動詞12 Come
come
The letter K comes before the letter L in the alphabet
come のコアは「視点が置かれているところに移動する」ということです。この場面ではアルファベットが一つ一つ順番に立ち現れてくる状況を想像してください。ここでの視点は文字が現れる場所(見ている人の関心がおかれている場所)になります。before は順番で「~の前に」ということで、The letter K comes before the letter L で「KはLの前に来ます」ということです。また、in the alphabet は「アルファベットで」と日本語ではなりますが、英語的には「アルファベットの配列の中で」ということで、やはり空間的なin のコアが生きていますね。
The girl is coming to her father.
come のコアは「視点のあるところに移動する」ということで、この写真では「父親」が視点の置かれているところになります。論文の進み具合を尋ねるのに、 How’s your paper going along? とHow’s your paper coming along? の両方が可能です。go だと論文が終わるのにだいぶかかりそうだ、come だと論文の終わりが近いといった前提があります。開始の時点に視点を置くか、終了の時点に視点を置くかの違いです。
The railroad track comes to at end.
「視点が置かれているところに移動する」というのがcomeのコアです。この写真では線路上を移動するということが前提となり、線路が行き止まりになる箇所の視点から表現しているためcome to an end となっております。この線路を進んでいけば行き止まりになるという状況であれば、The railroad track goes to an end. となります。視点の違いに注目しましょう。
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08月21日
12:32
1: mikapyonさん
The luxury passenger ship came into Kobe port following a boat which was blowing up water like a fountain.
その豪華客船は噴水のように水を吹き上げているボートのあとから神戸港に入ってきました。
The parade of athletes who won prize of the Olympic games come through the Ginza street.
オリンピックで賞をとったアスリートたちが銀座通りをやってきた。
09月06日
18:00
2: さん
この「視点のあるところ」っていう説明は、わかりやすいようで、やっぱりわからないよ~。
I came to the station.
は駅に視点があって、
I went to the station.
っていうときは、駅に視点がないってこと?
駅に視点がないのなら、どこを向いてるってことになるの?
「視点」ってなんのことを言ってるの?
09月06日
23:06
3: たっつんさん
I went to the station. は、ある種、主観的な視点で描写されていると考えます。自分から見た駅への視点です。スタート地点を意識している、とでも言いましょうか。記号で表すなら「自分→駅」でしょう。
I came to the station. は、駅から見た自分に対する視点でしょう。ゴール地点から見た描写かと。ただ、あくまで「駅←自分」という方向性は変わらない、ということでしょう。
しかしながら I came to the station. と単独ではあまり言わないのかな、という感じがします。
A stranger-looking man asked me the way to the station when I was also coming there, so I showed him/her the way.
とか? いや、厳密に正しいかはわかりませんが。
go と come は辞書を見ると、その動詞を入れ替えただけのフレーズがたくさんあります。これは視点の捉え方を変えた表現だということを表していると思います。
The railroad track comes/goes to at end.
これが、come と go の両方の言い方ができる、というのがいい事例だと思います。
09月07日
18:04
4: さん
>>3 たっつんさん
解説ありがとうございます。
例えば、ずっと駅に行きたかったけど実現できてなかった、けれど今駅に来ることができた、とか、ずっと駅をめざして旅をしていたけれど、いろんな邪魔が入ってなかなか思うように進めなかったのが、今やっと着いた、というようなときには、Finally, I came to the station! とかはヘンでしょうか?
視点と言うとわからなくなるのですが、自分のいる場所と言い換えてもいいでしょうか?
The railroad track comes to an end.だと、話者はan endあたりにいる。
The railroad track goes to an end.だと、話者はan endにはいない。(おそらくその反対側にいる)
ということで?
ああ、実際にそこにいる必要はなく、イメージとして、そこにいる、ということです。
みかぴょんの例文で言うと、神戸港に船が入ってきたというのは、みかぴょんが今神戸港にいるわけではなく、あたかも自分が神戸港にいるかのようなイメージで、この文を書いている、それが「視点」ということでしょうか?
> A stranger-looking asked me the way to the station when I was also coming there, so I showed him/her the way.
この文はどういう状況でしょう?話者が駅に向かっている途中?それなら今話者は駅にはいないのだから、goingなのでは??
今話者が駅にいるのなら、coming thereではなく、coming hereにならないのかなー?thereとhereも絡んでくるとまた話がややこしくなりますね^^;(私の中では話者のいる場所がhereそれ以外の場所はthereという認識です)
それとも話者が駅に視点を置いていれば(これの意味がわかっていませんが^^;)coming thereでもいいのかな?
えーと、この「視点のあるところに移動する」という説明で、聞き手のところに移動するという意味のI'm coming. はうまく説明できているのでしょうか?
聞き手のところに視点があるということでしょうか?とすると、(goのほうにも同じことを書いたのですが)、聞き手のところに視点をおかずにいうことも可能ですか?I'm going.のように?
ごめんなさい、まだわかっていません。わからないことだらけで、疑問だらけですみません。
(たっつんさんを質問攻めにしたいわけではないです)
またもしお時間あれば解説いただけると嬉しいです。
09月07日
20:17
5: aki-euさん
>>4 marukoさん
横からすみません。
視点が置かれている場所って、
僕は指定された(した)場所だと思います。
(特に条件がない場合主語のいる場所)
例えば,I'm coming.ですが、
この文が使われるのは、
Supper is ready. I'm coming.という感じですよね。
Supper is ready.には「ご飯ができたから、食べに来てね」と
「ここにきて」と言う感覚があると思います。
この会話で「(ここに)来てね」と場所が示されているので、
そこに向かう→come
そこから離れる→goだと思います。
>視点と言うとわからなくなるのですが、自分のいる場所と言い換えてもいいでしょうか?
