで、それにも「えええー!?」と思いました。


hiromidukiさん

お嬢さんが英語好きに変わるのは、無理かどうかはまだわからないですよ!
私はダメだったんで偉そうなことは言えないんですが(^_^;)、高校の頃の友人に
高1~高2位までは英語が大の苦手で英語嫌い仲間だったのに
高2の終わりくらいからぐんぐん英語の成績が上がって、英語好きにもなって
英文科に進んだ人がいるからです。

その人の場合は、英語好き!英語大好き!というのは全くなかったんですが
まずやりたいことや好きなことがあって、その「手段」に英語力が必要だったから
嫌々努力したら、出来るようになって得意になって
結果として英語も好きになれたという感じでした。

2010年
03月16日
19:38
たっつんさん

 お酒と宗教の下りは、ちょっとさすがに単純化しすぎじゃないですか? 嫌いだけど、成長に必要なものだから食べなくてはいけない野菜と例えるのはおかしいでしょうか?
 それはともかくとして、もう少しcritical、あるいはobjective、つまり客観的にお話しませんか? 一方的に感情的な批判をしていては、本当に下すべき判断はできません。

 私は今の逐語訳の教育が正しいとは思いませんが、文法至上主義も結局失敗に終わっているとも思います。バランスだと思うんです。結局大事なのは。

 「英語を楽しく」ということを優先する考えは、「きっかけ」を大事にしていると考えられます。ドラゴン桜で有名になった竹岡先生もどこかで「教えるのではなく、きっかけを与える」と述べていました。
 これはつまり結局、学校で行われる授業では時間の関係上、小、中、高、大を含めて「きっかけ」しか提供できない、ということを意味していると思います。そこからは、あとは本人がなんらかの動機を元にやっていくしかないんです。英語に限らず。それが彼らに取っては「コミュニケーションを楽しむ」という回答だった、ということです。

 mouthbird先生やそれに賛同するひよさんは、「英語の成績が上がらず、悩まされているストレスをどうにかしたい」「楽しくなくていいから、とにかくこのストレスをどうにかしたい」ということを動機にしているのだと思います。
 つまり、どういう動機をもとに英語というマラソンのような苦痛と達成感をともなう課題に取り組むかの違いだと思うのです。コンセプトの違い、と言ってもいいでしょう。

 ひよさんの主張される通り、たしかに、英語を商売道具にした質の悪い教材もあります。がしかし、ひよさんの主張は部分的に客観的な視点を欠いており視野狭窄にも陥っているようです。moouthbird先生の陳述された内容については「無駄」という言葉だけで十分だったと思います。「有害」と述べてしまうのは主観が入っていると思われ、場合によっては時代錯誤な国粋主義者とも取られかねないです。主張は常に客観性を大事にしなくてはいけません。

 『娘は「日本にいれば英語なんて関係ないもーん」という考え方』という娘さんをお持ちのhiromidukiさんを含めて、述べたい意見は「他言語を習得するメリットは世界に対する理解を広げ、かつ、日本語によってのみの狭い世界解釈に陥らないことです。加えて、日本の政府、メディアに自分の思想をコントロールさせることなく主体性を持って情報を制御し、その広い視野で物事を正しく見極める」ということです。
 日本人や韓国人や中国人のお互いのお互いに対する理解は、明らかに視野狭窄に陥っています。それがどこから来ているか、といえば政府やメディアによる論理性を欠いた、それでいて巧妙な情報からです。ステレオタイプな発想というのは、常に致命的な結果をもたらします。

 就職や給料査定がよくなることももちろん、他言語ができることのメリットかもしれませんが、それは企業社会という商業主義の狭い価値観軸によるものです。人は本質的には企業中心には生きていません。それを動機にするのは主体性を欠いた動機で長続きしないでしょう。(かと言って私がいうような内容を中学生が理解するとも思えませんが。)

2010年
03月16日
20:04
hiromidukiさん

tattsun999さん
>他言語を習得するメリットは世界に対する理解を広げ、決して日本語によってのみの狭い世界解釈に陥らないことであり、また日本の政府、メディアに自分の思想をコントロールさせることなく主体性を持って情報を制御し、その広い視野で物事を正しく見極める

