堅苦しいタイトルになってしまいました。
はじめてここで日記を書いてみます^^
英語の学習を兼ねて、海外の有名な作品を原文で読むことに挑戦するようになってから、日本語で書かれた本を読むことに影響が出てきたことに気づきました。
その影響とは、読めない漢字、自信のない漢字、意味のわからない言葉、わかっているつもりでも辞書を引いたことのない言葉などを読み飛ばせなくなってしまっていたのです。
今まで特に考えもせずに理解しているつもりの言葉も、よく考えてみたら経験で勝手に思い込んでいるだけで、きちんと調べたことのない言葉ばかり。
間違っているかもしれない。
勘違いしているかもしれない。
そう思い辞書を引くようになると、全くページが進みません。
辞書のないところでは読書ができません。
そこでまた気づきました。
なるほど、英文を読むスピードが遅いのは、英文を完璧に読もうとしているから、読み飛ばせないからなのではないのか。
母国語が英語の人が英文を読む時も、私が日本語を読む時と同じように、そのスペルから意味を予想したり、前後の関係から予想したり、はたまた勘違いもしているはずです。
完璧に読める英語の達人は僅かでしょう。
母国語の日本語ですら読み飛ばしているのに、英語を読み飛ばさずにスラスラと読むほどのレベルにあるわけがありません。
日本語だと、読み飛ばしても大きな影響がない言葉が経験的にわかっているのでしょう。しかし、英語だとそれがわかりません。副詞ひとつで大きな勘違いになりかねます。
予想し、読み飛ばす力。
この力を身につけたいけど、一歩間違えればものすごく勘違いの多い人になってしまうかもしれません。
語彙を増やせば解決することではありますが、全ての言葉を覚えるのは不可能です。
少し文学的なものであったり、専門的なものであるとお手上げです。
完璧な読解に挑戦するものと、勘違いしてもいいから、どんどん読み進むものとにわけるなどしたほうがいいのかもしれませんね。
勘違い修正のために、確認しながら2度目を読むことも必要かもしれませんが、”楽しむ”ためには、その本を苦痛の思い出にしたくなかったりもします。
なかなか難しいものですね。
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