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[英語のプロセスで単語を学ぶ会] トピック

2012年08月12日
11:11
mikapyonさん

動詞12 Come

come
The letter K comes before the letter L in the alphabet
come のコアは「視点が置かれているところに移動する」ということです。この場面ではアルファベットが一つ一つ順番に立ち現れてくる状況を想像してください。ここでの視点は文字が現れる場所(見ている人の関心がおかれている場所)になります。before は順番で「~の前に」ということで、The letter K comes before the letter L で「KはLの前に来ます」ということです。また、in the alphabet は「アルファベットで」と日本語ではなりますが、英語的には「アルファベットの配列の中で」ということで、やはり空間的なin のコアが生きていますね。

The girl is coming to her father.
come のコアは「視点のあるところに移動する」ということで、この写真では「父親」が視点の置かれているところになります。論文の進み具合を尋ねるのに、 How’s your paper going along? とHow’s your paper coming along? の両方が可能です。go だと論文が終わるのにだいぶかかりそうだ、come だと論文の終わりが近いといった前提があります。開始の時点に視点を置くか、終了の時点に視点を置くかの違いです。

The railroad track comes to at end.
「視点が置かれているところに移動する」というのがcomeのコアです。この写真では線路上を移動するということが前提となり、線路が行き止まりになる箇所の視点から表現しているためcome to an end となっております。この線路を進んでいけば行き止まりになるという状況であれば、The railroad track goes to an end. となります。視点の違いに注目しましょう。

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12番~31番を表示

2012年
09月09日
21:57
さん

12: さん

>>9 たっつんさん
>>10 mikapyonさん
>>11 aki-euさん

わー!みなさん、ありがとうございます!!!
たっつんさん、aki-euさんはイラストまで描いてくださって、すごくわかりやすいです!!

なんか、もしかして、長年の疑問がとける瞬間が近づいているのかも?!とわくわくしています。もしよろしければ、引きつづきおつきあいいただけると嬉しいです^^

えーと、すみません、説明に「行く」「来る」をつかっててはわかりにくいですね。「移動する」という言葉を使うようにします。そもそも「行く・来る」とgo,comeの概念が違うから混乱しているのに、説明にそれを使うとよけいわかりにくくなりますものね。といいつつ、うっかり使ってしまいそうですが^^;…がんばります!

>>9 たっつんさん

>ただし、英語のcomeの場合は、自分のいる場所だけではなく、相手のところに行く場合にもcomeをつかう。

すみません、私のこの説明はよくなかったですね。「comeはspeakerのいる場所に移動すること、あるいはlistenerのいる場所に移動すること」と言い換えます^^;

これは私にははっきりとしてわかりやすい説明なのですが、これで混乱するのはどういうときでしょう?それとも私の日本語の書き方が悪かっただけでしょうか?上のように↑と書き直せば大丈夫でしょうか?

そして
>自分か相手のところに移動する場合はcome、そうでない第3のポイントに移動する場合はgo。


>相手のところに移動するという状況を説明する場合は go も入ってくるので正解とは言えないですね。

listenerのところに移動する状況でgoを使う場合をすぐに思い浮かべられないのですが、例えばどんなときがありますか?

>No, I'm not going. (いかないと思う。)/Yes, I'm going.(いくと思うよ。)
友人のホームパーティに参加するかどうかを、その主催する友人から聞かれたときもこう答えていいのですか?(もっとわかりやすくするなら、その友人が自宅から電話をかけて聞いてきた場合など)
その場合でも自分の気持ちに視点をおくのなら、I'm not going.と言えるということでしょうか。

母親に「ごはんよ~」と呼ばれて「今行くよ~」の返事のときも、自分の気持ちに視点を置くのならI'm going.と言えるということでしょうか?


あ、自分でも疑問点がうまく絞れていなかったのですが、わかってきました。

私が疑問なのは、なぜ「自分の気持ちうんぬん」という説明が出てくるかということです。
それはどこから出てきたものなのですか?

以前に教えていただいた辞書の説明にも
(話し手のいる所話し手が行く予定の所へ)
(相手のいる所・相手が行く予定の所へ)
という説明があるだけなのに(▼はたっつんさんが追加されたものですよね?)
なぜ「視点」とか「気持ち」とかいう話が…それがどこから出てくるのか、わかりません。
(日本語でそう説明されているサイトがたくさんあるのは知っています)

「difference come go」でgoogle検索すると、たくさんの説明がでてきますが、
http://www.bbc.co.uk/worldservice/learningenglish/youmeus...
http://esl.about.com/od/vocabularyintermediate/ss/confusi...
等、もちろん全てを読み比べたわけではありませんが、
comeはspeakerあるいはlistener(hearer)の位置に移動すること
goはspeakerあるいはlistener(hearer)の位置から他に移動すること
という説明が多いように思います。

前にこのことでlang8で質問したときも、今回のように何度もしつこく効いたのですが^^;
どのネイティブの人も(いろんな国の)、speakerやlistenerの場所という言葉を使っていて
自分の気持ちや視点などという説明をした人は1人もいませんでした。
(まあこれはたまたまかもしれませんし、もちろんネイティブが絶対正しいというつもりはないですが)

「視点」や「気持ち」というのは、辞書では説明しきれないニュアンスを説明している言葉なのだろうと思いますが、本当にその説明は合ってるの?という疑問もあります。

そこで、また最初の質問に戻りますが、たぶん

>相手のところに移動するという状況を説明する場合は go も入ってくるので
>自分の視点に気持ちの重点を置いて話した場合、I'm going to the party. で OK ということです。

これの例を示していただければ納得できるのです。
すぐには見つからないかもしれませんが、もし見つかった時には教えてください!!

2012年
09月09日
22:12
さん

13: さん

>>10 mikapyonさん

お騒がせしてすみません^^;;;;

>相手がないときは、話者の気持ち次第で come になったり go を使ったりする。
わかりますー。わかりますが、気持ち次第でどちらでも使えるというのは、ちょっと納得できないんです。speakerのところに移動、listenerのところに移動、のときにgoを使ってる文ってありますか?

2012年
09月09日
22:25
さん

14: さん

>>11 aki-euさん

>She comes here every morning.
すみません、これは私の出した文が悪かったですね。hereがあるので、B=Cとなってしまいました。
>Bから見て、彼女がAからBへ移動してくると言うことなのでcomeが使われてます。
これはspeakerのところに移動するということですよね。

aki-euさんの説明に従うと、B≠Cのときも、Bのところに視点をおけば、AがBに移動するときcomeは使えるということですよね?そういうときにcomeを使っているのを知らないので、見つけたらぜひ教えてください!

駅での待ち合わせの話ですと、
>ただ友達がthe stationから見ていると考えられるので、
>comeを使いたいと僕は思います。
これはlistenerのところに移動する場合はcome、ということのに当てはまると思います。

命令文のCome here. とCome there.の説明ありがとうございます。
納得です!大賛成です!