ご意見に議論できるほどの考えが浮かばないのですけど、「世界に対する理解を広げる」という点には共感します。ネイティブ以外の人ともチャットなどをしたことがありますが、感じたことは日本への理解が薄いなあということです。文化・思想・民族・歴史・・・海外の人と交流する中で、改めて自分の民族・文化・言語を再認識することがよくあります。韓国の方からは日本が戦争で行った悲惨な写真を見せてもらいました。(多分ほとんどの日本人は見たことないような、凄惨な写真です)日本人は嫌いじゃないけど、日本が過去に行った行為は許せないと言われました。多言語ができるということは、こうして新しい情報や思想に触れることでもあるんでしょうね。

ただこうした話をしたところで、娘は聞く耳を持ちません。給料や就職などで有利だというわかりやすいメリットしか提示できないのが現状です・・・。勉強をしたくなる「動機」や「きっかけ」をどう与えていくか・・・やっぱり頭が痛いです。

2010年
03月16日
23:21
たっつんさん

hiromidukiさん

 たとえば、日本のメディア(ここでは限定的にテレビにしますが)、彼らが1時間、2時間というコマ(新聞なら紙面)で伝えるニュースは限定的ですよね。彼らは視聴者が関心を持ちそうなネタ、あるいは重要だと思われるネタを限られた時間の中で伝えます。つまり、全てを伝えることはできないのです。優先順位の高い順に伝えるのでネタが限られてきます。そしてそのネタは、どの局もだいたい同じです。
 逆に考えると、私たちが理解している世界は、彼らのピックアップしたネタによって構成されていると言えます。それ以外は知り得ないのです。つまり彼らによって、そしてその伝え方によって、私たちの世界は支配されていると言えます。

 今、日本と韓国には竹島の領有権を巡る問題がありますが、教科書問題で一度衝突した際、それを『中国の国民が「日韓開戦を希望する」「東シナ海領有権も韓国のようにできないか」という調査結果がある』という記事を書いた日本人がいます。
 彼はいかにも事実だけを伝えたような書き方をしていますが、中国の全体の意見を伝えていません。偏った一部の調査結果だけを掲載し、日本国民の反韓反中感情を見事に醸成しました。ネットに掲載されたその記事に、多くの日本人は過敏に反応していました。中立的立場にいなくてはいけないはずのメディアがこのような書き方をしているのです。

 多角的視野で物事を見つめ、冷静にものを判断するには豊富な情報が必要です。日本語だけでは偏ります。
 世界のニュースは英語で行われます。記者の解釈が入ることを除けば、通訳の余計な解釈を介さず、世界の出来事を即理解することができます。特に、私たち日本について、世界がどのような評価をしているかはとても重要ですね。
 つまり、受動的な情報の取得ではなく自発的な意思による情報の選択ができる、というのが世界の第1言語である英語のメリットなんですね。さらに言えば、彼らヨーロッパの社会は哲学や論理がしっかりしているので、彼らのものの判断は客観的です。多くの日本人にはそれができていません。

 これはなかなか、中学生には伝えられないでしょうね。人間関係で悩み始める彼らは、物事の見極め方を考えるはずのいいきっかけを持っているとは思うのですが・・・。頭の中は異性のことでいっぱいですょ。
 海外旅行などを通して、やっぱり自分の住んでる世界がいかに狭いか、というのを体で実感するとまた違うのではないでしょうか。世界に圧倒される、これは何よりの衝撃だと思います。僕はやはり中学のときホームステイをしたのですが、やはりその経験は衝撃的でした。

2010年
03月17日
20:12
ひよさん

tattsun999さん hiromidukiさん

コメントありがとうございます。

確かに私の書き方が悪かったです。
別に英語を好きにならなくてもいい、
嫌いなら嫌いなまま勉強したっていいという話だったんですが
私のたとえが不謹慎だったり大げさだったと思います。
教えてくださってありがとうございました。

ところで、韓国や中国の人との歴史観を踏まえた対話は、本当に難しいと思います。
私の理想は、中條高得さんの「おじいちゃん戦争のことを教えて」
という本のあとがきに出てくる
中條さんの孫娘さんと韓国人女子との友情のような形です。
それには、正しい知識、相手の言い分や気持ちを冷静に聞く力、
自分の筋の通った意見等、たくさん勉強が必要だと思いました。
今の私は自分の意見が固まっていないし、正確な知識も少なくて
きちんと語れる立場じゃないんです。