>The railroad track comes to an end.だと、話者はan endあたりにいる。
>The railroad track goes to an end.だと、話者はan endにはいない。(おそらくその反対側>にいる)ということで?
これは言えないと思います。
toは向き合う関係から何かと向き合うような状況を作るという
解釈をされる傾向があるようです。
ex:She goes to school at 8 o'clock.は家を出るのではなく学校に着くのが8時
このことからcome to an endでもgo to an endでもan endに向き合っている。
→an endに到達していると考えられる傾向があると考えます。
特に場所が指定されていない場合
例えばcome and goのようなものですが、
自分のところにやってきたり、離れていったりすると
考えます。
09月07日
23:44
6: たっつんさん
> A stranger-looking asked me the way to the station when I was also coming there, so I showed him/her the way.
この文はどういう状況でしょう?
たしかに、coming は強引な文だったかもしれません。going の方が自然だと思いました。(下の引用文を見ると、あながち外れていないような気もしますが。)
Finally, I came to the station. は、「ついに、駅に到着した!」って感じが出てて、個人的には自然な感じがします。come to 場所 で、場所に到着する、ってことらしいので。
I'm going は 「外出する」ということになるそうです。
以下、辞書からの引用です。
****************************************
① (話し手のいる所話し手が行く予定の所へ)来る, やって来る, 行く;(…に)着く, 到着する⦅in/into ...⦆
We came to London from Rome.
ローマからロンドンに来た
② (相手のいる所・相手が行く予定の所へ)行く, 参る⦅to ...⦆
May I come to your party?
君たちのパーティーへ行ってもいいかい
(▼話し相手[目的地]に視点がある)
I'll come to the nursing station with you.
ナースステーションまでごいっしょしましょう
(▼話し手は病院関係者, 相手は病人の見舞い客)
I'm coming.
(呼ばれた時)いま行きます
(▼I'm going. は「外出します」)
May I come in?
はいってよろしいでしょうか
(▼相手が中にいるときはgo inとはいえない)
Are you coming to the dance tomorrow?
あすのダンスパーティーにはいらっしゃいますか.
****************************************
>視点と言うとわからなくなるのですが、自分のいる場所と言い換えてもいいでしょうか?
「自分のいる場所」だと少し語弊がでてくると思うので、「気持ち=視点」でどうでしょうか?
aki-euさんのは、二人の会話で、
Mike's: Mon: Mike! Now supper is ready!
Mike: I'm coming!
っていう会話だと思います。
09月09日
12:04
7: さん
>>5 aki-euさん
すみませんなんてとんでもない。ありがとうございます。
> (特に条件がない場合主語のいる場所)
主語のいる場所じゃなくて、話者のいる場所じゃないですか?
She comes here every morning.
とか、今どこに彼女がいるとかわからないと思うのですが…。
> 「ここにきて」と言う感覚があると思います。
> この会話で「(ここに)来てね」と場所が示されているので、
> そこに向かう→come
> そこから離れる→goだと思います。
例えば、電話で友達と話していて、
明日の10時に駅で待ち合わせようという話になった時
I'll come to the station.
となるということですか?「そこに向かう→come」?
「そこ」とはどこのことですか?
私は、例えば友達の今いる場所をA,自分の今いる場所をB,それ以外の場所(この例では駅)をCとすると、
A→B, C→B、B→Aのみがcomeで、それ以外
A→C、B→C、C→Aはgoだと思っていたのですが、どうなんでしょう??
(ですから上の例ですと、私はgoを使うと思います)
> ex:She goes to school at 8 o'clock.は家を出るのではなく学校に着くのが8時
> このことからcome to an endでもgo to an endでもan endに向き合っている。
> →an endに到達していると考えられる傾向があると考えます。
an endに向き合っていたり、到達したりしているのは主語のthe railroad trackで、
話者の(心情的な)立ち位置によってcomeかgoかが変わってくるのではないでしょうか???
09月09日
12:23
8: さん
>>6 たっつんさん
ああ!辞書からの引用ありがとうございます!
私がわからないのは2番の説明です。
> ② (相手のいる所・相手が行く予定の所へ)行く, 参る⦅to ...⦆
> May I come to your party?
> 君たちのパーティーへ行ってもいいかい
> (▼話し相手[目的地]に視点がある)
ただ単に「相手のところに行くときはcome」。
これならよくわかるんです。
で、そこに「目的地に視点がある」と言われるとわからなくなる^^;;;
じゃあ目的地に視点がないときってどんなときなんですか??と聞きたくなるんです。
たぶん日本語の問題??
目的地って目的があるから行くから「目的地」なのに、そこに視点がないってどういうこと??視点ってなんのこと?と思っちゃうんです。
試しに辞書をひいてみたところ、
1.視線の注がれるところ
2.物事を見たり考えたりする立場。観点。
とありました。私は1の意味でとらえてしまって、話が見えなくなりました。
たぶんここでみなさんがおっしゃっている「視点」の意味は2ですよね?
つまり、いいかえると、自分のいる場所。ということでいいのではないのかなー?
ただし、英語のcomeの場合は、自分のいる場所だけではなく、相手のところに行く場合にもcomeをつかう。
自分か相手のところに移動する場合はcome、そうでない第3のポイントに移動する場合はgo。
例えばあげてくださった例の
> Are you coming to the dance tomorrow?
> あすのダンスパーティーにはいらっしゃいますか.
は、パーティーの主催者かあるいは自分もパーティに参加する予定の人がいう発言で、
もし自分は参加しないパーティなら
Are you going to the dance tomorrow?
となりますよね?