昔lang8で聞いた話を思い出しました。
I'm coming here now.と言えるかどうかと尋ねたんです。

I'm comingということは目的地にはまだ到達していない、なのにhereと言えるか?
そう言える状況はあるか?
例えば地図上のある部分を指さして、「私はこの場所に向かっている」という意味で
I'm coming here now. と言えるのか?

「私なら、I am going there now. あるいは I am going here next. という」というコメントがつきました。
I'm coming here.が使える状況としては、自分がいまその場所にいる状態で、
I am coming here next week.
なら言えるだろうということでした。

もう一人コメントをくれた人も「前の人に賛成。私が思いつける I'm coming here.が使える状況は未来のある時点でその場所に戻ってくるときだけだ」と書いていました。

なるほどそういうときには使えるか、と大納得でしたので、今もよく覚えています。
(と書きたかったところですが、aki-euさんの書いてくださった例を読んで、そういえば…と思い出したのが、本当のところです^^;)

2012年
09月10日
08:13
さん

15: さん

うーー。なんかわからないポイントがわからなくなってきました。

自分なりにまとめてみました。

1人称の位置(speakerの位置)を1
2人称の位置(listenerの位置)を2
3人称の位置(speakerの位置でもlistenerの位置でもないところ)を3

として、仮に
「1と2のところに移動するときはcome、そうでないときはgo」を適用すると

1→1 come
1→2 come
1→3 go

2→1 come
2→2 come
2→3 go

3→1 come
3→2 come
3→3 気持ちによる(?)

となりますが…

気持ちや視点でかわるという説明だと、この全てのケースで「気持ちによる」ということですよね?それとも1→1等の場合は「視点や気持ちが必ず1の位置にあるのは自明」ということなのでしょうか????

私がわかっていないのは…いくつもありますが^^;、例えば、3→2の場合で、日本語的に考えると「あなたのところに"行く"」となると思いますが、それを「2のところに移動するときはcome」ルールだと、comeになるので、ふーん?そういうものなのかなー?という納得できない感(日本語と違う感)があって…それって必ずcomeなんでしょうか???そこで「気持ちによる」ってことはないんでしょうか?「goは第3の場所に移動するときのみ」派の説明だと、「必ずcomeになる」ってことになると思うんですが…。

3→3が「気持ちによる」のはわかります。自分がどちら側に近いか遠いか、その気持ち次第でcomeになったりgoになったりするんだと思います。

えーと、「気持ちによる」派の人の説明だと、1→2の場合にもgoが使えるときがある、ってことですよね?それならそれでいいんですが^^;(私は自分自身に知識も経験もないので、「こうです」と納得できる説明をしてもらえればそれを信じるだけです)、さんざん学校で、「呼ばれていくときはcomeを使います。ここは日本語と違うところなので注意が必要です」と言われてきたのに?!というもやもや感が残ります。1→2のときにgoを使っている例をあげてくれた人がいないからです。それさえ「ほらこういうときには使えるでしょ」と示してもらえれば納得するのに。

昨日aki-euさんの「Come thereはまずない」に大賛成していましたが、そういえば、Come there next week.というふうにいえば、言えるのかもしれませんね??1人称のときと同じで?

2012年
09月10日
23:44
mikapyonさん

>昨日aki-euさんの「Come thereはまずない」に大賛成していましたが、そういえば、Come there next week.というふうにいえば、言えるのかもしれませんね??1人称のときと同じで?

I will come there , where we will be together forever.
という動画を見つけました。

僕はそこへいくよ、僕たちがずっと一緒にいるところへ  って感じかな?

てことは、
I came there where I lived before. ( 私は以前に住んでいるところへ来た)  もありうるよね。

>えーと、「気持ちによる」派の人の説明だと、1→2の場合にもgoが使えるときがある、ってことですよね?

これに関しては、相手が今いる場所に 自分が向かうときに go を使うのは、ありえないくらい非常識なことなので、もし、go をあえて使うと意味が変わってしまう(話者が相手がいる方向とは別の方向に向かうことを表してします) ということなのではないでしょうか。

で、1→2 で go が使えるのは、 第三者がいる場合。
speaker と listener がいて、 そのほかの he or she が listener の方に向かっていく場合ならありうるのでは?

He will go to station to meet you. 彼があなたを迎えに駅に行きますよ。

2012年
09月11日
02:03
たっつんさん

>12-15 maruko さん

>すみません、私のこの説明はよくなかったですね。「comeはspeakerのいる場所に移動すること、あるいはlistenerのいる場所に移動すること」と言い換えます^^;

これは私にははっきりとしてわかりやすい説明なのですが、これで混乱するのはどういうときでしょう?それとも私の日本語の書き方が悪かっただけでしょうか?上のように↑と書き直せば大丈夫でしょうか?

●解説の言葉について。
 私を含めた他の人が「視点」という言葉を使っているのは、本質的な説明をしようとしているからだと思います。その言葉が一番近いからです。nativeの人たちの解説は、具体的で直接的でイメージしやすい。具体的な言葉はいつでもそうです。逆に抽象的な言葉はイメージしにくい。
 それでも抽象的な表現の方を選ぶのは、それが漏れのない解説になるからです。

****************************************


>「comeはspeakerのいる場所に移動すること、あるいはlistenerのいる場所に移動すること」

●私の中でイメージが一致しているのかわかりませんが一致してるとして、これでも間違いではないのでしょうし、おおよその解説にはなると思います。nativeは具体的に人物を登場させ、イメージしやすいシーンを使って come の解説を試みていると思います。
 周知のように come には、発展性があり「何かの事象が発生する」というような抽象的な表現もできます。だから、speaker(writer) と listener(reader) の関係性だけでは解説に「漏れ」が出るのは、わかっているはずです。

 たとえば、例文にある

 The railroad track comes to at end.
 
 こういった客観的な描写を解説する時、視点がおかれている the end には、誰もいないですよね。これを「視点は speaker/listener がいる場所」とすると「speaker も listener もいないじゃん」っていうことになるので「視点」という概念を導入しているわけです。

 「第3者的視点」という話が出ていますが、これも「視点」という概念で説明できると私は考えます。事実、先の例文は speaker も listener も出てきていません。スタート地点から見るか(=The railroad track goes to at end.)ゴールから見るか(=The railroad track comes to at end.)、それだけで足りる、と考えるのが私の持論です。
 また、「第3の場所」というのはそもそも go の中に元からある概念・意図なので、その第3の場所というのも go の中に当たり前にあるものとして考えます。

 ついでに、come there. のあるなしについては、私はあると考えます。
 なぜなら come here. と呼ばれて、I'm coming. と言う場合、後ろに省略されているのは具体的な場所名か代名詞の there だと考えるからです。ゆえに、come there という言い方はあるかと考えます。
  また過去の出来事を思い出しながらなど、私が書いた例文のような話の文脈の中で「そこに向かう途中で」とかっていう場合も同様です。

 aki-eu さんの言う A→B はたしかに、speakerから見れば B=here で A=there です。しかしそれは、 'come here.' と述べた人(=speaker)からの視点です。話しかけられた人(= listener) からは A=here で B=there です。よって A→A でthere - there とはなりません。前提に誤りがあるのかと考えます。
 

****************************************


>>No, I'm not going. (いかないと思う。)/Yes, I'm going.(いくと思うよ。)
>友人のホームパーティに参加するかどうかを、その主催する友人から聞かれたときもこう答えていいのですか?(もっとわかりやすくするなら、その友人が自宅から電話をかけて聞いてきた場合など)
その場合でも自分の気持ちに視点をおくのなら、I'm not going.と言えるということでしょうか。

●私はそういう答え方ができると考えます。go/come いずれの答え方もできるでしょう。気持ちをどこに置くか、だけの差だと思います。今までのこのトピックの話の筋だとそういう見解になると思います。

****************************************


>母親に「ごはんよ~」と呼ばれて「今行くよ~」の返事のときも、自分の気持ちに視点を置くのならI'm going.と言えるということでしょうか?
 
