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「英文法」の質問

2010年
10月29日
10:12
firstlastさん
firstlastさん

The bacon & The boy

下の(1)(3)の英文の頭に*付いてるのは非文法な文ですが、
どうにも、その違いが、わかりません。なぜ(1)(3)は非文法な文のでしょうか?


(1) *The bacon (a singular unit) is lying next to another one.
(2) The bacon was too salty.

(3) *The boy (uncountable amount) wasn’t enough for the scout troop.
(4) The boy played in the street.

この質問に対する回答は締め切られました。

コメント

1番~4番を表示

2010年
10月30日
02:59
たっつん

1は、正しくは 'a slice of bacon' では?
たしか食材の肉類は原則、不可算名詞だったと思います。それをa singular unitとして数えるには、'a slice of' とか、 'a piece of' とかっていう言い方をするんだと思います。

が間違いでないのは、指している対象が「物質、素材そのもの」についての説明、言述だからだと思います。
 この状況は「ベーコンをある程度かたまりで買ったけど、2、3切れが塩っぽいのではなく、全体的に塩味が強すぎる。」と読み取れます。だから、a slice of とか a piece of とかって表現しなくていいんだと思います。

3は、uncoutable amountってことだから、不可算名詞ってことですか。おそらく、文からしてそうだと思うのですが。

3の文のまま理解をすると、これは「具体的なある少年」を指している事になります。
 つまり、「あの少年(あるいは、その少年)は、ボーイスカウト[?]には入隊できないけど、他の少年はできる。」っていう事になってしまっています。きっとその少年は、なんらかの障害や慢性的な病気、長期間の静養を要するけがを抱えているのでしょう。

 そうじゃなくて、3の文が言いたいのは、入隊に対する年齢などのある条件や制限を一般的に課している、ということだと思うので、The boyではなく、あくまで概念的な "Boy" であるべきだと思います。
 この文が伝えたい「少年」とは、具体的な誰かではなく概念的な一般の「少年」、たとえば「未成年」というカテゴリーの中に含まれるような、概念、イメージとしての少年ってことではないでしょうか。
 概念も数えられるものではないので、不可算名詞になります。

[人について…
the Japanese(日本人、単複同形)とかAmericans(可算名詞、複数形)とかの、そういう国民とかの類いの話を混ぜるともっと話が広がっちゃうので、ご自身で学習を進めるとか、誰かに聞くとかしてみてください。 名詞の分類分けに求められる理解は思っている以上に底が深いです。]

 だから、正しくは Boy wasn't enough for the scout troop. になるんじゃないでしょうか? (実際には、Boy who is under 10 years old wasn't enough ... ,とか ... wasn't permitted to enlist in the scout troop. みたいな感じになると思います。)


は、たとえば通りがけの人が偶然、ある誘拐された少年が、その通りで遊んでいたのを事件の数時間前に目撃していて、刑事からそのときの様子を聞かれて答弁したときの一言です。
 「あぁ、その少年ならたしかに、あの(or その)通りで遊んでいたよ」ってことですね。

 この場合の少年は一般的な少年ではなく、具体的な「誘起された少年」だからThe boyで○。


 ーこれ、1〜3番は不可算名詞の勉強ですね。
「冠詞3年、前置詞8年」(逆だったかな?)って言われるくらい日本人には理解しにくいところなので、「食材の肉類は…不可算名詞だから…」というように、理屈先行にならない方がいいと思います。

 英語思考によるイメージを大事に、飲み物とかの液体や、ある程度のかたまり、固体としてのイメージがある物質、牛肉とか豚肉とかっていう「個」体ではなく「材料」になっているものは、数えられないって理解する方が応用が利きます。

 キーワードとしては「=不可算名詞」でしょうか。
 こういうイメージをフォローするカタチで、きちんとした文法の理屈を理解するほうがいいと思います。
 文法の理屈からイメージを作っていくのではなく、こういうイメージを先に掴んでおいて、後から詳細な文法の定義によって、はっきり'figure out'=理解する、ほうがいいと思います。 個人的な事情を言ってしまえば、「入試じゃないんだし、少し間違えたところで問題ない。あくまで全体的なコミュニケーション能力の方が大事」ってのがあるので、細かい修正点は間違えながら理解すればいい、くらいにしか思っていません。

 不可算名詞のポイントは、「その時、その人によってイメージする量が違っていて、『1個』というものが普遍的に、一般的に、定量的に定義できないものだから不可算名詞にする」ということです。
 あとは単純に数が多すぎて数えるのが面倒な類いのもの。魚とか羊とかの家畜、動物系とか。だからやっぱり、原則として"量として捉えられてしまうもの"ってことですかね。僕はそう理解しています。
 