だと思うのですが、それで納得していたのですが、
いやいや、人に呼ばれて相手のところに行く時でも、話者のそのときの気持ち次第で
I'm goingとも言えるんだよ
という人がいたので(日本人の方ですが、そのへんのネイティブより英語達者)、
そうなのかー?!とわからなくなったのです。
相手のところに移動する場合はI'm goingはいえない、ということでいいのでしょうか。
教えていただいた
> (▼I'm going. は「外出します」)
は、「外出する」も含め、つまり、私の場所でもなく、あなたの場所でもない、どこか別の場所に行きます、ということですよね???
09月09日
15:45
9: たっつんさん
maruko さん
字面だけでは理解しにくいだろうと思い、go と come の概念を絵にしてvisualize したので、参考にしてください。Aは例えば「今いる場所」くらいの感じで、Bは「目的地」くらいのニュアンスで認識してください。厳密に考えなくてもいいです。状況によっていろいろな設定も考えられるので、抽象的に捉えといてください。
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>じゃあ目的地に視点がないときってどんなときなんですか??と聞きたくなるんです。
たぶん日本語の問題??
目的地って目的があるから行くから「目的地」なのに、そこに視点がないってどういうこと??視点ってなんのこと?と思っちゃうんです。
●なるほど。「視点」とは必ずしも自分から見た、あるいは自分の視野だけを意味していません。他者から見た私やその他の風景、画、観点等も「視点」です。
I come to ... . というのは、その他者や目的となる場所から、客観的に自分を見ているようなニュアンスです。目的地から私を見て、「私が来る、向かってくる」というニュアンスです。
come here. というのも「自分に視点がある」と考えてもいいのでしょうけど、本質的には「ここ」という場所が目的地になっていて、その目的地から見たときに「誰かがここに来る」ことを意図しているのだと考えられませんか? come here. は命令文なので、you が省略されています。これにあえて you を加えると、You come here. です。日本語だと「あなたがここに向かってくる」ですよね。ここという目的地から見て、あなたが向かってくるという構図です。
「目的地とされる場所・イベント等について、その目的地から見た時、何かがこちらに向かってくる」という説明はどうでしょうか? かなり本質的な説明ができたと思うのですが。。
また視点という言葉がハッキリしないようですが、目的地に「視点がある」というのは、言い換えれば「〜から見た場合」という説明でどうでしょうか?
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○具体例について、回答していきたいと思います。
May I come to your party?
この場合、視点は添付した絵で言うなら B にあります。この場合の B とは「あなたたち(のパーティー)」であり、そこから見て、私は「向かってくる」あるいは「来る」存在ですよね。だから come を使用します。もちろん、私に視点、つまり私から見たパーティーへの視点、気持ちの方向性があるなら、
May I go to your party?
で、OKだと思います。この場合は絵でいうなら、視点は go の A です。
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>ただし、英語のcomeの場合は、自分のいる場所だけではなく、相手のところに行く場合にもcomeをつかう。
●この説明は「遠からず」な解説だと思います。まぁ近いとは思いますが、うまい説明だとは思いません。点数的に60点。ざっくりな説明。この文を並列させずに書くと「自分のいる場所に行く」っていう日本語が出てきます。これでは日本語の説明としておかしくなります。
この「自分のいる場所だけでなく」はおそらく、come here. にみられるような状況を指していると思われますが、この記述の仕方だと混乱する人もいるかと思います。
そもそも「来る」という日本語は、私に「視点」があり「何かが向かってくる」という意味でいいかと思います。この視点を他者(あるいは場所、イベント等)に移して、「私が向かう」という意図で使用する、つまり他者から見ると「私が向かってくる」という「画(え)」にして使うのが、I come to 場所 なのです。
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>自分か相手のところに移動する場合はcome、そうでない第3のポイントに移動する場合はgo。
●この理解だと、まだ混乱している、というのがわかります。相手のところに移動するという状況を説明する場合は go も入ってくるので正解とは言えないですね。とりあえず、この認識は忘れてもらった方が良さそうです。
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>> Are you coming to the dance tomorrow?
>> あすのダンスパーティーにはいらっしゃいますか.
は、パーティーの主催者かあるいは自分もパーティに参加する予定の人がいう発言で、
もし自分は参加しないパーティなら
Are you going to the dance tomorrow?
となりますよね?
●他者に出席するかしないかを尋ねている場面、ということでしょうけど、それでいいと思います。
例えば、Are you not coming to the party? (パーティーには来ない or 行かないの?)
と言われても、自分に気持ちの視点があるなら、
No, I'm not going. (いかないと思う。)/Yes, I'm going.(いくと思うよ。)
でもいいわけです。パーティーに気持ちをおくのであれば、
No, I'm not coming./ Yes, I'm coming.
で、いいのです。
ちなみに、この come を日本語のニュアンスで言うなら、「パーティーに出るよ。」とか「出席するよ。」ということではないでしょうか。この場合の「出る」は「パーティー会場に現れる」「顔を出す」という意味ですよね。come ってそういうニュアンスだと思います。
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>だと思うのですが、それで納得していたのですが、
いやいや、人に呼ばれて相手のところに行く時でも、話者のそのときの気持ち次第で
I'm goingとも言えるんだよ、という人がいたので(日本人の方ですが、そのへんのネイティブより英語達者)、そうなのかー?!とわからなくなったのです。
>相手のところに移動する場合はI'm goingはいえない、ということでいいのでしょうか。
●違います。
その説明してくれた方の言うところの、「話者のそのときの気持ち次第」というのは、いわゆる「視点」というもので、自分の視点に気持ちの重点を置いて話した場合、I'm going to the party. で OK ということです。
09月09日
15:56
10: mikapyonさん
>>8 marukoさん
相手があるような場面では 相手のいるところ=視点のおかれるところ という考え方でいいのではないでしょうか?