貴重なご意見ありがとうございました。



(3月30日 文章を少し編集しました)

2010年
03月19日
13:26
たっつんさん

 僕も中高と数学が苦手でした。だから英語が苦手という人の気持ちはわかります。でも、思い過ごしだったりもします。いい先生に出会えるととてもその価値観は変わりますね。
 僕も高校の数学Ⅲの先生は、一切授業をしませんでした。「質問がある人だけ聞きにこい」という超放任主義でした。そのおかげで数学はまるでできませんでした。
 だけど、(2回めの[実は2回大学行ってます])大学に行ったらとてもいい先生がいてこの先生にもっと早く会って、教わりたかったと思いました。

 しかしながら、そういう放任的な教え方がダメかと言うとそうでもないみたいなんです。とある大学の教授は授業が始まるなり"Any questions?"と言って、返事がないと教室を出て行った、という話を聞いています。つまり、予習前提で授業が行われているのです。
 授業の理想的なあり方を考えると、もしかしたらこういう形態が一番理想的なのかもしれない、とも思えます。
 「個人でわかるところまで進めてきて、時間の接点として設けてある授業中は質問だけが行われる。」 高校の先生が目指していたのもそういうことなのかと、ようやっと理解できたところでもあります。

2010年
03月23日
23:05
mouthbirdさん

遅くなりました。

私なりの意見を書かせていただきます。
かなり過激ですのでご注意いただければと思います。。

>hiromidukiさん

>娘を英語好きに変えるのは、どうやら無理のようですね。

わかりません。私はどうにも英語好きになることはありえません。しかし私と同様くらいに英語嫌いな人を私は英語好きにさせたことがあります(複数)。

>海外ネイティブの子供向けの、ゲーム性のあるサイトをやらせようとしましたが、「そんなのやりたくない」と一蹴されました。

私はゲーマーですが、同様にされても、私も娘さんと同じ反応です。死んでもやりません。

>娘は「日本にいれば英語なんて関係ないもーん」という考え方なのです。

私も同感です。

>でも英語が堪能であれば就職や給料査定に有利であることは間違いないんです・・・。

そんなのは娘さんだって知ってます。ただ『有利なだけ』です。それがなんで

>娘の英語嫌いなのはyour faultだと友人に言われて

それが本当に fault なのでしょうか?
もし「有利なのだから『やらなければならない』」とお考えなら、その考えほうが fault(間違い)だと思います。

私が特に怒っている意見があります。それは「英語は将来絶対に必要になる。だからやれ!」という意見です。
私が中学高校のときからそう言われてきました。英語命の先生ほどそう主張してました。

私はもう良い大人になりましたが、英語は既に必要な社会ですか?
未だに「英語は将来絶対に必要になる。だからやれ!」と言ってませんか?
たぶん50年後もそう言われていると思います。現実はそうだと思いませんか?
英語嫌いの中学生・高校生は「そういうのは欺瞞だ」と見抜いています。だから余計に嫌いになるのです。

私が良い大人になって知ったことは、
「英語を自由自在使える能力よりも、パソコンを自由自在に使える能力のほうが、社会的に必要だった」
という事実です。違いますか?
だから「英語は将来絶対に必要になる。だからやれ!」と言ってきた英語の先生たちを「大嘘吐きめ! それでも先生か!?」と大変憤慨しています。

娘さんは、英語に触れて「嫌いだ」という反応を示しただけです。
娘さんにはぜひ「英語は受験には必要」とだけ言えば良いと思います。
英語嫌いの娘さんには「将来のために」なんて絶対に言ってはいけないと私は思います。



>ひよさん

>マウスバードさんに英語を好きになれと言うことは
>酒を飲むと急性アルコール中毒になる人間に対して
>「俺の酒が飲めないのか」「ビール一気飲みしろ」と強要することや
>カルト宗教が大嫌いな人に対して
>「とても素晴らしく感動する教えなので、私と一緒に○○教(カルト)の
> 教えを学ぶ会に行きましょう」と誘うことに近いんですね。

