(SNS全体・外部に公開(Web全体に公開))
≪前の日記
次の日記≫
英語嫌い劇場(1)
1番~2番を表示
1: ranger_さん
こんばんは。 「英語嫌い劇場」も、ときどき、楽しませてもらっています。 「苦手なりの受験英語」の読者だった者からすると、 「英語嫌い劇場」は、リメイク版、という感じがするのですが、それはさておき、 芦川先生がなぜ最初に英語で数分喋ったか、については、興味深いです。 いくつか、候補がありますが、私が思うのは、 「ああいうのを、なんとなく聞いているだけで、自然とだんだんと、英語がわかってくる、(英語のセンスのある)人も、いるから」ではないかなあ、ということです。 今でこそ「英語の授業は英語で」とか、やたらと「コミュニケーション」とか、読んで書いて、ではないやつが、(指導要領や入試においては)正式に求められがちな世の中ですが、 昔々であっても、「ネイティブの環境にどっぷりと浸かることこそが英語に熟達する近道」と、当時の英語の先生が考えていれば、しょっぱなの授業で、いきなり英語でのスピーチをする、ということは、まあ、ありえるのかな、と。 (で、そういうふうに考えてる英語の先生が、多かったから、その後、何十年かかけて、「そういうカリキュラム」に、なってきてしまった?) もとから英語ができる人、あるいは、まだ英語ができないけれども語学のセンスがある人は、ああいうのを聞くことも、学習効果があるのではないか。 傍証になるかはわかりませんが、たとえば、塾や予備校では、ああいうのを、あんまし見たことがありません。 「学校でおきまりの風景」という印象です。 (最近はわかりませんが、昔々は、塾や予備校といえば、できない人、たとえば浪人した人(学校のやり方では英語が身につかなかった人)、が行くので。)
2: mouthbirdさん
>>1 ranger_さん おはようございます。動画も閲覧いただきありがとうございます。rangerさんのように以前から見て下さっている方には、再掲載に見えるでしょうなあ! ただどうしても漫画や動画で表現したかったのです。 >「ああいうのを、なんとなく聞いているだけで、自然とだんだんと、英語がわかってくる、(英語のセンスのある)人も、いるから」ではないかなあ、ということです。 そういう側面もあると思います。おっしゃるようにその考えで現在の中学高校のがっこうのカリキュラムは進んでいるように思います。 ただ、現在の私の発想は「芦川先生は耳タイプ(音派)だったからではないか」というのが有力です。耳タイプ(音派)には意味などどうでもよく、英語の音声さえ聞ければ満足なのです。少なくとも意味よりは音を重要視します。 その価値観を生徒全員に当てはめるのです。「生徒は誰でも英語の音を聞けば満足し喜ぶに違いない」と思っていたから、こういう感じのスタートになったのだと思います。生徒側にも耳タイプ(音派)がいるのは事実です。かれらはこれで満足だったのではないで主家? しかしこれは我々のような意味派には全く受け入れられないのだと思います。だから不満にしか感じないのではないかと思います。 そして私のように浪人するよな人は、意味派が多く、だからこそ予備校の先生方はこんな授業を行わないのだと思っています。 今後も英語嫌い劇場の閲覧をどうぞよろしくお願いいたします。m(_ _)m
FAQ 利用規約 プライバシーポリシー 免責事項 運営会社 Twitter お問い合わせ
Copyright (C) 2009-2025 Q-Eng All Rights Reserved. Powerd by OpenPNE
コメント