相手がないときは、話者の気持ち次第で come になったり go を使ったりする。逆に、come を選ぶのか go を選ぶのかで その話者の状態や気持ちが表現できるということだと思います。
I came to London. だと、今はロンドンにいるということを表現できるけど、
I went to London. だと、いつだかわからないけど過去にロンドンに行ったということですよね。
09月09日
19:12
11: aki-euさん
>>7 marukoさん
イメージを図示してみました。
Aは主語のいる場所、Bが目的地(到達地点)、Cが話者(主語≠話者の場合)です。
*A=Cの場合も、B=Cの場合ももちろんありますので、
必ずこの考えが適応されるわけではありません。
>主語のいる場所じゃなくて、話者のいる場所じゃないですか?
>She comes here every morning.
>とか、今どこに彼女がいるとかわからないと思うのですが…。
Aが主語(彼女)がいる場所ですね。そこからある場所Bに移動することになります。
この場合には話者がhereと言っているのでB=Cの形だと考えられます。
彼女がAからBへと移動するのをBから話者が見ているので、
comeが使われるのだと考えます。
Bから見て、彼女がAからBへ移動してくると言うことなのでcomeが使われてます。
彼女がどこにいようと、Bから見ているので問題とはならないはずです。
>例えば、電話で友達と話していて、
>明日の10時に駅で待ち合わせようという話になった時
>I'll come to the station.
>となるということですか?「そこに向かう→come」?
>「そこ」とはどこのことですか?
この場合には自分の視点からなのでどちらでもよさそうです。
ただ友達がthe stationから見ていると考えられるので、
comeを使いたいと僕は思います。
>私は、例えば友達の今いる場所をA,自分の今いる場所をB,それ以外の場所(この例では駅)をCとすると、
>A→B, C→B、B→Aのみがcomeで、それ以外
>A→C、B→C、C→Aはgoだと思っていたのですが、どうなんでしょう??
>(ですから上の例ですと、私はgoを使うと思います)
これは見方によってgo/comeが変わると思います。
comeが「(ある場所Bから見て)主語がBに向かう」と考えるといいかもしれません。
> ex:She goes to school at 8 o'clock.は家を出るのではなく学校に着くのが8時
> このことからcome to an endでもgo to an endでもan endに向き合っている。
> →an endに到達していると考えられる傾向があると考えます。
>an endに向き合っていたり、到達したりしているのは主語のthe railroad trackで、
>話者の(心情的な)立ち位置によってcomeかgoかが変わってくるのではないでしょうか???
これはその通りです。
この反例(She goes to school at 8 o'clock)は
「The railroad track comes to an end.だと、話者はan endあたりにいる。
The railroad track goes to an end.だと、話者はan endにはいない。(おそらくその反対側にいる)ということで?」
この「」内のことが成り立たないと言うことを表すために出しただけです。
-----------------------------------------------------------------------
ここからは思い付きの説明です。
come/goの使い道ですが、
Come hereは言いますがCome thereを言うことはまずないと思います。
言っている人がいる場所Bと表し、
言われている人がいる場所Aとすると、
hereはB,thereがAですね。
Comeが「指定している(視点が置かれている)場所に向かう」とすると、
hereの場合にはA→Bと移動していることになりますが、
thereの場合にはA→Aと移動していないことになるため使用されないのだと思います。
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09月09日
21:57
12: さん
>>9 たっつんさん
>>10 mikapyonさん
>>11 aki-euさん
わー!みなさん、ありがとうございます!!!
たっつんさん、aki-euさんはイラストまで描いてくださって、すごくわかりやすいです!!
なんか、もしかして、長年の疑問がとける瞬間が近づいているのかも?!とわくわくしています。もしよろしければ、引きつづきおつきあいいただけると嬉しいです^^
えーと、すみません、説明に「行く」「来る」をつかっててはわかりにくいですね。「移動する」という言葉を使うようにします。そもそも「行く・来る」とgo,comeの概念が違うから混乱しているのに、説明にそれを使うとよけいわかりにくくなりますものね。といいつつ、うっかり使ってしまいそうですが^^;…がんばります!
>>9 たっつんさん
>ただし、英語のcomeの場合は、自分のいる場所だけではなく、相手のところに行く場合にもcomeをつかう。
すみません、私のこの説明はよくなかったですね。「comeはspeakerのいる場所に移動すること、あるいはlistenerのいる場所に移動すること」と言い換えます^^;
これは私にははっきりとしてわかりやすい説明なのですが、これで混乱するのはどういうときでしょう?それとも私の日本語の書き方が悪かっただけでしょうか?上のように↑と書き直せば大丈夫でしょうか?
そして
>自分か相手のところに移動する場合はcome、そうでない第3のポイントに移動する場合はgo。
>相手のところに移動するという状況を説明する場合は go も入ってくるので正解とは言えないですね。
listenerのところに移動する状況でgoを使う場合をすぐに思い浮かべられないのですが、例えばどんなときがありますか?
>No, I'm not going. (いかないと思う。)/Yes, I'm going.(いくと思うよ。)
友人のホームパーティに参加するかどうかを、その主催する友人から聞かれたときもこう答えていいのですか?(もっとわかりやすくするなら、その友人が自宅から電話をかけて聞いてきた場合など)
その場合でも自分の気持ちに視点をおくのなら、I'm not going.と言えるということでしょうか。
母親に「ごはんよ~」と呼ばれて「今行くよ~」の返事のときも、自分の気持ちに視点を置くのならI'm going.と言えるということでしょうか?
あ、自分でも疑問点がうまく絞れていなかったのですが、わかってきました。
私が疑問なのは、なぜ「自分の気持ちうんぬん」という説明が出てくるかということです。
それはどこから出てきたものなのですか?
以前に教えていただいた辞書の説明にも
(話し手のいる所話し手が行く予定の所へ)
(相手のいる所・相手が行く予定の所へ)
という説明があるだけなのに(▼はたっつんさんが追加されたものですよね?)