●結論から言って、NO でしょう。
まず、理由の一つとして前回も辞書から引用したように、

I'm going. は「外出する」とあるからです。
 これはつまり、辞書が意図するところは、イメージしているスケールが違うということです。

 この I'm gong. の出発点は「家」です。この go はその家自体が「点」として存在していることになります。そして一般的には going のあとに外出先の目的地の名称が来るはずです。go は学習過程では通常自動詞ですが、go だけで文が終わることはほとんどないです。一般的に 「to 場所」にみられるような副詞(句)がくるのが普通です。

 I'm going. が「外出する」という意味になるということだと、I'm going there. として「食卓に行く」とするのは、まず基本的に「ナシ」ということでしょう。ギリギリOKだとしても、これが許されるのはホームステイをしている non-native だけでしょう。native の子が使ったら、「この子、学校の勉強大丈夫かしら…。」というレベルだと思います。

 こういった場面ではどれが○で、どれが×というよりも、I'm going < I'm coming. ということだと思います。それでも、家の中にある部屋について go が使われるような場面は、きっと多分こんな感じ。

 Just feel at home and help yourself. You can go to the kitchen and bring anything you want from the fridge.

 とかなら、なんかありそうな感じですが。。

 I'm going. が「外出する」となるのは、乱暴に言ってしまえば、彼らの日常的な場面と結びついた英語の「スケール感」だと思います。ちょうど、日本語に場面場面にふさわしい(=違和感のない)言葉があるように。 ここから先は、言語学の学位がある人に聞くしかないかと思います。少なくとも現状において、私にはこのレベルの回答しかできません。


 さらに2つ目の理由として、同じく引用した内容には、

May I come in?
はいってよろしいでしょうか
▼相手が中にいるときはgo inとはいえない

というのがあります。この意図を汲み取ると、先の場面における「母親に『ごはんよ~』と呼ばれて」という状況は間違いなく kitchen/living/the dining table に母親がいます。kitchen living もひとつの部屋と考えれば、これが go を用いることができない理由のひとつ、と考えられるでしょう。

 その kitchen/living/the dining table に視点をおいて、I'm coming. と返事をするのが通例だということです。

 I'm coming. の後に言葉がないのは前回お話しした通りです。「食卓に行く」に決まっているからです。
 Now dinner is ready. Come, Come. とか呼ばれて、 I'm coming. となるわけでして、この後は the (dining) table か there になるのは自明ですよね。この場合は、coming there. でしょう。

I'm coming there.
こんな事例もありました。
http://twitter.com/BigSean/status/243900850731364354

****************************************


>相手のところに移動するという状況を説明する場合は go も入ってくるので
>自分の視点に気持ちの重点を置いて話した場合、I'm going to the party. で OK ということです。

これの例を示していただければ納得できるのです。
すぐには見つからないかもしれませんが、もし見つかった時には教えてください!!

●こういうことですか?


****************************************

 字面や文法から状況をイメージするのではなく、あくまで状況ありきで、状況を説明するものとして言葉がある、というスタンスの方があるべき語学の姿勢ではないかと思います。
 「状況によって言葉の示すスケール、範囲が違う」っていう説明はすごくズルいというか、逃げ腰な説明ですが、そういう部分が言語にはあるかと思います。数学のように線が引けない。それが言語かと思います。もちろん私の理解が不足しているのも、こういう説明になってしまう原因のひとつですが。

 文法というからには100%のルールが欲しいところですが、文法に100%はないです。少なからず例外があり、ルールで説明できない部分は出てくるかと思います。言語学を修めた人でもそういう部分が残るかと思います。

 文法書にでてくる「原則」という解説は、そこに例外があることを示しています。
 「例外があるけど、とりあえずそういうことなんだってことで理解しておいて OK、ていうか、そういうことにしといて。」 ということです。

2012年
09月11日
09:34
さん

18: さん

>>16 mikapyonさん
>>17 たっつんさん

毎日おつきあいいただいてありがとうございます!
comeについてこんなに誰かに聞いていただけるなんて、本当にうれしいです。

お二人ともお忙しい中、たくさん時間を割いていただいて、すみません。ありがとうございます。
私は毎日時間がたくさんあるので、ヒマそうに何度も書きこんでいますが^^;
お返事いただくのは何日か後、何週間か後でも全然かまいませんので、そこのところはお気づかいなく~。

2012年
09月11日
09:38
さん

19: さん


>>16 mikapyonさん

aki-euさんのおっしゃってたのは、Come there.と命令文でのことだと思います。
普通の文では、もちろんたくさんありますよね。

> I will come there , where we will be together forever.
は自分が行く場所に相手の人もいる(予定)、つまり相手のところに行く、と私のルールでは考えるので、come。 goだとどうなるんだろう。相手がそこにこないことを予想している感じ?それでも僕はいくよ、みたいな??

>I came there where I lived before. ( 私は以前に住んでいるところへ来た)  もありうるよね。

普通ならhereだよね?自分のいる場所だから? I came there where I lived before.というときはどういうときだろう??どんなシチュエーションですか?


>相手が今いる場所に 自分が向かうときに go を使うのは、ありえないくらい非常識なことなので、もし、go をあえて使うと意味が変わってしまう(話者が相手がいる方向とは別の方向に向かうことを表してします) ということなのではないでしょうか。

ああー!なるほど、そういう考え方もありますね。それは理解できます!
ごめん、私はそっちのほうがややこしいとは思うんだけど(ありえないほど非常識なことを言ってもいいと激怒したときなどは言ってもいいのか?とか思っちゃう)、でもその感じ方は人それぞれだから、この方式の方がわかりやすいと考えてる人がいるということはわかります。


>He will go to station to meet you. 彼があなたを迎えに駅に行きますよ。

聞き手の方に向かっていっているならcomeじゃないですか?
(今駅にいる、あるいは電車の中にいてもうすぐ駅に着く)

聞き手がそこにいないならgo。
(聞き手はまだ自分の家にいるとか、他の場所にいる)

2012年
09月11日
10:55
さん

20: さん

>>17 たっつんさん

わかりやすくまとめていただいてありがとうございます。
区切りとか、色をつけたりとか、すごく見やすいです!
私もマネしよう!と思ったんですが、うまくまとめられませんでしたorz
すみません、まだダラダラ続きます^^;;;