大変近いと思います。まさにその通りであると、私は思います。


>tattsun999さん

申し訳ないですが、私はひよさんの見解に近いです。

英語教育の私の原文はお読みになったのでしょうか?
数学嫌いであればぜひ読んでいただきたい文章を書きました。

少し原文を書きます。

------------------------------------
 この雑誌の読者の多くは数学が嫌いだ、と思う。そこで私はあなたを「数学を好きにさせよう」と思う。以下を試して欲しい。

(1)数学パズルを解け (2)簡単な数学の問題を解け (3)数学者を自由に話す席を設けるので好きなことを自由に話せ

数学嫌いな方で、この(1)~(3)を喜んで試したいと思う人はいないはずだ。これと同じだ。「英語嫌い」に洋楽を聞かせ、易しい英文を読ませようとし、ネイティブと好きに話させようとする行為はこれと全く同じである。喜ぶわけがない。

------------------------------------

なお、私は文法オタクですが「全ての人に文法が必要」と言ったことは1度もありません。
文法の必要が全くない人もいるし、私のように絶対的に必要な人もいるという意見なのです。
文法の必要度は個人でばらつきがある、個人差がある、というのが私の意見です。
http://juken.alc.co.jp/mouthbird/archives/2008/01/post_42...


>文法至上主義も結局失敗に終わっているとも思います。

申し訳ないのですが、大成功だと思います。
つまり、私のように「絶対的に文法が必要な人」には、文法至上主義でないと、英語は理解できないのです。
しかし、私とは逆の人は、文法至上主義だと不快で困るのです。


>日本語によってのみの狭い世界解釈に陥らないことです。加えて、日本の政府、メディアに自分の思想をコントロールさせることなく主体性を持って情報を制御し、その広い視野で物事を正しく見極める」ということです。

私はこの意見にも大変な欺瞞を感じます。
私の中学高校の英語の先生も「英語を学ぶには日本語によってのみの狭い世界解釈に陥らないことだ」と言ってました。しかし同時に「英語は将来絶対に必要になる。だからやれ!」と言っていました。

私が良い大人になって知ったことは、
「英語を自由自在使える能力よりも、パソコンを自由自在に使える能力のほうが、社会的に必要だった」
という事実です。違いますか?
だから「英語は将来絶対に必要になる。だからやれ!」と言ってきた英語の先生たちを「大嘘吐きめ! 英語を学んで世界の知識を入手すると、先が見通せなくなるのではないか?」と私は思っています。

つまり、極論を言えば「英語ができるほうが、狭い世界解釈に陥るのではないか」とさえ私は思っています。狭い世界解釈だったからこそ、英語よりもパソコンの必要性が高まる将来を見通せなかったのではないでしょうか?
私の知り合いで、英語はものすごくできるのに、「状況判断」ができない人がいます。彼女を見るととても滑稽です。日本語も英語もペラペラなのに、態度が横柄。プライドが高すぎて自分の間違いを認めない。直さない、お客様を怒らせても平然としていて全く反省しないのです。

つまり「英語の情報や考え方がたとえ入手できたとしても、それは単純に「入手」だけにすぎない。それをどう活用するか、どう考えるべきかのほうがはるかに重要」だと思うのです。


>mouthbird先生の陳述された内容については「無駄」という言葉だけで十分だったと思います。「有害」と述べてしまうのは主観が入っていると思われ

原文はお読みになったのでしょうか?
洋楽や、易しい英文や、英会話を、私はみんな「試した」のです。言ってみれば「味見」ですね。
その結果、私の場合、多くの人と違う反応を示したわけです。
まるで「卵のアレルギーの人」の卵へのアレルギー反応のようでした。「洋楽や、易しい英文や、英会話」に対し「うわ~~~嫌だ~~~体が苦しい。助けてくれ~~~」という反応を示したわけです。

「卵アレルギーの人」に卵を食べさせる場合、「卵」はその人にとって「毒」だと思いませんか?
「卵アレルギーの人のアレルギー反応」に理解のない英語の先生たちは「洋楽や、易しい英文や、英会話」を、ことあるごとに私たちに強要したわけです。
私の仲間たちは、いわば「おいしい卵」を楽しんでいたようです。
ですが、私は違ったわけです。「卵アレルギーの私」はそのたびごとに「苦しんだ」わけです。