なぜ「視点」とか「気持ち」とかいう話が…それがどこから出てくるのか、わかりません。
(日本語でそう説明されているサイトがたくさんあるのは知っています)
「difference come go」でgoogle検索すると、たくさんの説明がでてきますが、
http://www.bbc.co.uk/worldservice/learningenglish/youmeus...
http://esl.about.com/od/vocabularyintermediate/ss/confusi...
等、もちろん全てを読み比べたわけではありませんが、
comeはspeakerあるいはlistener(hearer)の位置に移動すること
goはspeakerあるいはlistener(hearer)の位置から他に移動すること
という説明が多いように思います。
前にこのことでlang8で質問したときも、今回のように何度もしつこく効いたのですが^^;
どのネイティブの人も(いろんな国の)、speakerやlistenerの場所という言葉を使っていて
自分の気持ちや視点などという説明をした人は1人もいませんでした。
(まあこれはたまたまかもしれませんし、もちろんネイティブが絶対正しいというつもりはないですが)
「視点」や「気持ち」というのは、辞書では説明しきれないニュアンスを説明している言葉なのだろうと思いますが、本当にその説明は合ってるの?という疑問もあります。
そこで、また最初の質問に戻りますが、たぶん
>相手のところに移動するという状況を説明する場合は go も入ってくるので
>自分の視点に気持ちの重点を置いて話した場合、I'm going to the party. で OK ということです。
これの例を示していただければ納得できるのです。
すぐには見つからないかもしれませんが、もし見つかった時には教えてください!!
09月09日
22:12
13: さん
>>10 mikapyonさん
お騒がせしてすみません^^;;;;
>相手がないときは、話者の気持ち次第で come になったり go を使ったりする。
わかりますー。わかりますが、気持ち次第でどちらでも使えるというのは、ちょっと納得できないんです。speakerのところに移動、listenerのところに移動、のときにgoを使ってる文ってありますか?
09月09日
22:25
14: さん
>>11 aki-euさん
>She comes here every morning.
すみません、これは私の出した文が悪かったですね。hereがあるので、B=Cとなってしまいました。
>Bから見て、彼女がAからBへ移動してくると言うことなのでcomeが使われてます。
これはspeakerのところに移動するということですよね。
aki-euさんの説明に従うと、B≠Cのときも、Bのところに視点をおけば、AがBに移動するときcomeは使えるということですよね?そういうときにcomeを使っているのを知らないので、見つけたらぜひ教えてください!
駅での待ち合わせの話ですと、
>ただ友達がthe stationから見ていると考えられるので、
>comeを使いたいと僕は思います。
これはlistenerのところに移動する場合はcome、ということのに当てはまると思います。
命令文のCome here. とCome there.の説明ありがとうございます。
納得です!大賛成です!
昔lang8で聞いた話を思い出しました。
I'm coming here now.と言えるかどうかと尋ねたんです。
I'm comingということは目的地にはまだ到達していない、なのにhereと言えるか?
そう言える状況はあるか?
例えば地図上のある部分を指さして、「私はこの場所に向かっている」という意味で
I'm coming here now. と言えるのか?
「私なら、I am going there now. あるいは I am going here next. という」というコメントがつきました。
I'm coming here.が使える状況としては、自分がいまその場所にいる状態で、
I am coming here next week.
なら言えるだろうということでした。
もう一人コメントをくれた人も「前の人に賛成。私が思いつける I'm coming here.が使える状況は未来のある時点でその場所に戻ってくるときだけだ」と書いていました。
なるほどそういうときには使えるか、と大納得でしたので、今もよく覚えています。
(と書きたかったところですが、aki-euさんの書いてくださった例を読んで、そういえば…と思い出したのが、本当のところです^^;)
09月10日
08:13
15: さん
うーー。なんかわからないポイントがわからなくなってきました。
自分なりにまとめてみました。
1人称の位置(speakerの位置)を1
2人称の位置(listenerの位置)を2
3人称の位置(speakerの位置でもlistenerの位置でもないところ)を3
として、仮に
「1と2のところに移動するときはcome、そうでないときはgo」を適用すると
1→1 come
1→2 come
1→3 go
2→1 come
2→2 come
2→3 go
3→1 come
3→2 come
3→3 気持ちによる(?)
となりますが…
気持ちや視点でかわるという説明だと、この全てのケースで「気持ちによる」ということですよね?それとも1→1等の場合は「視点や気持ちが必ず1の位置にあるのは自明」ということなのでしょうか????
私がわかっていないのは…いくつもありますが^^;、例えば、3→2の場合で、日本語的に考えると「あなたのところに"行く"」となると思いますが、それを「2のところに移動するときはcome」ルールだと、comeになるので、ふーん?そういうものなのかなー?という納得できない感(日本語と違う感)があって…それって必ずcomeなんでしょうか???そこで「気持ちによる」ってことはないんでしょうか?「goは第3の場所に移動するときのみ」派の説明だと、「必ずcomeになる」ってことになると思うんですが…。
3→3が「気持ちによる」のはわかります。自分がどちら側に近いか遠いか、その気持ち次第でcomeになったりgoになったりするんだと思います。
えーと、「気持ちによる」派の人の説明だと、1→2の場合にもgoが使えるときがある、ってことですよね?それならそれでいいんですが^^;(私は自分自身に知識も経験もないので、「こうです」と納得できる説明をしてもらえればそれを信じるだけです)、さんざん学校で、「呼ばれていくときはcomeを使います。ここは日本語と違うところなので注意が必要です」と言われてきたのに?!というもやもや感が残ります。1→2のときにgoを使っている例をあげてくれた人がいないからです。それさえ「ほらこういうときには使えるでしょ」と示してもらえれば納得するのに。
昨日aki-euさんの「Come thereはまずない」に大賛成していましたが、そういえば、Come there next week.というふうにいえば、言えるのかもしれませんね??1人称のときと同じで?