ここはコアのイメージを学ぶところですから、ここでは抽象的な概念のみを説明しています、というのはわかります。

同じことを思っていても、そのアプローチのしかたが違うということはあると思います。日本語での表現の仕方が違うだけということもあるかもしれません。それはそれでいいと思うんです。その人それぞれ、自分のわかりやすい考えで覚えておけば。

でも、相手のところに移動する(→2)のときに、「気持ちによってgoも使える」というのはそれとはまったく違います。なぜなら、私は「相手のところに移動する場合は必ずcome」派だからです。(それに強い自信があるわけではないのですが、とりあえずそういう立場ということにしておきます^^;)

そこにいたった過程を説明したくて、具体的な説明をうけた話を出しただけで、その説明がよりすばらしいと思っているとかいうわけではありません。視点や気持ちを使っての説明について「ほんとうに合ってるの?」と疑う気持ちがあるのと同じくらい、具体的な説明にも「そういうのがあてはまる文を紹介してるだけなんじゃ?漏れがたくさんあるんじゃないの?」という疑いの気持ちはあります。

ちなみに、みかぴょんや、たっつんさん、aki-euさんに何度も説明していただいたおかげで、なるほど「視点」や「気持ち」で理解することもできるんだなとわかってきました。ありがとうございます。

私は、知識も経験もないので、人に説明してもらったのを、ふむふむと聞くだけで、今まで自分が触れてきた英語(ものすごく限られたものですが)について、なるほどと思える説明を自分の中に残すだけです。(ちなみに、間違ったことを自信いっぱいに教える人もたくさんいるので、ちょっちゅう置き換わっています^^;)

で、今のところ、「→1、→2のところにいくときはcome」という説明が一番わかりやすく、かつ正解率も高いようだという認識です。



The railroad track comes to at end.

>これを「視点は speaker/listener がいる場所」とすると「speaker も listener もいないじゃん」っていうことになるので「視点」という概念を導入しているわけです。

なるほど!おっしゃること、わかるように思います。もちろん文がそこにある以上、speakerがいないはずはないし、それを見ている人がいる以上、listenerがいないはずはないのですが、「speak」「listen」という言葉にかえって迷いを覚える人もいるでしょうね。しかし第1人称、第2人称という言葉もなじみのない人がいるでしょうし…というわけで、苦心の末(?)、「視点」という言葉を使っているんですね、きっと?

>事実、先の例文は speaker も listener も出てきていません。
すみません、言葉が足りなかったかもしれません。speaker=I(第1人称)、listener=you(第2人称)ということでお願いします。文がそこに存在する以上、Iの存在はあるはずで、それを見たり聞いたりしている人がいる以上、そこにyouの存在もあるはずです。(ひとりごとならyouはないのかな…?)

The railroad track comes to at end.

の文でいうと、speakerの位置はat endあたり。listenerの位置は特定されていません。

>ついでに、come there. のあるなしについては、私はあると考えます。

私はak-euさんのおっしゃってるのは命令文のことだと思ったのですが…普通の文ではもちろんcome thereはありますよね。でもこれに関しては私の勘違いかもしれないので、aki-euさんにお任せします^^



>>No, I'm not going. (いかないと思う。)/Yes, I'm going.(いくと思うよ。)
>友人のホームパーティに参加するかどうかを、その主催する友人から聞かれたときもこう答えていいのですか?(もっとわかりやすくするなら、その友人が自宅から電話をかけて聞いてきた場合など)
その場合でも自分の気持ちに視点をおくのなら、I'm not going.と言えるということでしょうか。

●私はそういう答え方ができると考えます。go/come いずれの答え方もできるでしょう。気持ちをどこに置くか、だけの差だと思います。今までのこのトピックの話の筋だとそういう見解になると思います。


ここ、ここ!ここですよね!
この他の点については、たっつんさんと私、考え方は違っても、結果としてたぶん同じようなことを考えていると思います。そんなことないですか?^^; もしかしたら、私の説明が下手でたっつんさんからは全然違うようにみえているかもしれませんが、私からはこの1点のみが違うだけでほかは同じだと思います。


>母親に「ごはんよ~」と呼ばれて「今行くよ~」の返事のときも、自分の気持ちに視点を置くのならI'm going.と言えるということでしょうか?
 
●結論から言って、NO でしょう。


まったく同意見です!それに、説明いただいたこともよくわかります。

私:「相手のところに移動する場合はcome。よってこの場合はcome」
たっつんさん:「通例としてcome」

という結果に至る過程は違うとしても、結果として同じcomeにいきついているので、私的にはまったく問題ありません^^

提示していただいた、家の中でgoを使う場合においても

私:「自分のところ、相手のところに移動する以外の移動はgo」
(台所は、自分のいる場所でも相手の場所でもない第3の場所)
たっつんさん:「goのスケール感」

という違いがあるにしても、それはそれぞれの受け取り方で、いいと思うんです。そこまですり合わせる必要はない、と私は思います。たっつんさんのおっしゃるスケール感というのは、私にとって「第3の場所」ということです。

ツイッターの事例もありがとうございます。
はい、come there、あると思います。そこに疑問はありません。


残念ながら、紹介していただいたyoutubeの例は、私がほしいと思っている例とは違うようです。この歌は(念のため歌詞もみましたが)、恋人にふられて、恋人を忘れるために、「恋人とは別の場所に」パーティーにいってやる!みたいな歌でした。

私の知りたいのは、(しつこいですが^^;)
相手のところに行く場合にgoと言えるかどうか、です。

パーティーの主催者に対して、あるいは、今そのパーティー会場にいる人に向かって、自分の気持ち次第でI'll go だの I'm going と言えるのかということです。

たっつんさんは言えるというお立場なのはわかりました。

その例が欲しいのです。


ちなみに、私にとってはすごく不思議なのですが、

友人にうちのパーティーに来る?ときかれて
いくよ、とか、いかないよ、というのと、

お母さんにごはんに呼ばれて
いくよ、とか、いかないよ、というのと、

どこが違うのですか?

私にとってはどちらも「相手のところに移動するはcome」でおなじなのですが、
たっつんさんにとってはパーティーのほうはgoもありえる、で、ごはんは、comeが通例でgoはない、のですよね?

2012年
09月11日
13:23
さん

21: さん

辞書をあれこれ見てきました!

(私、たっつんさんが紹介してくださった辞書の説明で▼の部分はたっつんさんが私への説明の為に付け加えてくださったのかと思っていましたが、違いましたね。あれはあのままああやって辞書に載っているんですね。勘違い、失礼しました)

ほんとだ、どれも「慣用」とか「のことが多い」とか書いてありますね。
説明全部はとても長いので、関係ありそうなところだけ抜き出すと、

【研究社 新英和中辞典】
★【用法】 go は出発点を中心に考えるが,come は第 1 に話し手のほうにだれかが移動してくる時に用い,第 2 に相手を中心にして相手の思う場所へ移動する時にも用いる; その時,日本語では「行く」になる


特になにもなし^^;


【小学館 eプログレッシブ英和中辞典】

(▼話し相手[目的地]に視点がある)
(▼話し手は病院関係者,相手は病人の見舞い客)
(▼I'm going. は「外出します」
(▼相手が中にいるときはgo inとはいえない)



この説明は辞書の説明としては私は好きではありません。たっつんさんが個人的に私に説明してくださってるならこれで十分だと思いますが、辞書の説明としてこれはどうなんでしょう?

