マウスバードさんの「英語嫌いに英語を好きにさせようとする狙いが成功しないメカニズム」というエッセイを読みたかったので、雑誌「英語教育3月号」を読んでみました。
マウスバードさんの主張は「英語嫌いに英語を好きにさせるために英語を楽しませる試みをするは無駄だ。そんなことよりも、英語が嫌いになる原因の『出来ない』『わからない』を治療するほうが大切!」ということで、大変同意できるものでした。
好きこそものの上手なれという言葉もありますが、下手の横好きという言葉もあるほどだし、現実は好き嫌いと上手下手は必ずしも一致しないですよね。
ある教科への「好き」「嫌い」という感情を授業で変えさせるのを目標にするのは、なんだか変だと思います。(結果として好きになるんなら良いのですが)そんなことよりも、嫌いなら嫌いなままでいいから、出来るようにしてあげる、わかるようにしてあげるほうがずっとその子のためになると思います。
マウスバードさん以外の英語の先生のエッセイは、英語を出来るようにさせることは目標ではない、英語の楽しさを教えるのが目標だ、のような内容のが殆どで
「ああ、全然わかってないんだな('A`)」
「ダメダこりゃ\(^o^)/.」
と、壁のようなものを感じました。
ところで、英語が出来なくて英語が嫌いな人間を楽しませようとする試みって、ある意味、表面的には(あくまで表面的にです)成功しているのかもしれないです。
「英語を好きにならなくてはいけない。英語を好きなのは当たり前だ。さあ!みんな、英語を好きになって、ネイティブとコミュニケーションを楽しもう!」という「空気」に、強烈な拒絶反応を持ってしまうマウスバードさんのような方ももちろん多いでしょうが、そういう空気に洗脳、感化されてしまう日本人もかなり多いんじゃないかと想像するからです。
英語が出来ないけれど好きだと思い込んでる人達が、殆ど役に立たない英語教材(そういう教材は、文法学習や辞書調べを悪玉扱いしていたりする。ネイティブ至上主義なものが多いと思う。中学英語よりレベルが上のことは勉強しなくて良いような宣伝の物もある)に手を出したり、胡散臭い英語情報商材に金をつぎ込んだりしてるんじゃないでしょうか。
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