09月10日
23:44
16: mikapyonさん
>昨日aki-euさんの「Come thereはまずない」に大賛成していましたが、そういえば、Come there next week.というふうにいえば、言えるのかもしれませんね??1人称のときと同じで?
I will come there , where we will be together forever.
という動画を見つけました。
僕はそこへいくよ、僕たちがずっと一緒にいるところへ って感じかな?
てことは、
I came there where I lived before. ( 私は以前に住んでいるところへ来た) もありうるよね。
>えーと、「気持ちによる」派の人の説明だと、1→2の場合にもgoが使えるときがある、ってことですよね?
これに関しては、相手が今いる場所に 自分が向かうときに go を使うのは、ありえないくらい非常識なことなので、もし、go をあえて使うと意味が変わってしまう(話者が相手がいる方向とは別の方向に向かうことを表してします) ということなのではないでしょうか。
で、1→2 で go が使えるのは、 第三者がいる場合。
speaker と listener がいて、 そのほかの he or she が listener の方に向かっていく場合ならありうるのでは?
He will go to station to meet you. 彼があなたを迎えに駅に行きますよ。
09月11日
02:03
17: たっつんさん
>12-15 maruko さん
>すみません、私のこの説明はよくなかったですね。「comeはspeakerのいる場所に移動すること、あるいはlistenerのいる場所に移動すること」と言い換えます^^;
これは私にははっきりとしてわかりやすい説明なのですが、これで混乱するのはどういうときでしょう?それとも私の日本語の書き方が悪かっただけでしょうか?上のように↑と書き直せば大丈夫でしょうか?
●解説の言葉について。
私を含めた他の人が「視点」という言葉を使っているのは、本質的な説明をしようとしているからだと思います。その言葉が一番近いからです。nativeの人たちの解説は、具体的で直接的でイメージしやすい。具体的な言葉はいつでもそうです。逆に抽象的な言葉はイメージしにくい。
それでも抽象的な表現の方を選ぶのは、それが漏れのない解説になるからです。
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>「comeはspeakerのいる場所に移動すること、あるいはlistenerのいる場所に移動すること」
●私の中でイメージが一致しているのかわかりませんが一致してるとして、これでも間違いではないのでしょうし、おおよその解説にはなると思います。nativeは具体的に人物を登場させ、イメージしやすいシーンを使って come の解説を試みていると思います。
周知のように come には、発展性があり「何かの事象が発生する」というような抽象的な表現もできます。だから、speaker(writer) と listener(reader) の関係性だけでは解説に「漏れ」が出るのは、わかっているはずです。
たとえば、例文にある
The railroad track comes to at end.
こういった客観的な描写を解説する時、視点がおかれている the end には、誰もいないですよね。これを「視点は speaker/listener がいる場所」とすると「speaker も listener もいないじゃん」っていうことになるので「視点」という概念を導入しているわけです。
「第3者的視点」という話が出ていますが、これも「視点」という概念で説明できると私は考えます。事実、先の例文は speaker も listener も出てきていません。スタート地点から見るか(=The railroad track goes to at end.)ゴールから見るか(=The railroad track comes to at end.)、それだけで足りる、と考えるのが私の持論です。
また、「第3の場所」というのはそもそも go の中に元からある概念・意図なので、その第3の場所というのも go の中に当たり前にあるものとして考えます。
ついでに、come there. のあるなしについては、私はあると考えます。
なぜなら come here. と呼ばれて、I'm coming. と言う場合、後ろに省略されているのは具体的な場所名か代名詞の there だと考えるからです。ゆえに、come there という言い方はあるかと考えます。
また過去の出来事を思い出しながらなど、私が書いた例文のような話の文脈の中で「そこに向かう途中で」とかっていう場合も同様です。
aki-eu さんの言う A→B はたしかに、speakerから見れば B=here で A=there です。しかしそれは、 'come here.' と述べた人(=speaker)からの視点です。話しかけられた人(= listener) からは A=here で B=there です。よって A→A でthere - there とはなりません。前提に誤りがあるのかと考えます。
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>>No, I'm not going. (いかないと思う。)/Yes, I'm going.(いくと思うよ。)
>友人のホームパーティに参加するかどうかを、その主催する友人から聞かれたときもこう答えていいのですか?(もっとわかりやすくするなら、その友人が自宅から電話をかけて聞いてきた場合など)
その場合でも自分の気持ちに視点をおくのなら、I'm not going.と言えるということでしょうか。
●私はそういう答え方ができると考えます。go/come いずれの答え方もできるでしょう。気持ちをどこに置くか、だけの差だと思います。今までのこのトピックの話の筋だとそういう見解になると思います。
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>母親に「ごはんよ~」と呼ばれて「今行くよ~」の返事のときも、自分の気持ちに視点を置くのならI'm going.と言えるということでしょうか?
●結論から言って、NO でしょう。
まず、理由の一つとして前回も辞書から引用したように、
I'm going. は「外出する」とあるからです。
これはつまり、辞書が意図するところは、イメージしているスケールが違うということです。
この I'm gong. の出発点は「家」です。この go はその家自体が「点」として存在していることになります。そして一般的には going のあとに外出先の目的地の名称が来るはずです。go は学習過程では通常自動詞ですが、go だけで文が終わることはほとんどないです。一般的に 「to 場所」にみられるような副詞(句)がくるのが普通です。
I'm going. が「外出する」という意味になるということだと、I'm going there. として「食卓に行く」とするのは、まず基本的に「ナシ」ということでしょう。ギリギリOKだとしても、これが許されるのはホームステイをしている non-native だけでしょう。native の子が使ったら、「この子、学校の勉強大丈夫かしら…。」というレベルだと思います。
こういった場面ではどれが○で、どれが×というよりも、I'm going < I'm coming. ということだと思います。それでも、家の中にある部屋について go が使われるような場面は、きっと多分こんな感じ。
Just feel at home and help yourself. You can go to the kitchen and bring anything you want from the fridge.