英語嫌いは、みんな同様に苦しんでいる、と思います。「不快の極み」です。私はこういうことをあまりに強要されたために、ゴキブリを眺めるほうがまだマシにさえ思えるようになりました。
苦しくて、苦しくて仕方がない。これは「無駄」ではなく「毒」だと思いませんか。

しかし「卵アレルギーではない方」にはそれが「毒」であると信じてもらえないのではないかと思います。

私が英語が死ぬほど嫌いになったのは、間違いなく「洋楽や、易しい英文や、英会話」の所為です。
「楽しいはずだ・なぜオマエはこれらを楽しめない?」と言われ、さらに苦しんだ結果が今の私なのです。

あまりにやらされすぎて、英語がどんなにできても、好きになれない体になってしまったのです。

2010年
03月24日
22:34
たっつんさん

mouthbird先生

 まずは病み上がりでしょうから体調にお気をつけてください。
 意見は相違あってのものですから、私は反対意見でも構いません。それゆえに、自分の意見について改めて客体化できるというものです。先生の執筆された書籍は申し訳ないのですが拝読していません。興味はあるのですが、書籍の値段が思っていたよりも高かったです。貧乏なものですみません。ですが、アルクのサイト記事は大変良く理解できました。確かにそういう傾向はあると思います。共感できます。
 そしてひよさん、話を大きくしてしまってすみません。

 英語も将来絶対に必要かどうかは未知です。後30~50年後の間には、中国語がその地位に取って代わる可能性もあります。今の華僑の広がり、人口から見ても、中国語は世界の第2言語の地位に就くでしょう。
 いずれにせよmouthbird先生は、その科目の理解を通して英語が嫌いな生徒を救ってあげることが第一の、唯一の目標であるべきであって、彼らがどれほど英語に対してアレルギーがあろうと、それを何か恣意的な言い回しによって、先生の方から同調を彼らに行う必要はないと思います。生徒のそういう気持ちを受け止めてあげる必要はありますけど。あくまで受け身であるべきです。
 ちなみに、私には英語が好きとか嫌いとかというイメージはありません。ただ、それが英語だろうと韓国語だろうと、違う文化で育った人の違う解釈に触れて世界が広がった時は楽しいですけど(国内の人でも)。
 
 本来、楽しい授業を目指している訳ではないが、英語嫌いの生徒が英語好きになってmouthbird先生の元を飛び立っていくのは、素晴らしいことだと思います。それは紛れもなく文法至上主義の成功と言えるでしょう。
 一方でアジア各国のTOEFLのスコア平均点順位を見た時、文法至上主義を含めた日本の英語教育は依然として成功しているとは言えません。広義に考えた時、本物のコミュニケーションツールとして英語が機能していることが最終目的だと思います。

 さらに、日本がLogocentric Interpretation(ロゴス中心主義的[≒自己中心的]な解釈)による視野狭窄に陥らないためにも、第2言語は大方の日本人には必要でしょう(できなくても個人に何ら過失はありませんが)。これからの時代、高校・大学受験における第2言語は英語か中国語、韓国語、ロシア語の選択制でもいいと思います。卵がアレルギーであれば、何か他の食材からタンパク質を補う必要があります。英語が大学課程における選択制の第2外国語でもいいと思います。むしろそういう選択肢が揃っている方が望ましいのかもしれません。
 
 これからの世界はさらにグローバル化が進み、文化の混在による均質化が進み、いずれの場所も今より密に様々な地域と繋がり、社会的趨勢やその引力の中心地ではいられなくなる。そういう時に、これらの言葉の壁をひとつも乗り越えられないという事は、その社会を孤立させ、致命的な状況に追い込むことになる。孤立した社会がどうなるか、それは私たちの歴史と隣国、北朝鮮が証明しています。

 英語とパソコンの理解については、双方の理解はすれ違ったままですね。
 もし私があと20-25年早く英語ができて、Steve JobsとBill Gatesらの発表する論文、記事を原文でいち早く読んでいたとしたら、日本でIT時代の寵児となった堀江さんよりも早く、深く今のこの社会の到来を予想できていたでしょう。20-25年前は1985-90年。その頃はちょうど彼らが来たる爆発的な情報社会発展のための課題を次々とクリアしていた時期です。
 英語ができていればC言語、VBA、JABA等の情報言語、Information Architectureの必要性もいち早く理解していたことでしょう。
 さらに、これだけ情報社会がスピーディーに発展した影には英語の存在が否定できません。もしもそれらのscriptが他言語で書かれていたら、ITの広がり様はもう少し遅かったでしょう。
 英語は既に世界の第一言語としてだけでなく、学術を含めた情報技術分野におけるその世界を征服しています。おそらく、mouthbird先生の中学・高校の先生が言いたかったのも、こういうことだと思うのです。