I'm going.は外出します、だなんて、限定しすぎじゃないですか?説明が短すぎるというか。I'm going.は外出するときにも使えますが、それだけではない。台所に行ってなにか持ってきてと頼まれて、「遅いわね、まだなの?」とか言われたときも、こう言えますよね?

病院関係者うんぬんの説明も、もちろんその場合もそう言えるでしょうが、その他にもこの文が言えるシチュエーションはいろいろ考えられると思います。

なんか、うーん、間違ったことは書いてないけど、この説明があるために余計に誤解を与えそうな、そんな説明のような気がします。


【三省堂 新グローバル英和辞典】

[2]【相手の居る所へ】(相手の居る方へ)行く, 伺う, 参上する.

I'm coming now.
(呼ばれて)はい, ただ今参り[行き]ます([語法] I'm going. と言わず, 相手の立場に立って「あなたの所へ来る」と言うのが英語の慣用).



この説明もどうかと思います。相手のところに移動する例文がI'm coming now.だけで、それは「英語の慣用」と書いてあります。これでは読んだ人が「そうか、”呼ばれていく”のみが、comeの、相手の方に行くという使い方でそれは特別なことなんだ」と思っても不思議ではありません。come動詞自体にに「相手のところに移動する」という意味があるのであって、I'm coming.だけが特別なわけではないと思います。…ですよね??


【大修館書店 ジーニアス英和大辞典】

*"Come downstairs. Dinner's ready." "I'm coming."
下へ降りておいで、夕食ですよ。 今行きます。
(この場合、I'm going.とは言わない)
*Come to my office.
私のオフィスにきなさい(そこで待っていますから)
(Go to my office.は話し手がオフィス以外の地から聞き手に指令)
*Are you coming to the meeting?
あなたは会にいらっしゃいますか?
(これは会が話し手の家で開かれるか、話し手も会に行くことを決めている場合:goingを用いるとこのような含みはない)
*I'll come to the party.
パーティーに出席します。(聞き手の主催するまたは出席予定のパーティーについていう発話で、goでは関係のない相手に述べていることになる。 


比較的例文が多く、説明も詳しい辞書です。辞書の例文の説明としてはこれ以上はくどいというか、私はこれくらい書いてもらってあれば嬉しいです。ヘンに限定してないし。

でもこれを読んだだけでは「何がどうなのかさっぱりわからないなー。なんかややこしい話なんだな」という印象のみが残る人も多いと思います。

難しいですね、辞書の説明って。あれもこれもと説明すると焦点がぼやけるし、それで困った経験のある人には「これがコアイメージです。これだけ覚えておけば安心です」と言われたほうがいいんでしょうね。

でも自分のもっているイメージを言葉で他人に正確に説明するのってすごく難しいことだと思うので…同じことを聞いていても人によって受け取り方が違うというのはよくあることで…イメージを使って説明するのも、いいことももちろんたくさんありますが、難しい面もやはりあると思います。


【研究社 ルミナス英和辞典】
go が話し手を中心に考えて「自分が…の方へ行く」という意味であるのに対して, この用法の come は中心を相手に置き—相手に対して親しみや敬意を持っているときが多い—「自分が相手の方へ行く」という意味を表わす. 従って come が日本語の「行く」に相当することもある.


この説明だと完全に「相手に対して親しみや敬意を持ってないときにはgoとも言える」という解釈が成り立ちますよね。みかぴょんの説明にもあったように、ありえないくらい激怒したとき、相手に親しみや敬意を一切持っていないとき、そういう場合は、I'm going to you!とか、言えるんでしょうか??相手にそこまでの敵意を持っている状態が、一般的に少ないから、そういう文が少ないというだけで??

何度も書いてますが、私は今のところ、自分では「それはない」というルールを自分の中に持っていますが、それを絶対的なものだと思っているわけではないので、その例があれば、喜んでそのルールを捨てます。ただ残念なことにその例を私が納得する形で示されたことがないだけです。

うーーん…でも、「基本的に、come toward,  go away と考えるとよい」とよく聞きますが、
go awayなのに、youに近づく、って…できるんだろうか???

2012年
09月11日
15:12
さん

22: さん

「I'm going to you」でgoogle検索するとたくさん出るのは出るんですが、

もちろん、非ネイティブが間違って使っているということも考えられますし、
「I'm going to youかI'm coming to youのどちらがいいですか?」だったり、
どれが参考になる文なのか、うまく見つけられないんです。

今少しみたところでは、
Barcelona, I'm going to you!
http://es.memegenerator.net/instance/20326337
I'm going to you, USA!
http://bahbka07.livejournal.com/
Jamaica, I'm going to you!
"Join our community! Jamaica I'm going to you! Posted February 16th, 2012 - 11:33 pm from Montevideo, Uruguay. This member has chosen to allow only ..."
という表現がありました。

こういうのはどうなんでしょうね?

「敬意をもっていないからgo」というわけではないようですし、「自分を中心に考えているからgo」なんでしょうか?それともこの表現自体が誤ったものなんでしょうか??

2012年
09月11日
19:38
aki-euさん

Come here./Come there.の問題ですが、
命令文の時の考えです。
時制が違っている場合など他の場合にはもちろんthereを使うことも考えられます。
例,He said to me "Come here".
→He told me to come there .(話法の書き換えです。)

>「敬意をもっていないからgo」というわけではないようですし、「自分を中心に考えているからgo」なんでしょうか?それともこの表現自体が誤ったものなんでしょうか??
Jamaica, I'm going to you!
これらのyouは「あなた」ではなく「一般の人」ではないでしょうか?
上の例の場合、「ジャマイカ人よ、今ジャマイカに行くよ!」みたいな感じになると思うのですがどうでしょう?

「comeに敬意がある」と言うのは僕はわかります。
自分の視線で見れば、
goを使うところを相手の目線に立ってcomeを使うことで「相手を立てる表現」であると
感じるためです。

>この説明だと完全に「相手に対して親しみや敬意を持ってないときにはgoとも言える」という解釈が成り立ちますよね。みかぴょんの説明にもあったように、ありえないくらい激怒したとき、相手に親しみや敬意を一切持っていないとき、そういう場合は、I'm going to you!とか、言えるんでしょうか??相手にそこまでの敵意を持っている状態が、一般的に少ないから、そういう文が少ないというだけで??