 で、そういう量的なものもやり取りする必要があるので、強引に定量性を与えて、交渉などのやりとりを可能にする必要があった。そこで、a slice of ... などの不可算名詞を数える言い方を編み出した。
 個人的なイメージですけど、彼らヨーロッパの世界は個人主義で、個人の主張というものを大事にしていますね。
 遠く昔、ギリシアなどの海と山々に囲まれた貿易国において、価値基準の異なる都市国家間の利益を巡る交渉の場で、量的なものを「どれだけ必要としているのか」をハッキリ具体的に伝えるには、a glass of beerなのか、a bottle of beerなのか、イメージを少しでも具体化して、定量的に伝える必要があったんだと思います。
 そういう文化背景が英語にも残っているんだと、勝手に理解しています。こういう名詞表現について、これは可算名詞、これは不可算名詞、というように細かくカテゴライズし、明瞭化を行ったのがヨーロッパの言語なんだと。

 不可算名詞を強引に数える表現をする感覚っていうのは「人によってイメージする量が違うものに対して、ある程度の定量感を与える」っていう感じだと思います。

 このa ○○ of っていうような言い方いっぱいありますけど、この表現と後に続く名詞を眺めたり、出会ったりしていくと、そういうに対する英語的な定量感覚が身に付くと思います。

2010年
10月30日
12:12
firstlast

すごく分かりやすい、ご説明で、納得できました。
さっきまで、Trade nameがcommon noun にshiftする、たとえば「kleenex」 →「a kleenex(=a paper tissue」、「Kodak」→ 「a kodak(=a camera)」になったり・・・proper nounsをcommon noun patternsで使うと、proper nouns機能は無くなってしまう、なんて部分を読んだり・・・
はたまた、「Earth」→「the Earth」へのシフトを見たり、noncount-count shifts and common-proper shifts において記憶しておくべきことは・・・「英語の語彙分類が冠詞にとって重要な情報であること」そして、「話し手の分類の再概念化による不安定さの度合いが常につきまとうこと」・・・等など、冠詞がらみの名詞の奥深さ・・・ご指摘の通りで、到底、僕の頭の中は混乱状態です。  ありがとうございました。 いただいたコメントをまた読み返して、勉強させていただきます。

2010年
10月31日
01:39
たっつん

>「英語の語彙分類が冠詞にとって重要な情報であること」
「話し手の分類の再概念化による不安定さの度合いが常につきまとうこと」

 ?????
 僕には、その解説の日本語が抽象的すぎて(というと「本質的で的を得た解説」という取り方もできますが、この場合、アバウトすぎる、ピンボケした解説、漠然としすぎているっていう意味で)理解できないです。

 ここだけしか見てないけど、おそらくこの本全体が、こんな調子で解説されているのでしょう。個人的には著者あるいは訳者に対して「もうちょっと具体的な解説できないの?」って思います。これで解説をした気になっているのなら、著者や訳者の姿勢は乱暴すぎる。

 「名詞は奥深い」と言ったのは、もっとそれよりは簡単で、大学受験のようなレベルで言っています。firstlastさんには、「もう少し浅い」と言うべきだったでしょうかw
 名詞のカテゴリーってけっこうあって、可算名詞と不可算名詞がまずあって、そこから固有名詞、普通名詞、集合名詞、物質名詞、…みたいな感じでいろいろあって、日本語の感覚からしたら、細かく分類されているから「奥が深いよ」って言ったつもりです。

 ま、firstlastさんが、どういう目的で英語を学習するかはもちろん自由ですけど、もう少し肩の力を抜いてもいいと思いますよ。なんか英語を難しく考えすぎてる。だいたい、そんな理屈はnativeと話している時には、少しも出てこない。

「あ、ここは話し手の分類の再概念化による不安定さの度合いが常につきまとうから…非定冠詞がついているんだ!」

なんて考える余裕はないです。

だから大事な事は、いかに理屈をイメージ化、あるいは直感や本能と呼べるような「感覚」になるまで落とし込むかってことです。逆に言えば、感覚に落としこめない理屈は(その時点では)無用だってことです。
 理屈が感覚になったら、また理屈を少しずつ、日本語を使うような感覚になるまで落とし込む、これの繰り返しじゃないですか。

2010年
11月04日
13:27
firstlast

3 tattsun999さん

ありがとうございます。
「感覚に落としこめない理屈は無用」・・・まったく同感です。
お察しの通り、この本・・・ずっとこんな調子です。 すご~く、辛いんですが・・・
また、手をだして「くそ~」っと思って読んでます。

因みに、訳本はAmazonで見た限りでは、見当たりません。
・・・こんな800ページを超える本を訳す暇人はいないでしょう。

なので、「再概念化・・・」は勿論、ぼくの怪しい訳です。
著者(3人)自身・・・時折、本文中でperhapsなど、非常に蓋然性の低い語を時折使っており、手探りなのかな~っと思ったりもします。

色々教えていただいて、ありがとうございました。

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