 いろいろとモノの理解を重ねていくと、実は間違っていたのは自分の方なんじゃないか、ということは往々にしてありますよね。避けるべき失敗は、ステレオタイプな発想で可能性のあるものを必要以上に否定してしまうことです。実は自分の理解が及ばなかっただけ、ということがあります。そこに違う解釈を求めてみる、ということが大切だと思うのです。

 文法至上主義が失敗していると思うのも、別の視点で見た時に海外の人からの意見が理解できるからです。ただ鵜呑みにしているわけでもありません。
 ゆえに依然として、文法の必要性も否定しません。音読を繰り返すのも、口に文法を覚えさせるためで、結局文法は必要不可欠です。こういう過程を経て、改めて日本の英語教育を見直したとき「少し偏っていないか?」 という疑問が出てきたのです。その文法至上主義や逐語訳主義はまるで片翼を傾けている飛行機のような感じで、旋回するばかりです。

 最後に、生徒が英語嫌いなのは、その先にテストがあって、それでいい点数が取れないという不安、ストレスからだと思うんです。テストの正解・不正解が彼らの最終的な目的や課題になってしまっているような気がします。さらにテストでは「文法が繰り返し質問され、いろいろ語法があって混乱してしまっている」「文法ができる=英語ができる、という視野狭窄」という現状もあると思います。Speakingやreadingの練習が不足しているのです。かといって、だらだらと形式的に英文を読ませるだけの授業や、逐語訳だけの授業に走るのも間違いですけど。

 mouthbird先生が好きじゃないのは英語ではなく、中高の英語の先生であり、その回り道をした思い出だと思います。表層的な存在として英語にそういう思いをぶつけているだけだと思います。生徒が似たような思いを持っていても、全く同じ思いを抱いているとは限りません。その点は注意していただきたいと思います。釈迦に説法ですけど。あと、数学の話ですが、教授には「簡単だと思う問題でも違う理解ができるかも知れない、という気持ちで数学を観ることが大切」という話があったのですが、僕も同感です。大学数学科では「1+1が2になることを証明せよ」という問題も解くそうです。

 私はいくらでも批判していただいて結構ですょ。全て冷静に受け止める自信があります。I just think about them, including my mistakes and justice of the arguing points, critically. です。

2010年
03月26日
20:02
hiromidukiさん

mouthbird先生、ご意見ありがとうございました。多分娘は文法事項でつまづいているんだと思います。日本語と全く違うし覚えることが多すぎますものね。基本的に勉強が全体的に嫌いな娘なので、コツコツ英単語を覚えるのも苦痛のようです。クラスで最低の点数をとるようなことがあれば、少しはヤル気になるかもしれません。

私の経験から言うと、たとえ日本にいても英語は必要だと思ってます。私が以前勤務していた会社では英語のスキルが必要でしたし、英語が不得意な人は苦労してました(もちろん私もです)。My faultと言った友人は、アジア系の英語ネイティブで現在台湾に住んでます。仕事上韓国人や中国人などのアジア人と接する機会も多く、彼らのことについてもいろいろ話してくれます。私も中国人の女の子と話して感じたことですが、他のアジアの国の人たちはとても勉強熱心で、将来についてよく考えているんです。日本の企業で働きたいから「日本語」を勉強する、英語は仕事で必要になるから「英語」を勉強する、とても積極的なんです。必死な感じさえします。どうも日本人にはそれがないらしい・・・娘がそのいい例ですよね。

とりあえず今のところ英語を「押しつける」気はありません。かえって逆効果のようですし・・・。彼女なりに必要だなと思う「何か」を見つけるまでは、見守るしかないかなあと思ってます。tattsun999さんが書いているように、英語にこだわらなくてもいいんじゃないかとも思います。彼女が興味を持ったなら、それが英語でなかったとしても素晴らしいことです。

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