これは感覚の問題かもしれませんが、僕は違うと思います。
この場合のcomeが相手を立てる表現だと思うので、
日本語で言うと敬語に当たると考えます。
親しみや敬意を初めて出会った人には持っていないと考えます。
そのような人に対しても日本人は敬語を使うと思います。
英語圏でも同じ感覚があると考えるため「親しみや敬意を持っていないときにはgoも使える」は違うと考えます。(日本人だからでしょうか)

2012年
09月11日
20:56
さん

24: さん

>>23 aki-euさん

> これらのyouは「あなた」ではなく「一般の人」ではないでしょうか?
> 上の例の場合、「ジャマイカ人よ、今ジャマイカに行くよ!」みたいな感じになると思うのですがどうでしょう?

どうなんでしょうね。私はyou=国、場所かと思いました。「ジャマイカ人よ!」だと「Jamaican!」とならないのかなぁ?
えーと…ということは、つまり、この英文は正しい英文だということでいいのでしょうか?
みたところ3つとも非ネイティブが書いた(あるいは非ネイティブっぽく書かれた)文のようですので、そこが気になっていたのですが…。


> この場合のcomeが相手を立てる表現だと思うので、
> 日本語で言うと敬語に当たると考えます。

comeは敬語ですか??
初めてあった人には敬語を使うから、そういう人にはcomeを使う、という分類のしかたですか?
とすると、初めてあった人ではない人、例えば、敬語を使わないような気の置けない友人にはcomeは使わないということでしょうか??

敬語ということは、敬語を使わないシンプルな形というのもあるはずで、その場合は、comeは使わない(goを使う)ということですか??



aki-euさんのおっしゃっている
「初めてあった人には親しみや敬意を持っていないがcomeを使う」
というのと、私の書いた
「親しみや敬意をもっていないときにはgoも使える」は
同時に成り立ち得ることなので、「だから違うと考えます」というのは、ちょっとわかりません。

例えば、
「初めてあった人には親しみや敬意を持っていないがcomeを使う」
「親しみや敬意をもっていないときにはgoしか使えない」
のペアだとか、
「初めてあった人には親しみや敬意を持っていないが敬語表現として必ずcomeを使う」
「親しみや敬意をもっていないときにはgoも使える」
のペアだと、二つが同時に成立しないので、一方を正しいと思えばもう一方はおかしいと思うのはわかります。

うーん、あと、「敬意を持っていない人に敬語を使う」というのもよくわかりません、
敬意を持っているから敬語を使うのではないですか?
「初めて会った人には親しみは持っていないかもしれないが、敬意を払うべきで、だから敬語を使う」ならわかります。

ごめんなさい、この部分、どこか一番のポイントなのがよくわかりません冷や汗あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

「comeには敬意も含まれると私は考える」ということでしょうか?そこがポイント??
もしそうなら、それには反対ではないです。

2012年
09月11日
21:41
aki-euさん

>>24 marukoさん

表現が悪くてすみません。

>「comeには敬意も含まれると私は考える」ということでしょうか?そこがポイント??
一番言いたかったことはこのことです。

comeが敬語と言うのはおかしいかもしれませんね。
相手に敬意を払って、自分ではなく相手の目線で考えるときに使われる表現と言った方がいいでしょうか。

2012年
09月11日
21:57
aki-euさん

連続ですみません。

検索してみると、次のようなサイトが検索できました。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2009/08/31/crown...
ドイツの語の説明を行っているサイトですが、
「ドイツ語のkommen(come)は随意的ではなく義務的である。聞き手へ近づく動きであってもあまり敬意を表現したくない場合には gehen(go) のままでいいはずなのだが、実際にはそれは不可能である。」と
書かれています。
英語も同様に視点の移動が必ず行われる必要があると言うことではないのでしょうか?

敬意を含む場合が多いって言うのはもしかすると理解するための一つの方法で、
実は必ず相手がいる場合には視点の移動をしなければならないのかもしれません。
http://www.alc.co.jp/eng/grammar/faq/05_01.html

Come here:親が子供に言うように「上から目線」のニュアンスがある。
(参考:Hello毎日かあさん英会話DVDブック)
Supper is ready.これもふつうは母親が子供に対して言う言葉ですよね。
これらに対してI'm coming.ということから敬意表現であると感じたのかもしれません。

2012年
09月12日
02:15
たっつんさん

21,22,23 maruko さん

>残念ながら、紹介していただいたyoutubeの例は、私がほしいと思っている例とは違うようです。この歌は(念のため歌詞もみましたが)、恋人にふられて、恋人を忘れるために、「恋人とは別の場所に」パーティーにいってやる!みたいな歌でした。

●歌詞の内容というよりも、タイトルが I'm gonna party like a ... だったので、これで一応事例になると思いました。

****************************************

>私の知りたいのは、(しつこいですが^^;)
相手のところに行く場合にgoと言えるかどうか、です。
パーティーの主催者に対して、あるいは、今そのパーティー会場にいる人に向かって、自分の気持ち次第でI'll go だの I'm going と言えるのかということです。

●今回のテーマからはそれますが、I'll go と I'm going to go、I'm going、I go ではニュアンスが違います。特にI'll go と他三つの区別は必要です。I'll go だと、「行くと思うけど、行かないこともある。」というニュアンスになります。

****************************************
>友人に「うちのパーティーに来る?」ときかれて、「いくよ」とか「いかないよ」というのと、お母さんにごはんに呼ばれて「いくよ」とか「いかないよ」というのと、どこが違うのですか?

●厳密には、私は「go のスケール感」というより、英語のそれぞれの言葉と日常的なシーンとの関係性であったり、場面に応じたそれぞれの言葉の持つニュアンス、スケール感ということについて述べたつもりでした。ただ今回の例で、go が出てきただけです。

 思うに、「パーティーに来る?」と come を用いて聞かれているのだから、Yep, I do.とか、 Yeah, I'm coming<≒gonna come> to the party. と答えるのが、素直な返事だと思うのです。I'm gonna go. でも、I'm going. でも○です。ここは繰り返すようですが、視点の違いだけだと考えます。
 ただ、come に相手への敬意や親しみがあるってのは意外でした。(にわかには信じがたいですが…。ただ全般的に、英語のルーツの一つにドイツ語があるだけに、aki-euさんのドイツ語の下りは言語の広がりを感じる話でした。)

 文法的なことを言えば、学術的にどうかは知りませんが、パーティーに行く時の go は、家から家への、「街空間における点から点への移動」です。自宅をスタート地点にして go を用いて、他の点への移動を示している、という感覚ではないでしょうか。

 <お母さんにごはんに呼ばれて「いくよ」とか「いかないよ」という場合>が、go ではないのは説明した通りですが、marukoさんの言う「相手のところに行く場合の come 」という認識と、

☆辞書の解説の、この状況における I'm going が「外出する」という意味であること
☆家というような空間内で、室内等に人がいるところには go は使えない


という判断材料からして、食卓を目的地として、そこからの視点で I'm coming というのが通例だ、というのが私の回答です。繰り返しますが。

 こういうニュアンスに疑問を感じた時は、やはり和英、英英の辞書を精読するのが一番かと思います。go という単語を改めて調べるのです。go の項目を全文精読すると、その言葉の本質的な「原義」が見えてきます。
 go にはどうやら、「出かける、出発する、去る」や、「何か状態が変化、進展するようなこと」等の状況に使われるらしいです。go と come はある種、表裏一体の words なので、似たような機能もあるのですが、「出かける、出発する、去る」 というのが決定的のような気がします。