とかなら、なんかありそうな感じですが。。
I'm going. が「外出する」となるのは、乱暴に言ってしまえば、彼らの日常的な場面と結びついた英語の「スケール感」だと思います。ちょうど、日本語に場面場面にふさわしい(=違和感のない)言葉があるように。 ここから先は、言語学の学位がある人に聞くしかないかと思います。少なくとも現状において、私にはこのレベルの回答しかできません。
さらに2つ目の理由として、同じく引用した内容には、
May I come in?
はいってよろしいでしょうか
(▼相手が中にいるときはgo inとはいえない)
というのがあります。この意図を汲み取ると、先の場面における「母親に『ごはんよ~』と呼ばれて」という状況は間違いなく kitchen/living/the dining table に母親がいます。kitchen living もひとつの部屋と考えれば、これが go を用いることができない理由のひとつ、と考えられるでしょう。
その kitchen/living/the dining table に視点をおいて、I'm coming. と返事をするのが通例だということです。
I'm coming. の後に言葉がないのは前回お話しした通りです。「食卓に行く」に決まっているからです。
Now dinner is ready. Come, Come. とか呼ばれて、 I'm coming. となるわけでして、この後は the (dining) table か there になるのは自明ですよね。この場合は、coming there. でしょう。
I'm coming there.
こんな事例もありました。
http://twitter.com/BigSean/status/243900850731364354
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>相手のところに移動するという状況を説明する場合は go も入ってくるので
>自分の視点に気持ちの重点を置いて話した場合、I'm going to the party. で OK ということです。
これの例を示していただければ納得できるのです。
すぐには見つからないかもしれませんが、もし見つかった時には教えてください!!
●こういうことですか?
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字面や文法から状況をイメージするのではなく、あくまで状況ありきで、状況を説明するものとして言葉がある、というスタンスの方があるべき語学の姿勢ではないかと思います。
「状況によって言葉の示すスケール、範囲が違う」っていう説明はすごくズルいというか、逃げ腰な説明ですが、そういう部分が言語にはあるかと思います。数学のように線が引けない。それが言語かと思います。もちろん私の理解が不足しているのも、こういう説明になってしまう原因のひとつですが。
文法というからには100%のルールが欲しいところですが、文法に100%はないです。少なからず例外があり、ルールで説明できない部分は出てくるかと思います。言語学を修めた人でもそういう部分が残るかと思います。
文法書にでてくる「原則」という解説は、そこに例外があることを示しています。
「例外があるけど、とりあえずそういうことなんだってことで理解しておいて OK、ていうか、そういうことにしといて。」 ということです。
09月11日
09:34
18: さん
>>16 mikapyonさん
>>17 たっつんさん
毎日おつきあいいただいてありがとうございます!
comeについてこんなに誰かに聞いていただけるなんて、本当にうれしいです。
お二人ともお忙しい中、たくさん時間を割いていただいて、すみません。ありがとうございます。
私は毎日時間がたくさんあるので、ヒマそうに何度も書きこんでいますが^^;
お返事いただくのは何日か後、何週間か後でも全然かまいませんので、そこのところはお気づかいなく~。
09月11日
09:38
19: さん
>>16 mikapyonさん
aki-euさんのおっしゃってたのは、Come there.と命令文でのことだと思います。
普通の文では、もちろんたくさんありますよね。
> I will come there , where we will be together forever.
は自分が行く場所に相手の人もいる(予定)、つまり相手のところに行く、と私のルールでは考えるので、come。 goだとどうなるんだろう。相手がそこにこないことを予想している感じ?それでも僕はいくよ、みたいな??
>I came there where I lived before. ( 私は以前に住んでいるところへ来た) もありうるよね。
普通ならhereだよね?自分のいる場所だから? I came there where I lived before.というときはどういうときだろう??どんなシチュエーションですか?
>相手が今いる場所に 自分が向かうときに go を使うのは、ありえないくらい非常識なことなので、もし、go をあえて使うと意味が変わってしまう(話者が相手がいる方向とは別の方向に向かうことを表してします) ということなのではないでしょうか。
ああー!なるほど、そういう考え方もありますね。それは理解できます!
ごめん、私はそっちのほうがややこしいとは思うんだけど(ありえないほど非常識なことを言ってもいいと激怒したときなどは言ってもいいのか?とか思っちゃう)、でもその感じ方は人それぞれだから、この方式の方がわかりやすいと考えてる人がいるということはわかります。
>He will go to station to meet you. 彼があなたを迎えに駅に行きますよ。
聞き手の方に向かっていっているならcomeじゃないですか?
(今駅にいる、あるいは電車の中にいてもうすぐ駅に着く)
聞き手がそこにいないならgo。
(聞き手はまだ自分の家にいるとか、他の場所にいる)
09月11日
10:55
20: さん
>>17 たっつんさん
わかりやすくまとめていただいてありがとうございます。
区切りとか、色をつけたりとか、すごく見やすいです!
