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mouthbirdさんの日記

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2016年
07月25日
13:54 mouthbirdさん

私の感覚と世間の感覚(2)

私の感覚・1


・私は英語が嫌いで中でも英会話が何より1番嫌い。私は英語を喋りたくない。


 そもそも英語好きには「英語嫌いはなぜ英語を嫌うのか」が分からない人が多いこんな火を見るより明らかなことも分からないのが英語好きの特徴かもしれない

どうしてもわからないなら、よく考えて欲しい。まずあなたが1番嫌いな教科を想像して欲しい。そしてその教科がなぜ嫌いか考えて欲しい
 その教科は
  ・成績が悪かった
  ・先生の授業が何言ってるかわからなかった
  ・もの凄く時間をかけて勉強してもできなかった
 はずである。


例えば、多くの英語好きは数学が嫌いなはずである。そういう人は、そのできなかった教科がたまたま(例えば)「数学」だったわけだ。たまたまできなかったわけだ。


 私の場合…


 その【できなかった教科】が【私の場合】たまたま【英語】だったにすぎない。私英語の成績が極端に悪かった。平均80点台のテストで私は7点だったのだ。詳しくは↓こちら。


過去ログ:英語ダメ人間のなり方


だから私は英語が嫌いだ。この世で英語が1番嫌いだ。ゴキブリのほうがまだましである。


===


 英語好きの人の多くは英語を喋りたいと思っているだろう。英語好きでもなく「普通ぐらい」でもできれば英語を喋れるようになりたい、と考えるだろう。しかし私は英語を喋りたくない。微塵も喋りたくない。これについては過去に散々書いたの参照して欲しい。


過去ログ:英語を喋りたくないって言ってるだろうが!

過去ログ:英語嫌いの英語教師の理由(9)


 金曜日は文法放送。この続きは来週の月曜日です。


(↓目次はこちら)
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コメント

1番~8番を表示

2016年
07月26日
07:45
bonsuke2010さん

英会話というのは、好き嫌いの対象ではなくて、道具の一種、と私は思っています。日常生活や仕事で必要、または役に立つと思う人は、目的に応じて知識を蓄え、最低限の使い方は覚えて使えばいい。英語をしゃべれなくても何の不自由もない人は勉強する必要はなく、また、声高に「嫌い」などと叫ぶ必要もないように思います。
私個人としては、あえて好き嫌いで言うなら、「好き」の部類に入る、と思っています。若い頃、英会話学校に1年間通いましたし、現在はNHKのテレビやラジオの番組をいくつか選んでほぼ欠かさず視聴しています。しかし、これはペラペラになりたいからではなく、必要に迫られてでもありません。単に「面白い」からです。こんなアプローチもあり、じゃないでしょうか。これで、数年に一度、海外旅行をしたり、知り合いのアメリカ人に表現上の疑問点を質問したりするには充分役に立っています。
話は別ですが、私はこれまでTOEICは一度もうけたことがありませんし、受ける必要も感じません。それなのに、TOEICの主として文法関係の問題集は何十冊も買って持っていますし、攻略本も好んで手に入れています。要するにクイズを楽しむ感覚ですね。いつか、電車の中で問題集を眺めていたら、知人と出くわし、「電車の中でまで勉強しているなんて、さすがですね」と言われたことがあります。これには苦笑。なんのことはない、電車の中で鉛筆片手にナンプレをやっているオジサンとまったく同レベルの心境なのですから。
私は、マバ先生には遠く及びませんが、これでも他人に英語を教えた経験があります。そのとき生徒さんには、特に緊急の必要がないのなら、遊び半分でやることを強く勧め、他の先生や学校の人から顰蹙を買った覚えがあります。でも、そうした生徒さんのなかには、現在翻訳家として立派に活動している人もいます。
要するに、私は英会話に限らず、英語のオベンキョーは嫌い。でも英語は好きなんですよ。

2016年
07月26日
10:13
neginohanaさん

私自身は、bonsuke先生に賛成で、お気持ちがよくわかるのですが。。。

mouthbird先生は「英語が大嫌い。だけど受験(など)で英語の点数をとらなきゃならない」という生徒さん達の救い主となる先生なので、

他の普通の(?)英語の先生とは違って、私自身、英語が大嫌い!」と声高に叫び続けることには、差別化の意味があるんだと思います。

英語が大嫌いな生徒さんに英語の面白さを教えます」という先生はたくさんいらっしゃるでしょうけれど、mouthbird先生のような先生はほとんどいませんからね。
(^o^)

2016年
07月26日
12:43
mouthbirdさん

>>1 bonsuke2010さん
bonsuke先生がどのようにお感じになるかはもちろんご自由です。ただ、私は英語が嫌いで、英会話が嫌いなのです。道具だろうがなんだろうが嫌いなものは嫌いなのです。

これはbonsuke先生のことではありませんが、大方の英会話好きの方は、こういう私を「英語嫌いと言うな」と止めるのです。これが私には腹立たしくてたまらないのです。なぜなら私は逆をされまくったからです。私は英語教師たちにさんざん「数学は嫌いだ」と表明されまくりました
http://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2013/01/p...