****************************************

 と、私の考える come/go は、以前に添付した概念図のままで、それを言葉を代えて回答しているのですが、似た質問が来るということは、要するに、伝わっていないということなのだと思います。
 なので、ここで少し違う視点で、come の概念を説明してみたいと思います。イメージは、前々回の絵のままです。基本的に私の回答は変わりません。


今回のテーマになっている come/go ですが、まずは簡単な問題形式的に、次の文を訳してみると、

A. I go to the station.
B. I come to the station.

はともに日本語では、
「私は駅に行く。」としても基本的には問題はなく、意図している描写は外観として同じですよね。描写しているシーンはどちらも同じ画です。

 だけど、この2つの和訳は性質が違うのです。 Aが言葉通りの直訳のままであるのに対し、Bは意訳です。Bの言葉通りの訳、つまり直訳は「私は駅に来る。」です。それを違和感のない自然な日本語に直す、つまり意訳という段階をもうひとつ経ることで、「私は駅に行く/向かう。」となるわけですよね。

 日本語の場合、私以外の you や he/she、they、その他の物事がこちらに来ることはあっても、「私」が「来る」ことはないですよね。なぜだと思いますか?


次に、下のかっこにあてはまる言葉を全部挙げてみてください。

C. ( ) go[es] to the station.
D. ( ) come[s] to the station.

 ここに入る言葉としては、主語に成り得るものなら一通り入ることに異論はないと思います。いわゆる、I/you/he/she/they/it などの代名詞やその他人名固有名詞等です。


次に、今度は日本語で、下のかっこにあてはまる言葉を全部入れてみてください。

E. (   )は(/が)駅に行く。
F. (   )は(/が)駅に来る。

 先ほどと同様、英語でやったように、私/あなた/彼/彼女/彼ら/それ/人名 を一通り入れてみます。すると、F に「私」を入れた以外は違和感なく文を完成させることができます。

 なぜ、英語では「私」が主語にきて「来る」という原義の動詞、つまり述語 come が続くことができるのに、日本語では「私」が「来る」ことはできないのでしょうか?

 aki-euさんが参考に持ち出したドイツ語のこぼれ話にも、関連してくる話だと思いますが、「視点の移動」というのは、どうやらヨーロッパ言語のルーツであるゲルマン系言語とラテン系言語に存在しており、その系譜を現代英語も受け継いでいるのではないかと、私は考えます。
 言語学(≠語学)を学ぶと、その言葉を使用する地域、国の思想背景が見えてきます。それは文法や構文という身近なものにも、その影響が感じられるものです。

 英語が育った環境というのは、周知のようにヨーロッパ全土です。しかもゲルマン系とラテン系の2大言語の系譜を混合した hybrid language です。そこには、ヨーロッパの基本的な土壌としてよく知られている、いわゆる西洋哲学等に代表される論理的な思想背景を有するものです。

 identity という言葉を明治の文明開化の号令とともに日本語として訳したものを日本人に紹介した福沢諭吉、夏目漱石らは、まずその identity なる概念が日本語に存在しないことに苦悩したと聞きます。言葉が存在しない、ということは概念、つまりそういった考え、思想も存在しなかったことを意味しています。

 identity は、日本語では自己同一性と訳されています。
 意味としては、自分が思う「自分(あるいは自我)」と、他人が思う「私」つまり「自分(あるいは自我)」という2者の存在を前提として、それらが一致していること、として問題はないかと思います。
 しかし当時の日本人には、もうひとりの、他者の中を生きる「自分」、言い換えれば「他者から見た自分」、という存在を理解することは困難だったと思います。自分はここにいる以外どこにもいないはずだからです。

 こういったことは先ほども述べたように、その地域の言語、つまり日本語そして英語にも繁栄される訳です。否、言語学的には「言語が思想を支配している」と言うべきでしょう。

 先ほどの問いに戻ります。
 改めて…なぜ、英語では「私」が主語にきて「来る」という原義の動詞、つまり述語 come が続くことができるのに、日本語では「私」が「来る」ことはできないのでしょうか?

 それは、日本語が「私」を中心とした世界観、あるいはその世界の描写をすることを思想背景とする言語ゆえに、「私」が「来る」ことはない、と私は考えるのです。
 一方、自己を客体化して世界を描写することを可能とするヨーロッパの言語である英語は、'I come to the station.'、つまり、「私は駅に来る。」という描写が可能なのです。
 
 英語においては「『来る』ものは 'come'」として間違いはないかと思います。それが come の原義だと思うので。 主語がたとえ「私」という存在であっても「客体」と見なし、「自分ではない他の視点から私を見て描写する」ことが可能なのは、こういった思想背景があるからだと考えます。いわゆる「メタ思考(思考を越えたところの領域、範囲、くらいの感じ)」的なものです。
 私が今回の議論で述べているのは、この一点です。


 余談ですが、
 An airplane takes OFF. (飛行機が離陸する。)

 という英文は、中高生や英語を習いたての日本人には、違和感を感じるものです。OFF という語感が日本語でいうところの語感と合わないからです。日本語の感覚だと UP じゃないのか、という話になります。
 日本語の観点で見た場合、off ではなくて up にしたくなる感覚はわかります。理由は上記の通りです。
 off である理由としては、重力を有する地球を中心に捉え、そこから引き離すというニュアンスから off になる、ということです(自動詞ですが)。ここでも主語である「飛行機」は主語でありつつも、どこか客体として捉えられています。

 この英文の背景としては哲学というよりも、キリスト教文化を背景としている色が強いので、厳密には、事例として持ち出すのは筋違いです。ただ、この OFF を UP としてしまいたくなる日本語と英語の感覚のGAPは、今回の事例とよく似ているので、持ち出してみました。

 以上です。

2012年
09月12日
13:14
さん

28: さん

>>26 aki-euさん

おお!ドイツ語のkommenの話、興味深いです!
よくこんなの見つけられましたね!すごい~!

>敬意を含む場合が多いって言うのはもしかすると理解するための一つの方法で、

これ!私も今そう思っています!

「起こっている現象を説明しようとして、わかりやすい説明を試みた結果、この説明が出てきた」というふうに。

>実は必ず相手がいる場合には視点の移動をしなければならないのかもしれません。

おお!それは、考え方は違いますが、そこから至った先の考えは私と同じです!わーい(^^)/


ここでのやりとりをきっかけに今回あらためてまた自分でもあれこれ考えて、あちこちで聞いて、
昨日夜、なんか、「ひらめいた!」ような気がしました^^

もちろん、とんちんかんなこと思いついちゃっただけかもしれませんが、そう考えるといろんなことにうまく説明ができるなと思ったことがあります。

長くなるので、また夜にでも書けたら書きます。

2012年
09月12日
13:28
さん

29: さん

>>27 たっつんさん

いつも丁寧なお返事をありがとうございます。

同じようなことばかり繰り返して、どうしてこんなにわかりが悪いのかと、
いら立ったお返事でもおかしくないのに、いつも丁寧にわかりやすく書いていただいて
本当に感謝です。ありがとうございます。

たっつんさんと私は、(そこに至る過程は違えども)同じようなことを考えているのかと思いましたが、やはり違うのですね。たっつんさんのyoutubeの件に関するお答えでそう思いました。

かねがね、comeの「相手の位置に移動する」用法について、どうして「気持ち」だの「視点」だのという説明がくるのかわからず、長年の疑問だったのですが、昨日の夜、いい説明を思いつきました!