私もマネしよう!と思ったんですが、うまくまとめられませんでしたorz
すみません、まだダラダラ続きます^^;;;
ここはコアのイメージを学ぶところですから、ここでは抽象的な概念のみを説明しています、というのはわかります。
同じことを思っていても、そのアプローチのしかたが違うということはあると思います。日本語での表現の仕方が違うだけということもあるかもしれません。それはそれでいいと思うんです。その人それぞれ、自分のわかりやすい考えで覚えておけば。
でも、相手のところに移動する(→2)のときに、「気持ちによってgoも使える」というのはそれとはまったく違います。なぜなら、私は「相手のところに移動する場合は必ずcome」派だからです。(それに強い自信があるわけではないのですが、とりあえずそういう立場ということにしておきます^^;)
そこにいたった過程を説明したくて、具体的な説明をうけた話を出しただけで、その説明がよりすばらしいと思っているとかいうわけではありません。視点や気持ちを使っての説明について「ほんとうに合ってるの?」と疑う気持ちがあるのと同じくらい、具体的な説明にも「そういうのがあてはまる文を紹介してるだけなんじゃ?漏れがたくさんあるんじゃないの?」という疑いの気持ちはあります。
ちなみに、みかぴょんや、たっつんさん、aki-euさんに何度も説明していただいたおかげで、なるほど「視点」や「気持ち」で理解することもできるんだなとわかってきました。ありがとうございます。
私は、知識も経験もないので、人に説明してもらったのを、ふむふむと聞くだけで、今まで自分が触れてきた英語(ものすごく限られたものですが)について、なるほどと思える説明を自分の中に残すだけです。(ちなみに、間違ったことを自信いっぱいに教える人もたくさんいるので、ちょっちゅう置き換わっています^^;)
で、今のところ、「→1、→2のところにいくときはcome」という説明が一番わかりやすく、かつ正解率も高いようだという認識です。
The railroad track comes to at end.
>これを「視点は speaker/listener がいる場所」とすると「speaker も listener もいないじゃん」っていうことになるので「視点」という概念を導入しているわけです。
なるほど!おっしゃること、わかるように思います。もちろん文がそこにある以上、speakerがいないはずはないし、それを見ている人がいる以上、listenerがいないはずはないのですが、「speak」「listen」という言葉にかえって迷いを覚える人もいるでしょうね。しかし第1人称、第2人称という言葉もなじみのない人がいるでしょうし…というわけで、苦心の末(?)、「視点」という言葉を使っているんですね、きっと?
>事実、先の例文は speaker も listener も出てきていません。
すみません、言葉が足りなかったかもしれません。speaker=I(第1人称)、listener=you(第2人称)ということでお願いします。文がそこに存在する以上、Iの存在はあるはずで、それを見たり聞いたりしている人がいる以上、そこにyouの存在もあるはずです。(ひとりごとならyouはないのかな…?)
The railroad track comes to at end.
の文でいうと、speakerの位置はat endあたり。listenerの位置は特定されていません。
>ついでに、come there. のあるなしについては、私はあると考えます。
私はak-euさんのおっしゃってるのは命令文のことだと思ったのですが…普通の文ではもちろんcome thereはありますよね。でもこれに関しては私の勘違いかもしれないので、aki-euさんにお任せします^^
>>No, I'm not going. (いかないと思う。)/Yes, I'm going.(いくと思うよ。)
>友人のホームパーティに参加するかどうかを、その主催する友人から聞かれたときもこう答えていいのですか?(もっとわかりやすくするなら、その友人が自宅から電話をかけて聞いてきた場合など)
その場合でも自分の気持ちに視点をおくのなら、I'm not going.と言えるということでしょうか。
●私はそういう答え方ができると考えます。go/come いずれの答え方もできるでしょう。気持ちをどこに置くか、だけの差だと思います。今までのこのトピックの話の筋だとそういう見解になると思います。
ここ、ここ!ここですよね!
この他の点については、たっつんさんと私、考え方は違っても、結果としてたぶん同じようなことを考えていると思います。そんなことないですか?^^; もしかしたら、私の説明が下手でたっつんさんからは全然違うようにみえているかもしれませんが、私からはこの1点のみが違うだけでほかは同じだと思います。
>母親に「ごはんよ~」と呼ばれて「今行くよ~」の返事のときも、自分の気持ちに視点を置くのならI'm going.と言えるということでしょうか?
●結論から言って、NO でしょう。
まったく同意見です!それに、説明いただいたこともよくわかります。
私:「相手のところに移動する場合はcome。よってこの場合はcome」
たっつんさん:「通例としてcome」
という結果に至る過程は違うとしても、結果として同じcomeにいきついているので、私的にはまったく問題ありません^^
提示していただいた、家の中でgoを使う場合においても
私:「自分のところ、相手のところに移動する以外の移動はgo」
(台所は、自分のいる場所でも相手の場所でもない第3の場所)
たっつんさん:「goのスケール感」
という違いがあるにしても、それはそれぞれの受け取り方で、いいと思うんです。そこまですり合わせる必要はない、と私は思います。たっつんさんのおっしゃるスケール感というのは、私にとって「第3の場所」ということです。
ツイッターの事例もありがとうございます。
はい、come there、あると思います。そこに疑問はありません。
残念ながら、紹介していただいたyoutubeの例は、私がほしいと思っている例とは違うようです。この歌は(念のため歌詞もみましたが)、恋人にふられて、恋人を忘れるために、「恋人とは別の場所に」パーティーにいってやる!みたいな歌でした。
私の知りたいのは、(しつこいですが^^;)
相手のところに行く場合にgoと言えるかどうか、です。
パーティーの主催者に対して、あるいは、今そのパーティー会場にいる人に向かって、自分の気持ち次第でI'll go だの I'm going と言えるのかということです。
たっつんさんは言えるというお立場なのはわかりました。
その例が欲しいのです。
ちなみに、私にとってはすごく不思議なのですが、
友人にうちのパーティーに来る?ときかれて
いくよ、とか、いかないよ、というのと、
お母さんにごはんに呼ばれて
いくよ、とか、いかないよ、というのと、
どこが違うのですか?
私にとってはどちらも「相手のところに移動するはcome」でおなじなのですが、
たっつんさんにとってはパーティーのほうはgoもありえる、で、ごはんは、comeが通例でgoはない、のですよね?
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