英語が嫌いな人・英会話嫌いな人は「たとえ表明しなくても」存在します。彼らは「英語が嫌いだと叫べません」。なぜなら「できない言い訳だ」と言われるのがオチだからです。

だから私は言いたくても言えない彼らのためにも「英語が嫌いだ」と言いまくるのです。

そしてもう1つ。

これほどまで英語が嫌いなままでも「英語はできるようになる」とも私は主張しているのです。どんなに英語が嫌いでも、英語の勉強しなければ英語はできるようになりません。どんなに英語が嫌いでも、英語の勉強は可能だ! …と私は英語嫌いに訴えてもいるのです。

2016年
07月26日
12:59
mouthbirdさん

>>2 neginohanaさん
>「英語が大嫌いな生徒さんに英語の面白さを教えます」という先生はたくさんいらっしゃるでしょうけれど

そうい人ばかりに会いましたね。1人として納得できる人に会ったことがありませんが。
彼らが言う「英語の面白さ」は、私にとっては「英語の不快さ」にほかなりません。
彼らに取って【英語の面白いと感じるところ】こそ、私にとって【英語が不快でたまらないところ】なのです。

参考
英語好きな人がますます好きになるモノの所為で、英語嫌いはドンドン嫌いになる。
http://www.alc.co.jp/beginner/article/mouthbird/2005/07/p...

沢庵嫌いと英語嫌いの共通点
https://twitter.com/mouthbird/statuses/656246051142131712

2016年
08月01日
10:57
luminさん

先生のお話し、面白いです~。 (決して失礼な意味で申し上げているのではございません。)

bonsuke先生と同じく、英語を好きとか嫌いとかで考えたことはあまりないです。
学生のときに好きだった科目と思いますと、頭を使わない(!)音楽や体育であったように思うのですが、
音楽の才能もなく、運動神経がよかったわけでもなく、単純に楽しめましたから、という理由です。

マバ先生、bonsuke先生には遠く及びませんが、少し前から英語を教えるバイトをやっております。
言語は生まれつき備わっている能力ですから、「やればだれでもできる」と感じておりまして(理系科目には生まれ持った素質があるのと違い・・・というのは偏見かもしれませんが)、
生徒さんについても、その時点での「できる」「できない」という視点でしか見たことがなく、
「好き」「嫌い」についてはあまり思い至ったことがありませんで、
「嫌い」という立場のお話はとても興味深いです。

連載楽しみにしております。

2016年
08月01日
23:21
mouthbirdさん

>>5 luminさん
>言語は生まれつき備わっている能力ですから、「やればだれでもできる」と感じておりまして
私自身はそうは思っていません。少なくとも全員が全員同じ才能を持っているとは思いません。100人で100m競争をすれば、必ず1位から100位まで差が出ます。少なくとも100人が100人同タイムでゴールしません。必ず差が出ます。

これと同じように、言語には才能の開きがあると思います。これは私自身、元々言語障害児だったので、声を大にして言いたいです。

2016年
08月02日
12:02
luminさん

>>6 mouthbirdさん

差が出る、というのは、おっしゃるとおりとおもいます。
なんにせよ、横並び一列というのはあり得ませんので^^

職場の国語の先生が、「第2言語の能力は、母国語のレベルを超えられない」とおっしゃっていたのを思い出しました。
長文など読んでいまして、そもそも国語力が足りないのでは、と感じることもございます。
たとえば、inspire「鼓舞する」とか、discretion「自由裁量」という日本語のほうの意味がそもそもわからないと、、、汗

そういう差はありましても、日常のコミュニケーションには困っていないわけで、
投入時間対効果に個人差はありましても、たいていはできるようになるのでは~、と信じたいです。

2016年
08月02日
12:20
mouthbirdさん

>>7 luminさん

>そういう差はありましても、日常のコミュニケーションには困っていないわけで

ここも誤解があるようです。日常のコミュニケーションに困るほどの言語能力しかない人が存在します。私がそうでしたから。いわゆる「コミュニケーション障害」というものだと思います。

もちろん、なんとか当時も喋っておりました。でも
・会話が長くつながらない
・話相手があからさまに変な顔をする
・「ごめん、何言ってるのかよくわからない」と言われる

毎日がこんな感じでした。


そんな自分を他人に悟られたくない・もしくは自分がコミュニケーション障害であると認めたくないので
・不気味な日本語を喋り続けなければならない
という状況でした。つまり「話せるふりをしていた・ごまかしていた」のです。

私は20歳の頃から…
・私は「話し方をうまくする方法」…みたいな本を当時30冊ぐらい買いました。
・当時単純な電話を友達とするために、「話し方のフローチャート」みたいのを紙に書いて作り、それを見ながら友達と電話をしてました。

 私のハンドルネームが「マウスバード」なのも「これ」が原因です。

https://twitter.com/mouthbird/status/104964981036023808

 20歳の時に直そうと試み始めました。その後約1年で、それなりには話せるようになったと思います。しかそれでも【上手く】話せている自信は全くありませんでした。私がまともに人と話せるようになった…と言えるまでには20歳から30歳までの10年かかりました。

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