といってもただの私の妄想レベルの話ですが^^;

長くなるので、また夜にでも書かせていただきます。

あ、なんかヘンにもったいぶるみたいな書き方になっちゃいましたね^^;

えーと、「視点の移動」や「相手を敬う気持ち」は、comeを日本語でわかりやすく説明しようとした結果でてきた説明、なのだと考えました。英語の先生たちはこのほうがわかりやすいと思ったんだろうな、と。その結果、無用な混乱を引き起こしているように私には思えます。

もちろん、言葉ですから、例外もあるでしょうし、移り変わりや方言や、その他いろいろあるとは思いますが、やっぱりcomeとgoの大原則は「自分か相手に移動する場合はcome、それ以外の第3の場所に移動する場合はgo」これにつきると思います。敬う気持ちなど関係ありません。

と、私は今考えています。

2012年
09月12日
21:20
さん

30: さん

夜になりました(^^)/

えー、私はこのように考えて、全てのつじつまが合うように思いました。
私の勝手な妄想です^^;

英語の先生たちが英語を知らない日本人のみんなに英語を教えるのに
dog = 犬、 apple = りんごというような、単語を1対1で説明するやり方では
comeとgoについての説明がうまくできないと悩む。

「→1」のcomeは「来る」と同じなので問題なし。

「→2」のcomeは「来る」では説明できないが、「go」と混乱するから、「行く」とも説明できない。

そうだ!「→2」のときは相手に視点が移ると説明すればどうだろう。自分の中の意識が抜けだして相手の方向から自分を見ていると考えれば日本語の「来る」でうまく説明できる!その上、自分の意識は本来自分の場所にあるものなので、「→1」とも矛盾が起きない!そして、goの場合も、「常に自分のところに意識がある」と説明すればよいのですから、矛盾がおきない!


みんなに「comeは、自分のところに移動するときと相手のところに移動するときに使いますが、みなさんは相手のところに移動するのにcome?と不思議に思われるかもしれません。こう考えてください、そのときは相手に自分の視点が移動しているのだと。そうすれば自分に近づいてくるのがcomeだとおわかりいただけるでしょう」と説明する。

みんなは、なるほど、視点の移動があるのかと思う。

しかし、「相手のところに移動するときだけ視点の移動を伴う」という説明だけでは不十分かもしれないな、と先生は感じる。なぜなら、その他の場合には視点の移動は伴わないのに、その場合だけ唐突に(?)「視点が移動したと考えなければならない」から。

なぜ「→2」のときにだけ視点の移動が起こるのかを説明しないと、ちょっと説明不足かもしれないなー。と悩む。

そうだ!それは「相手を敬う気持ちがある」と説明したらどうだろう。相手に親しみをもったり敬意をもったりしているからこそ、視点の移動が起こるのだ。相手を思いやる心があるからこそ、相手の立場から自分を見るという説明をすれば、みんな納得してくれるだろう。

「comeのときに相手に視点が移るのは相手に親しみをもったり、敬意をもっているという表れです」

というわけです。

これは全て「come と go を日本語の 来る と 行く で説明しようとした結果」だと思います。
comeをむりやり「来る」にあてはめなければ、「視点を移動する」「相手を敬う」などと考える必要はありません。


よくcome とgo について迷ったら「come toward, go away」それだけを覚えておいて、いつもそこに戻ればいい、なんて話があるますが、
それを、come=来る、 toward=~の方へだから、向かって"くる"んだな、
go= 行く、away =離れて だから離れて"いく"んだな、
と思っていては間違うと思います。

英語のcomeには、その動詞自体の意味として、相手のところに移動するという意味もあるからです。(これはどの英和辞書にも「自分のところに移動する」の次の意味として必ず書いてあります)

えーと、まとめますと、私は、
comeについての「視点の移動」は、comeの根本的な意味としてあるのではなく、日本語の「来る」と合わせるための説明の一つの方法として使用されている。
と考えました。

それで、いろんな悩みがすっきり解決したので、aki-euさんや、たっつんさんとは違う考えかもしれませんが^^;、私の今のところの意見はこうです。(^^)/

たっつんさんのお考えだと、日本語が自分中心の言語で、英語が、常に自分中心ではない、自分を客体化してみられる言語なのですね。なるほど、今までそういうふうに考えたことがありませんでした。「言語が思想を支配している」というのは、あるように思います。



大変長い間(というか期間的には短かったかもしれませんが、時間をたくさんとっていただいて)、ありがとうございました。

自分の中ですっきり(^^)したので、私のcomeについてのコメントはここまでにさせていただきます。

…と思っているのですが…どうでしょうか。

妄想については、すみません、あくまで妄想として受け取ってください。^^;
ただ、視点の移動はcomeの本質的な意味ではないと私は考えています、ということです。

aki-euさんやたっつんさんや、その他の方たちと違う意見かもしれませんが、とりあえず、私は今そう考えています。

2012年
09月12日
21:49
さん

31: さん

忘れてました!
I'm going to youについての報告です。

Barcelona, I'm going to you!等の文についてですが、
昨日、日本で翻訳の仕事をしているニュージーランドの人、日本でALTとして働いているアメリカの人、インドで日本語を教えているインドの人に聞いた結果、3人とも、その文の意味はわかるが、文としてはおかしいと言いました。

その後、そのインドの人といろいろcomeとgoについて話した結果、私の中ではI'm going to youはヘンな英文だと認識することとしました。


しかし、別の日本人の方がネットで検索したら「I'm going to you how...」の文もたくさんあったよと教えてくれました。

私も検索してみたところ、彼の言ったとおり、たくさんの検索結果が示されました。

ざっと見ただけですが^^;、どれも I'm going to "show" you how to...のshowが抜けている(省略されている?)ように見えました。

その場合、このI'm going toは移動の意味ではなく、willと似た働きをもつ、be going toの意味だと思いました。


しかし、自分に自信がなかったので、Englishforum.comに質問を書いてみました。

・I'm going to you, X はおかしい。彼らがネイティブスピーカーなのか疑問に思う。
・I'm going to you how toで、思いつけるのはI'm going to show you how toだけだが
その場合、come vs goのgoとは違って、未来を意味する going toだ。

というコメントがつき、それに賛同する票が1票入っていました。

ので、私もその考えでいこうと思っています。

goのほうに書いた方が?とも思いましたが、今までの流れの中で出たことなので、
こちらのほうに報告させていただきます。

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