シリーズとシリーズの合間は雑談である。今日は、予備校時代の恩師「関井光男氏」について書く。彼はすでに故人である。近畿大学の教授として教鞭をとられていたことは知っていたが、お世話になったのはそれ以前である。彼は当時予備校の「現代文」の講師であった。私が浪人時代にお世話になった人の1人である。
浪人したての頃、私はこう思っていた⇒「現代文なんて国語なんだから、英語と違って母国語なんだから、英語よりは簡単なはずだ」 これが甘い考えだ、というのは浪人してすぐに分かった。
「問:傍線部①の〇〇とはどういう意味ですか? 文中の語を使って30字以内で書きなさい」←こういう感じの問題があるだろう。この手の問題で満点の正解を出す自信があなたにはあるだろうか? 私には全くなかった。「関井光男氏」はこれを完璧に説明しえたのである。そしてできない我々に向かって彼はこう言ったものである。→「君はまだ日本に慣れていないのかな? 日本に来てどのくらい? 3年ぐらい???」もしも日本語を使いこなせているのならば、こういう問題は解けて当たり前だ、と言うのである。
説明が非常に上手かった。氏はこういった記述問題で「それ以外の答えはあり得ない」という感じの正解例を解説付きで提示してくれたのである。
彼に言われてショックだったことは山ほどある。精神的に大ダメージを受けたきつい一言もある。今回はその話をしない。したいのは、「彼は普通の先生でない!」と感じた一言についてである。
次のせりふに私は衝撃を受けた
「お前はなんで授業中に横の友達と喋らないの?」
先生なんて、⇒授業中のおしゃべりを「うるさい! 静かにしろ!」と怒鳴り散らす生物だと思っていた。ところが、関井氏は違った。
「お前はなぜ授業中に横の友達と喋らないのか?」と私を叱ったのである。
関井氏は見抜いたのだ。
・こいつ(私)は、先生に叱られたくないから、ずっと黙ってきた人間である。
・そのせいでこいつ(私)は現代文ができない!
ブログなので何度か言っているが、私は元々言語障害児であった。20歳まで人と喋るのが怖かった。何を喋っても叱られまくった。言い方が下手で、怒鳴られるので、そのうち喋れなくなったのだ。中学・高校時代、先生方が怖かった。彼らはデキラズの私にしょっちゅう「勉強やってるか?」と聞いてきた。煩わしくしょうがなかった。だからどんどん喋らなくなっていた。
関井先生はそれを見抜いたのである。
氏は私のような甘ったれは大嫌いだったに違いない。だから私は関井氏にいじられまくった。授業中にとんでもない大恥(失恋をばらされたなど)をかかされたことが1度や2度ではない。でも彼を憎むことはなかった。少し喋るようになった時、「お前は変わった」と1度言われたことがある。
彼がいなければ、大学入試は現国ができずに失敗しただろう。また人前で会話ができないまま、いい年齢を迎えていただろう。変な犯罪者になっていたかもしれないと思うくらいである。
去年、関井光男氏をネットで検索したら、すでに故人であることを知った。もしあの世では氏が私を見ても、氏は私が成長したとは決して認めないだろう。だが、私が死ぬまでには氏に認められる人物になってることが私の目標である。
金曜日はいつものニコ生英文法講義。次回の月曜日から新しいシリーズを開始します。
※実際は
火曜日になりました。
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(アルク連載分の目次は
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